始めに
カルペンティエール『この世の王国』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
カルペンティエールの作家性
1928年から11年間パリに滞在した際、カルペンティエールはシュルレアリスム運動の渦中にいました。カルペンティエールは当初この運動に傾倒しましたが、後にヨーロッパ的な作為的な驚異に疑問を抱き、ラテンアメリカの現実にこそ真の驚異があるとする驚異の現実の提唱へと繋がりました。またロベール=デスノスは親しい友人であり、彼を通じて当時のアバンギャルド芸術の最前線に触れました。
カルペンティエールの文体は、非常に装飾的で濃密なバロック的な特徴を持っています。セルバンテス『ドン・キホーテ』に見られる多層的な現実感や、言葉の豊かさに影響を受けています。スペイン・バロックのケベードにおけるその語彙の豊富さと知的で複雑な表現スタイルは、カルペンティエールの硬質な文体のルーツの一つです。
形式や時間の捉え方において、当時の現代文学の先駆者たちを深く研究していました。プルースト「失われた時を求めて」に見られる記憶と時間の交錯は、カルペンティエールの『失われた足跡』などの時間構成に響いています。ジョイスにおける言語の実験的試みや、神話を現代に重ね合わせる手法を吸収しました。
彼の作品の根底にある「歴史の循環」というテーマには、学術的な影響も見られます。文明の興亡を生物的なサイクルとして捉えるシュペングラーの歴史観は、カルペンティエールがラテンアメリカのアイデンティティを再定義する際の重要な思考の枠組みとなりました。
マジックリアリズム
西洋的な超現実が作為的に作られたものなのに対し、ラテンアメリカの歴史、自然、信仰そのものの中に驚異が実在するという考え方を展開します。作中では、マッカンダルの変身能力やブードゥー教の儀式が、単なる迷信ではなく民衆を動かす現実の力として描かれています。
ブードゥー教を中心としたアフリカ伝来の文化が、支配層に対する抵抗の武器として描かれています。理性的・科学的な西洋の視点では捉えきれない、アフリカ的な集団的エネルギーと信仰の力が、歴史を動かす原動力として肯定されています。
ハイチ革命という歴史的出来事を通じ、抑圧者が変わっても、抑圧そのものは続くという皮肉な歴史のサイクルを描いています。白人の植民地支配から解放されたはずのハイチで、黒人王アンリ=クリストフがかつての支配者と同じかあるいはそれ以上の過酷な強制労働を同胞に強いるパラドックスが提示されます。自由を求めて戦い、勝利しても、また新たな暴君が現れるという権力の空虚さが強調されています。
タイトルの「この世の王国」とは、天上の楽園に対する「現世」を指しています。物語の終盤、主人公ティ=ノエルは、人間が真に偉大になれるのは、苦難に満ちたこの世の王国において、他者のために、そして自らの尊厳のために戦い続ける時であると悟ります。人間の尊厳は、絶望的な状況でもなお自由を求め続けるプロセスにあるというヒューマニズムが、この作品の到達点です。
物語世界
あらすじ
ハイチ革命(18世紀末〜19世紀初頭)という激動の時代を、一人の奴隷ティ=ノエルの生涯を通して描きます。
フランス植民地時代のハイチ。奴隷のマッカンダルは、事故で片腕を失った後、森の薬草の知識を活かして白人たちを毒殺する計画を立てます。彼は捕らえられ処刑されますが、奴隷たちは彼は魔法で動物に変身して逃げ延びたと信じ、不滅の英雄として語り継ぎます。
マッカンダルの意志を継いだブードゥー教の司祭ブックマンが蜂起し、ついに大規模な奴隷反乱が勃発します。ティ=ノエルの主人であるルノルマン=ド=メジはキューバへ逃亡し、ティ=ノエルも同行させられます。そこで彼は、フランスから来たポーリーヌ=ボナパルトの放蕩と、植民地支配の崩壊を目の当たりにします。
自由の身となってハイチに戻ったティ=ノエルを待っていたのは、かつての仲間であったはずのアンリ=クリストフによる黒人王国でした。しかし、この黒人王はかつての白人支配者以上に残酷で、巨大な城塞を築くために同胞の奴隷を酷使していました。民衆の怒りに触れたクリストフは、自ら銀の弾丸で命を絶ちます。
王がいなくなった後、今度は「測量士」と呼ばれるムラートの新たな支配が始まります。老いたティ=ノエルは、かつてのマッカンダルのように動物に変身して現実から逃れようとしますが、ガチョウの群れの中でさえ階級や排除があることに気づきます。
ティ=ノエルは、人間が真に偉大になれるのは、死後の世界を夢見ることではなく、この苦難に満ちたこの世の王国において、自由のために戦い続けることだと悟り、嵐の中に姿を消します。




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