始めに
大江「空の怪物アグイー」解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
父性をめぐるドラマ、父の神話
『個人的な体験』にも描かれますが、障害を持った子供を授かったことによる苦悩の主題は、大江健三郎の私生活を背景とし、作家に切実なテーマであり続けます。父性をめぐる神話的象徴のドラマという点でフォークナー(『響きと怒り』)を思わせます。
本作はしかし、作家の分身たる僕ではなくて、Dという男(武満徹がモデルか)の、父としての苦悩と自殺に寄せる共感から、語り手や大江健三郎自身の苦悩を描く内容になっています。
人生の親戚、D
本作は『人生の親戚』にも似て、大江健三郎自身の伝記的生とかさなるキャラクターを作中に描き、それに対する共感や感慨を描くデザインになっています。
『D』に「怪物」が憑いていて仕事を投げ出して家にばかり居る、息子が何処かに出かけたいという時には付いて行って欲しい、とまずDの父の銀行家が僕に語り、Dと交流していくようになります。 D附きの看護士に問い詰めると、その怪物はカンガルー程の大きさの赤ん坊で、「アグイー」という名前だと聞き、その後僕は、Dの元妻から、赤子が脳ヘルニアと誤診されて殺したと知ります。解剖に回した後、頭の大きな瘤はヘルニアではなく、畸形腫だと判明しました。その後Dは自殺し、僕は子供に石をぶつけられた時にアグイーを回想するのでした。
結局このDは大江健三郎にとってあり得たかもしれない自分であって、『個人的な体験』でも中絶の欲望が描かれたりもしましたが、そうしていた場合にはDのようになっていたかもしれないと読み取れます。
物語世界
あらすじ
10年前、僕は大学に入ったばかりで、アルバイトを探していたところ、とある銀行家に面接に行きます。
銀行家は息子の音楽家『D』に「怪物」が憑いていて仕事を投げ出して家にばかり居る、息子が何処かに出かけたいという時には付いて行って欲しい、と語ります。
Dは、「あれ」とは空から降りて来る、いつもは空に浮遊しているものだと語ります。Dにあれが降りてきている間、僕は不思議そうにせずに自然にしている様に注文します。
D附きの看護士に問い詰めると、その怪物はカンガルー程の大きさの赤ん坊で、「アグイー」という名前だと聞きます。その後僕は、Dに頼まれた通りDの元妻を訪ねた時、その赤子が脳ヘルニアと誤診され、殺したと知ります。解剖に回した後、頭の大きな瘤はヘルニアではなく、畸形腫だと判明しました。
Dと僕は様々な場所へいき、僕は何時の間にかこの仕事に愛着を覚えます。
その年の12月24日、銀座に出掛けた時に僕はDに腕時計を贈られます。交差点で信号を待っていた時、不意にDは叫び声を上げてトラックの間に飛び込み、病院へ運ばれます。
病室の外で、僕は唐突にDが自殺をするつもりで奇病を装っていて、僕はDが自殺をする為に雇われたのではないかという考えに至ります。翌日の夕刊で僕はDの死を知ります。
この春、僕は一群の子供たちに石を投げつけられ、右目に当たります。そして僕は突然、懐かしい「あれ」の存在を感じ、子供たちへの憎悪から解放されます。「さよなら、アグイー」と僕はつぶやくのでした。
参考文献
小谷野敦『江藤淳と大江健三郎』(筑摩書房)



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