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アプトン=シンクレア『人われを大工と呼ぶ』解説あらすじ

アプトン=シンクレア
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始めに

 アプトン=シンクレア『人われを大工と呼ぶ』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

アプトン=シンクレアの作家性

​ シンクレアの社会の汚部をありのままに描くスタイルは、ヨーロッパの文豪たちの影響を色濃く受けています。ゾラが『ジェルミナール』などで描いた、労働者の過酷な現実や社会構造の矛盾を科学的な視点で捉える手法は、シンクレアの代表作『ジャングル』の基盤となりました。イギリスの社会格差や貧困層の悲劇を描いたディケンズからも、強い影響を受けています。物語を通じて社会改革を訴えるという姿勢は、シンクレアに共通するものです。またユーゴー 『レ・ミゼラブル』に見られるような、社会の底辺にいる人々への深い同情と、壮大な人道主義的視点は、シンクレアの理想主義の源泉の一つでした。


​ シンクレアは単なる小説家ではなく、熱心な社会主義者でもありました。資本主義の構造的欠陥を理解する上で、マルクス主義は彼の思想の背骨となりました。またシンクレアはイエスを最初の社会主義者あるいは革命家として深く尊敬していました。


​ シンクレアは若い頃、サッカレーの『虚栄の市』のような風刺的な視点を好んで読んでいました。​ジョージ=スターリングは同時代の詩人であり、シンクレアの友人でもありました。彼の芸術に対する真摯な姿勢は、シンクレアの初期の創作活動に刺激を与えました。

キリスト社会批判

 この作品の核心的なテーマは、当時のアメリカのキリスト教社会に対する鋭い批判です。作中の大工(カーペンター)は、まさに聖書のイエスそのものとして描かれますが、彼が説く貧者への愛や富への執着の否定は、豪華な教会に通う富裕層や教会組織にとって非常に不都合なものとして映ります。


​ もし本物のイエスが再臨したら、現代のクリスチャンを自称する人々こそが、真っ先に彼を危険思想の持ち主として排斥するだろう、という痛烈な皮肉が込められています。

社会主義的テーマ

 シンクレアらしい社会主義的な視点が色濃く反映されています。舞台は狂騒の20年代、ハリウッドを彷彿とさせる都市です。贅沢に溺れる富裕層と、困窮する労働者階級の対比を通じて、資本主義がもたらす人間性の喪失を描いています。シンクレアは、イエスを単なる宗教的救済者ではなく、社会の不公正に立ち向かう革命家として再解釈しています。彼の行動は、当時のストライキや労働運動と重ね合わされています。


​ ​社会批判が強い一方で、暴力による解決ではなく、徹底した愛と理解の姿勢がテーマとなっています。大工は暴力に訴えることなく、ただ真実を語り、苦しむ者に寄り添います。その姿を通じて、憎しみや対立が渦巻く現代社会に対する、精神的な救済のあり方を提示しています。

物語世界

あらすじ

 舞台は1920年代、狂騒の時代のアメリカ。富裕層の青年ビリーは、映画館の外で暴徒に襲われ、命からがら近くの聖バーソロミュー教会に逃げ込みます。


 ​意識が朦朧とする中、ビリーが祭壇のステンドグラスに描かれたイエスの像を見つめていると、驚くべきことが起こります。イエスがステンドグラスから抜け出し、生身の人間となって歩き出したのです。​その男は自らを「カーペンター(大工)」と名乗り、ビリーと共に教会の外の世界へと踏み出します。


​ ​ビリーは、この不思議な「大工」を自分の友人として紹介し、当時のアメリカ社会のあらゆる場所に連れ出します。大工は豪華な食事や宝石に囲まれた人々に、所有欲を捨てるよう説きますが、金持ちたちは彼を風変わりな聖人か面白い芸人としてしか扱いません。 映画プロデューサーたちは、彼の神々しい容姿を見て最高の俳優だと興奮し、高額な契約を持ちかけます。しかし、大工は魂を売るような真似を拒絶します。大工が最も心を寄せたのは、虐げられた労働者や貧しい人々でした。彼は彼らの苦しみを聞き、癒やしを与えます。


​ ​物語の後半、事態は不穏な方向へ向かいます。大工が説く隣人愛や富の共有という教えが、体制側から危険な社会主義的思想だと見なされるようになるのです。​第一次世界大戦後のアメリカを覆っていた混乱の中で、かつてイエスを十字架にかけた民衆と同じように、現代の人々もまた大工を社会を乱す扇動者として追い詰め始めます。


​ ​ついに怒れる暴徒に包囲された大工は、自分がこの現代社会でも受け入れられないことを悟ります。​彼は逃げ込んだ先の教会で、再びステンドグラスの中へと戻っていきました。 追いかけてきた群衆が見たのは、元の場所で静かに微笑む、冷たいガラスの聖像だけでした。


 ​ビリーが目を覚ますと、そこは教会の椅子の上。すべては暴漢に襲われたときの一時の白昼夢だったのかもしれません。しかし、彼の心にはもしキリストが今ここにいたら、私たちは再び彼を殺していただろうという重い問いが残されました。

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