始めに
横光利一「蝿」解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
モダニズム
横光利一は川端(『眠れる美女』『みづうみ』)と並んで、新感覚派を代表するモダニズム作家です。
モダニズムとはジョイス(『ユリシーズ』)やプルースト(『失われた時を求めて』)、フォークナー(『響きと怒り』)に代表される前衛的な文学運動で、意識の流れなどを特徴とします。また、同時期の前衛文学にシュルレアリスムがあって、そうした潮流と連動しつつ展開されていきました。
川端もモダニズム、シュルレアリスムの影響が大きく、『眠れる美女』『みづうみ』などを展開しました。シュルレアリスムはまた、映画とも連動して展開されていったのですが、川端康成や横光利一も衣笠貞之助監督の『狂った一頁』に協力しています。
本作も映画のフレーム的な効果やモンタージュの手法を作品に取り入れています。横光利一は芥川龍之介から大きな影響を受けましたが、芥川風の形式主義的実験が本作も特徴的です。
語りの実験
本作は異質物語世界の語り手を設定しています。所謂三人称です。
特徴的なのは焦点化の手法で、焦点化を特定の一人物に設定するわけではなく、ある宿場に集まった一同とそこにちょうどいた蠅に焦点をおいて、多角的に出来事を描写していきます。
物語は、ある馬車が宿場から出て、道中で事故に遭って乗客ごと崖下に転落するまでが描かれ、ごく短いタイムスケールで展開されています。
またハメット『マルタの鷹』に似た表層的な事実を追って、内定独白は極力排したスタイルが特徴です。不定の外的焦点化を、ここに設定していると解釈できます。
映画的モンタージュ
映画の特徴的な技法がモンタージュですが、本作でもモンタージュの技法が取り入れられています。
モンタージュとは異なる複数の要素(画像や映像)を組み合わせて別の意味や効果を生み出す手法のことです。有名なモンタージュ理論の映画監督であるエイゼンシュタインは、漢字に、モンタージュ的な構造があると考えて、その理論の背景としました。
また文学の方面でもモンタージュの手法はさまざまに用いられてきました。日本では寺田寅彦がモンタージュに着目し、山口誓子もモンタージュを俳句に取り入れました。
本作もモンタージュの手法を用いて、多角的に宿場の人々と蝿の描写が展開されます。また、矮小な蠅が悠々と事故を逃れるのに対して、より強大な人間はあっさりと事故の運命に翻弄されて命を落とすというコントラストが印象的です。
オムニバスにおけるドラマ
本作はオムニバス、乗合馬車における出来事を描く点でモーパッサン『脂肪の塊』やフォード監督『駅馬車』を連想させます。
乗合馬車の人々は、それぞれ断片的にその背景が記述されていくものの、他人同士であります。けれども、偶然に乗り合わせてしまったことから、死という運命を共有することとなります。
唐突な死
本作はそれぞれの想いを抱えたキャラクターの命が不意に事故で失われるという運命の皮肉を描く内容です。
芥川龍之介やそれに影響したワイルド(『ウィンダミア卿夫人の扇』『サロメ』)、ストリンドベリのようなシニカルでペシミスティックなテイストが作品にあります。
物語世界
あらすじ
真夏の宿場の厩で1匹の蠅が、蜘蛛の巣から落下します。糞に刺さる藁の端から馬の背中まで這い上がります。猫背の老いた馭者は、宿場の横の饅頭屋の店先で、店の主婦と将棋をさしていました。
宿場の場庭に、農婦が駆けつけます。彼女は息子からの危篤電報を受け取り、急いで宿場まで来ていましたが、息子の街への馬車は出たばかりでした。農婦はそこで歩こうとするものの、猫背の馭者が二番が出ると言います。
宿場に恋人の若者と娘が歩いてきます。2人は逃げてきた様子です。同じ頃、母親に手を引かれた幼い男の子がやってきます。次に田舎紳士がやってきて、彼は昨晩春蚕の仲買で儲けたため、息子への土産について考えています。
やがて10時になり、馭者の好きな饅頭も蒸しあがります。馭者は馬車の準備をし、合図すると、農婦が真っ先に馬車に乗り、他の5人のも乗り込みます。馬の腰にいた蠅も車体に飛び移ります。
馬車の中では田舎紳士が饒舌をふるいます。次第に馬車の喇叭や鞭の音がしなくなり、胃が満たされた猫背の馭者は眠くなりだし、居眠りします。しかし蠅以外、乗客の誰も居眠りに気が付きません。蠅は車体の上から、馭者の頭を経由し、濡れた馬の背中に留まって汗を舐めます。
馬車は崖の頂上にさしかかり、車輪が狭い路から外れます。蠅は飛び上がり、崖下に車体と墜落する馬の腹を見ました。そして人々と馬の悲鳴がして、河原の上に潰れた人馬と板片の塊が動かなくなります。
参考文献
・荒井惇見『人と作品 横光利一』




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