始めに
ラブクラフト『インスマウスの影』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ラヴクラフトの作家性
ポーはラヴクラフトがわが不滅の模範と呼び、最も崇拝した作家です。緻密な心理描写、一人称視点による独白形式、そして崩壊する家や血統の呪いといったゴシック的意匠を継承しました。ラヴクラフトの初期作品には、ポーの文体の模倣が強く見られます。
ダンセイニはアイルランドの貴族作家であり、独特の文体で架空の神話体系を描きました。ラヴクラフトの「夢の冒険」シリーズに決定的な影響を与えました。『未知なるカダスを夢に求めて』などに代表される、異世界の神々や叙事詩的な世界観の構築は、ダンセイニの作風を源流としています。
アーサー・マッケンはウェールズ出身の作家で、都会や自然の裏側に潜む太古の邪悪な存在を描きました。『パンの大神』に見られる科学的な探求が、人間には耐えられない禁断の真実を暴いてしまうという構図は、ラヴクラフトのクトゥルフ神話の骨格となりました。
アルジャーノン・ブラックウッドは自然の中に潜む巨大で非人間的な力を描くのを得意とした作家です。代表作『柳』に見られる、人間をちっぽけな存在として扱う崇高な恐怖の感覚に、ラヴクラフトは深く共感しました。神や怪物というよりは異次元の力としての恐怖の表現を学びました。
ロバート・W・チェンバースの短編集『黄衣の王』に登場する読んだ者を狂気へと導く戯曲という設定は、ラヴクラフトの『ネクロノミコン』の着想源の一つとなりました。ハスターなどの名称もここから取り入れられています。
ビアス『カルコサの住人』に見られる、廃墟と化した古代都市のイメージ、M・R・ジェイムズの古典的な怪談の形式、ウィリアム・ホープ・ホジスン『異界の家』に見られる、宇宙規模の時間の流れと異次元的存在から刺激されました。
遺伝の宿命
本作の最大のテーマは、逃れられない遺伝的運命です。主人公がインスマウスの住人を異形の存在として拒絶しながらも、最終的に自分自身の中にその血が流れていることを悟り、変貌を受け入れる結末は、アイデンティティの完全な喪失を意味します。努力や意志に関わらず、祖先の犯した罪や血筋によって人生が決定されてしまうという絶望感は、ゴシック文学の伝統的な家系の呪いを生物学的な視点で再構築したものです。
またラヴクラフト自身の個人的な背景(人種的偏見や保守的な価値観)が強く投影されています。異質な存在の深きものどもと人間が交わり、純粋さが失われていくことへの生理的な嫌悪感が、インスマウスという閉鎖的で腐朽した町の描写を通じて執拗に描かれています。普通の社会から切り離され、独自の不気味な秩序で動くコミュニティに対する、文明人の根源的な恐怖が抽出されています。
人間の倫理や宗教が、より強大で永劫の寿命を持つ海底の知的生命体によって容易に塗り替えられてしまう様子も描かれます。最終的に主人公が海底の都市イハ=ンスレイに憧憬を抱くようになる展開は、人間的な正気や道徳が、宇宙的なスケールの前ではいかに脆いかを示しています。
物語世界
あらすじ
1927年、成年に達した主人公の青年は、自身のルーツを探る旅の途中で、近隣住民から忌み嫌われる廃れた港町インスマウスの存在を知ります。好奇心に駆られた彼は、周囲の警告を無視して、ボロいバスに乗り込みその町へと向かいます。
町に足を踏み入れた彼は、言いようのない悪臭と、住民たちの不気味な容姿に圧倒されます。住民たちは皆、まばたきをせず、異常に突き出た目と、首筋の奇妙なひだ、そしてヌルヌルとした肌を持っていました。町全体が腐敗し、多くの家は窓を塞がれ、どこからか這い回るような音が聞こえてくるという、異常な雰囲気に包まれています。
青年は町で唯一まともな人間に見える老酒浸り、ゼドック=アレンから、この町の恐ろしい歴史を聞き出します。かつての有力者、オーベッド=マーシュ船長が南洋から持ち帰った金色の宝飾品の代償。それは、海底に住む異形種深きものども(ディープ・ワンズ)への生贄と、彼らとの交わりを受け入れるという冒涜的な契約でした。住民たちは老化と共に深きものどもへと変貌し、最終的には海底の都市イハ=ンスレイへと帰っていくというのです。
ゼドックの警告通り、青年は町に閉じ込められ、夜のホテルで住民たちによる襲撃を受けます。暗闇の中、ドアの外から聞こえるペタペタという足音と、人間離れした咆哮。青年は命からがら窓から脱出し、線路伝いに町を逃げ出します。
無事に生還した青年でしたが、数年後、彼は自分自身の身体に異変が起きていることに気づきます。鏡に映る自分の顔が、あの忌まわしいインスマウス面に近づいていること。自身の家系を調査した結果、自分がオーベッド=マーシュの直系の子孫であることを知ります。
当初は拳銃で自殺を図ろうとした彼でしたが、次第に夢の中で海底の都市への憧憬を抱くようになり、最後は深きものどもとしての自分を受け入れ、親族と共に海へと入ることを決意して物語は幕を閉じます。




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