始めに
松浦理英子『ナチュラル=ウーマン』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
一人称視点のリアリズム。等質物語世界の語り
本作品を特徴付けるのは等質物語世界の語り手の村田容子を設定していることです。
本作品とコンセプトとして重なるのは漱石『こころ』やロブグリエ『嫉妬』、谷崎潤一郎『卍』、芥川『藪の中』、フォークナー『響きと怒り』、リンチ監督『ブルー=ベルベット』と言えます。集合行為における一部のアクターを語りの主体にしたり、または一部のアクターにしか焦点化をしないために、読者も登場人物と同様、作中の事実に不確かな認識しか得られるところがなく、限定的なリソースの中で解釈をはかっていくことしかできません。
本作で特徴的なのは容子のキャラクター性です。ひたすら受け身で、またそれによって相手を支配することすらします。マゾフィスティックな欲望を抱えているようでいて、それを主体的に発揮するようなことはせず、相手に仕掛けられることを待っています。
受け身でいることによって、相手にアクションを要求する容子は、ある種暴力的でもあります。容子の受動性はそれによって相手をコントロールするアプローチであって、独特の暴力性を持っています。
受け身とは、自分にリスクを背負わずにある行為を要求することです。たとえば、抑圧的な制度の中での受動性は即ち加害であり、受動的であることにも利己性が見いだせます。
大衆消費社会における大衆は、顔のない主体として受動的に振る舞い、受け身でいることによって支配や加害に加担します。そして、リスクや責任から免れようとします。
容子の受動性もそのような利己性と加害性を見いだせるようなものです。
タイトルの意味
ソウル歌手、アレサ=フランクリンの曲の「ナチュラル=ウーマン」がタイトルの由来です。
「ナチュラル・ウーマン」((You Make Me Feel Like) A Natural Woman)は、1967年の発表で、「あなたが私を素直にしてくれる」というフレーズが有名な、女性の権利解放をテーマともする曲です。
全体的に、この曲は容子の受け身な性格を象徴するものになっています。
物語世界
あらすじ
ナチュラルウーマン
語り手の「私」は19歳のマンガ家の卵の村田容子です。
私は大学の同人漫画誌のサークルで知りあった諸凪花世と、関係をもちます。
しかしバイセクシャルの花世は、晩生の私をあれこれ調教するものの、自分の性器を触らせようとしません。また私の性器も弄ろうともしません。
しかしある日、花世は私の肛門を犯すようになります。それから花世は何度も指を入れてきます。
花世と私は同人漫画誌のスターになります。二人で作品集も出します。
行為中、お金が入ったら一緒に住もうかと花世が言うので、頷いて答えます。花世は無理よと言って、さらにどちらかが死ぬわと言います。その直後、花世は枕元にあった葛湯を私の局部に掛けます。そして葛湯を陰部に塗りたくります。
それからは、花世はスプーンや物干用ロープやヘッドフォンのピングラグを、さらには煙草をさえ私のお尻に差しこみました。
二人一組のサイン会が地方都市で開かれたとき、私はインタビューにで花世の作風について余計なことを言います。その夜、花世は「私を好き」と言いながらスリッパで私を何度も叩き、私が「好き」といえば花世は「嘘つき」と言って、また叩き、そして抱擁しました。
こうして私と花世は別れます。
いちばん長い午後
花世との別れのあと、「私」は男を知ったのち、国際線のスチュワーデスの夕記子と親しくなります。
夕記子も発作的な暴力をふるい、プラスチックの短刀で肛門を突き、粘膜をこじあけました。夕記子は、私のマゾヒスティックに見えるであろう対応に逆に支配されているように思っているようでした。
微熱休暇
25歳になっていた私は、アシスタントの由梨子を誘います。海辺の旅館に連れていって、互いに物のように扱い弄び変形しあうような、あの徹底的にいやらしく愉しい行為をすることを私は思い描いています。
夜半、二人は調理場に出で、蛸を食べることにしました。由梨子は蛸を両手で鷲掴みにすると二つに引き裂き、一方を私に押しつけて自分の分を口元に運びます。




コメント