始めに
マヤコフスキー『南京虫』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
マヤコフスキーの作家性
影響した作家の一人が、アメリカの詩人ウォルト・ホイットマンです。ホイットマンの『草の葉』に見られる、都市、群衆、工業化、そして自己を巨大化させて歌う手法は、マヤコフスキーの初期の詩作に色濃く反映されています
ロシア未来派の父とも称されるヴェリミール=フレブニコフからは、言語の根源的な創造性を学びました。言語の意味を解体し、音そのものに意味を見出すザーウムの実験は、マヤコフスキーに言葉を物質として扱う感覚を植え付けました。まあ既存のロシア語の語根を組み合わせて新しい言葉を作るフレブニコフの手法は、マヤコフスキーのダイナミックな語彙形成に受け継がれています。
ダヴィド・ブルリュックはマヤコフスキーの詩才を見出した最大の功労者です。過去の伝統を蒸気船から投げ捨てろという有名な宣言のもと、ドストエフスキーやトルストイといった古典を否定する姿勢を叩き込みました。
未来派は古典を否定しましたが、マヤコフスキー自身はドストエフスキーに対して屈折した、しかし深い尊敬を持っていました。
イタリア未来派の創始者マリネッティからは、加速する文明、戦争、暴力、そして美学としての破壊というコンセプトを吸収しました。
小市民性
マヤコフスキーが終生戦い続けた最大の敵が、小市民性です。主人公プリスィプキンは元労働者で党員ですが、革命の理想を捨て、赤い結婚式を挙げ、絹の下着やダンスといった、卑俗で贅沢な生活に溺れます。革命が生活の安定や個人の享楽に回収されていくことへの強い嫌悪が、プリスィプキンの醜悪な造形を通して描かれています。
物語は1929年と、50年後の1979年の二部構成になっています。1929年は汚く、騒がしく、欲望にまみれた生きた時代。1979年はすべてが合理的、科学的、衛生的で、酒もタバコも感情さえも排除された無菌状態の社会です。未来の人々は、プリスィプキンの愛や涙という感情を、理解不能な古い病原菌のように扱い、滑稽なものとして描写します。
タイトルの意味
タイトルである『南京虫』は、文字通りの昆虫と、主人公プリスィプキンの二重のメタファーになっています。プリスィプキンと共に冷凍保存され、未来で目覚めた南京虫と、労働をせずに過去の感情や悪癖に固執するプリスィプキン。最終的にプリスィプキンは、絶滅危惧種のホモ・サピエンス・フィリスティヌス(小市民的人間)として、南京虫と一緒に動物園の檻に入れられ、未来人に観察されることになります。
マヤコフスキー自身の居場所のなさもテーマと言えます。彼は熱狂的に革命を支持しましたが、完成された合理的すぎる社会では、彼の激しい抒情性や情熱もまた、プリスィプキンの病原菌と同様に、不必要なものとして排除されてしまうのではないか、という恐怖と孤独が透けて見えます。
物語世界
あらすじ
第1部:1929年。主人公プリスィプキンは、かつては熱心な労働者でしたが、今や洗練された生活を渇望する小市民。名前もピエール・スクリプキンとフランス風に改名し、労働者の恋人ゾーヤを捨てて、美容師の娘エルゼヴィーラと結婚しようとします。俗物根性丸出しの赤い結婚式が開かれますが、酔っ払いたちの乱闘の末に火災が発生します。消防隊の放水によって建物は氷漬けになり、プリスィプキンは一匹の南京虫と共に地下室でカチコチに凍りついてしまいます。
第2部:1979年。世界は科学と合理性が支配する完璧な共産主義社会になっています。そこではアルコールも、タバコも、激しい感情も過去の病原菌として駆逐されています。人類復活研究所によってプリスィプキンが発見され、蘇生させられます。一緒に凍っていた南京虫も息を吹き返します。復活したプリスィプキンがギターを弾き、流行歌を歌い、酒を欲しがると、未来の人々はその不潔なバイタリティにパニックを起こします。なんと、未来の若者たちが彼の恋の悩みや涙という奇妙な病気に感染し始めてしまうのです。未来の統治者たちは、プリスィプキンを人間とは見なさず、絶滅したはずの小市民(フィリスティヌス・ヴルガリス)という希少な寄生生物であると結論づけます。彼は南京虫と一緒に、動物園の頑丈な檻に入れられ、大衆の見せ物にされます。観客の中に自分と同じような顔をした人々を見つけたプリスィプキンは、なぜ俺だけが檻の中なんだと叫びますが、檻のカーテンは冷酷に閉ざされます。




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