始めに
ティム=オブライエン『僕が戦場で死んだら』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
オブライエンの作家性
オブライエンにとって、ヘミングウェイは避けて通れない大きな存在です。ヘミングウェイの氷山理論や、簡潔で力強い文体は、オブライエンの初期作品に色濃く反映されています。また物語の構造と過去の重みにおいて、フォークナーの影響が見られます。ほかに『闇の奥』で知られるコンラッドの影響は、オブライエンの描く戦争の道徳的な曖昧さに見られます。
グレアム=グリーンもまた、政治的な混乱の中での個人の道徳的ジレンマを追求した作家です。グリーンの『静かなるアメリカ人』は、ベトナムを舞台にした西洋人の無知と傲慢を描いており、オブライエンは自身の作品でこのテーマをさらに現代的な視点から深化させました。
ジョイス や プルーストなどのモダニズムの巨匠たちからは、意識の流れや記憶の断片化という手法を学んでいます。
勇気とは
オブライエンはこの本の中で、勇気とは何かという問いを執拗に自分に投げかけます。彼は戦争に反対していましたが、徴兵を拒否してカナダへ逃げることもできませんでした。彼が戦場へ行った理由は、愛国心ではなく、家族や隣人から受ける恥に対する恐怖でした。信念を貫いて逃げる勇気がなかったからこそ戦場へ行った、という逆説的な自己分析が、本作の最も重いテーマの一つです。
多くの戦争文学が英雄的行為を描くのに対し、本作はベトナム戦争の圧倒的な不透明さを描いています。誰が敵で、何のために歩いているのかすら分からない状況。大義名分が欠如した中で、兵士たちはただ地雷を踏まないことだけを祈る日々を過ごします。この目的のない恐怖が、若者の精神をいかに摩耗させるかが強調されています。
役割期待。書くこと
自分が正しいと信じることと社会から求められる役割の間の乖離がテーマです。彼は大学でプラトンなどの哲学を学んでいたエリート青年でした。知性ではこの戦争は間違っていると理解していながら、肉体は戦場へと運ばれます。この知性と現実の引き裂かれた感覚が、全編を通して冷徹な筆致で描かれています。
起きたことをどう語るかという点も重要です。凄惨な現実を言葉にすることで、かろうじて正気を保とうとする作家としての視点がすでに現れています。この本は戦場での勇敢な物語ではなく良心を持ちながらも、臆病さゆえに正しくない戦争に加担してしまった一人の青年の、痛切な自己告白といえます。
物語世界
あらすじ
1968年、ミネソタ州の大学を卒業したばかりのティムに、一通の徴兵通知が届きます。彼はプラトンの哲学を愛し、ベトナム戦争を不当な戦争だと確信していました。彼はカナダへの亡命を真剣に検討し、国境近くまで行きますが、結局は引き返します。逃げなかった理由は勇気があったからではなく、故郷の人々に臆病者だと思われるのが怖かったという、皮肉な動機でした。
彼はワシントン州のフォート・ルイスで基本訓練を受けます。そこでは殺人のための技術が叩き込まれ、兵士たちは個性を奪われ、均一な部品へと変えられていきます。ティムは、知的な友人エリックと共に、軍隊の理不尽さや戦争の倫理について語り合うことで、かろうじて自分の正気を保とうとします。
ついに歩兵としてベトナムへ送られたティムを待っていたのは、映画のような華々しい戦闘ではなく、死の恐怖が日常化した、出口のない散歩でした。 敵の姿はほとんど見えず、兵士たちの足を奪うのは、草むらに隠された無数の地雷やブービートラップでした。丘を占領しては捨て、また同じ場所へ戻るという、目的の不明な行軍が延々と繰り返されます。目の前で友人が爆死し、精神が崩壊していく兵士たちの姿が、冷淡なまでに淡々と描かれます。
部隊はソンミ村虐殺事件が起きた地域に配置されます。直接の加害者ではありませんが、彼は軍隊という組織の中にいる自分もまた、間接的にその罪を背負っているのではないかと悩みます。
恐怖の中で、しだいに道徳心が摩耗し、冷酷になっていく自分自身に気づく過程が非常に重苦しく描かれています。1年間の兵役を終え、彼は生きてアメリカに帰国します。身体的には無傷でしたが、心には不当な戦争に加担したという重い記憶が刻まれました。
彼はハーバード大学の大学院へ進みますが、戦場での経験が彼を捉えて離しません。その記憶を整理し、自分を納得させるために、彼はこの手記を書き始めます。




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