始めに
ガルシア=ロルカ『イェルマ』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ロルカの作家性
ロルカが属した「27年世代」というグループ名は、17世紀の詩人ルイス=デ=ゴンゴラの没後300年を記念して集まったことに由来します。難解で装飾的な比喩を多用するゴンゴラのスタイルから、ロルカは象徴的手法を学びました。
ロペ=デ=ベガの、民衆のエネルギーを劇に取り込む手法は、ロルカの戯曲に大きな影響を与えています。ヒメネスは「純粋詩」を提唱したノーベル賞詩人で、初期のロルカに影響しました。アントニオ=マチャードの内省的で憂いのあるトーンを、ロルカは継承します。ルーベン=ダリオのモダニズムにおける音楽性も影響しました。
ロルカの才能を爆発させたのは、学生寮(レジデンシア=デ=エストゥディアンテス)での出会いでした。サルバドール=ダリは 親友であり、一時期は恋愛に近い感情も抱いたとされます。ダリとの交流を通じて、ロルカはシュルレアリスムに目覚めます。
『ニューヨークの詩人』には、ホイットマンの自由奔放な形式と、都会の孤独が継承されます。
タイトルの意味
作品のタイトル「イェルマ(Yerma)」は、スペイン語で「荒れ地」「不毛の」を意味します。彼女自身の名前が、子供を産めないという彼女の状態と、彼女の心の渇きを象徴しています。イェルマにとって、子供を持つことは単なる願いではなく、女性としての実存そのものであり、自然の摂理への参加を意味します。それが叶わない絶望が、彼女を狂気へと追い込みます。
イェルマが他の男性と結ばれて子を得る道を選ばないのは、彼女の中に強烈な名誉の意識があるからです。20世紀初頭のスペイン保守社会において、女性の価値は貞節と家系の維持にありました。彼女は子供を激しく求めながらも、婚外子を持つことや夫以外と関係を持つことを汚らわしいとして拒絶します。この血の潔癖さが、彼女を逃げ場のない袋小路に閉じ込めることになります。
女性の孤独
夫ファンとイェルマの間には、埋めることのできない溝があります。ファンは家を豊かにし、羊を飼い、世間体を取り繕うことにしか関心がありません。彼にとって子供はいなければいないで楽なものです。イェルマは物質的な豊かさではなく、内面的な情熱と生命の継承を求めています。この対立は、精神的な愛や情熱を欠いた形式的な結婚の虚しさを浮き彫りにします。
ロルカは詩的なイメージを用いて、イェルマの心理状態を表現しています。水は生命、セクシュアリティ、受胎の象徴です。一方、砂や乾いた土は不妊と死を象徴します。イェルマは常に流れる水を求め、ファンの乾いた存在に絶望します。女性を大地に例え、耕され種を蒔かれるのを待っているのに、誰からも顧みられない悲哀が描かれます。
物語世界
あらすじ
第1幕:結婚して2年余り。主人公のイェルマは、子宝に恵まれないことに焦りを感じています。夫のファンは働き者ですが、子供を持つことには無関心で、ただ家の財産を増やすことと世間体を守ることだけに執着しています。イェルマは、妊娠した友人マリアを羨み、幼馴染のビクトルに対しては、夫には感じない生命の響きを感じて心揺れます。しかし、貞淑な妻としての誇りが彼女を縛り、不貞を許しません。
第2幕:さらに数年が経ちますが、イェルマの腹は膨らみません。村の人々の噂話は激しくなり、夫ファンは妻の外出を制限するため、自分の姉妹を家に呼び寄せ、イェルマを監視させます。家はまるで監獄のようになり、夫婦の仲は冷え切ります。イェルマは自分の体が不毛の荒野(イェルマ)になっていくという恐怖に震え、呪術的な力にすがろうとし始めます。
第3幕:絶望したイェルマは、子授けの利益があるという山奥の巡礼地へ向かいます。そこで老婆から私の息子となら子供ができると誘われますが、イェルマは自分の名誉(血筋への忠誠)を汚すことはできないと激しく拒絶します。そこへ現れた夫ファンは、彼女にこう告げます。「子供なんていなくていい。お前がいればそれで十分だ。楽しく暮らそう」と。この言葉は、イェルマにとって救いではなく、夫には最初から子供を作る気がなかったため、自分の希望は一生叶わないという絶望の宣告でした。激昂したイェルマは、ファンの首を絞めて殺害します。夫を殺したことで、彼女は永遠に母親になる可能性を自ら断ち切り、物語は幕を閉じます。




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