はじめに
花田清輝『鳥獣戯話』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
花田の作家性
花田はマルクス主義(唯物弁証法)に影響されました。物事は固定されたものではなく、常に変化し続けるという流動的な見方を重視しました。
またロートレアモンやブルトンといった、フランスのシュルレアリスム、アヴァンギャルドの形式主義的実験から強い影響を受けました。
他に花田は、ダ=ヴィンチやマキャヴェッリ、セルバンテスといったルネサンス期や近世の巨人たちを好んで参照しました。
広義にはモダニズムの作家ですが、モダニズムに典型的な意識の流れの手法などはあまり用いず、モダニズムの前史としてのルネサンス芸術、ロマン主義の形式主義的実験を継承する要素がつよいです。
モダニズムと文化人類学
フレイザー『金枝篇』がT=S=エリオット『荒地』に導入されて以降、作家は語りの手法に民俗学、社会学的アプローチをも積極的に取り入れるようになっていきました。フォークナーに見えるアナール学派的な、中央の事件史に抗する心性史としての歴史記述のアプローチは、ポストコロニアルな主題を孕み、ガルシア=マルケス『族長の秋』『百年の孤独』などラテンアメリカ文学に継承されました。
旧来的な中央の事件史としての歴史記述においては、歴史の構造的理解に欠き、そこから捨象される要素が大きすぎましたが、アナール学派は特定のトポスに焦点を当てたり、ミクロなアクターの視点に注目したりして、歴史の構造的把握と、歴史を構成するアクターの単位の修正を図りました。
本作も伝奇風の語り口によって、歴史をマイナーな視点から発見的に語り直すアナール学派的コンセプトが見て取れます。
モンタージュ
ダダイスト(ハンナ=ヘッヒ、ラウル=ハウスマン、ジョン=ハートフィールドなど)はモンタージュを展開しました。伝統的な絵画を否定し、新聞、雑誌、広告といった大量生産されたゴミを切り取って組み合わせることで、既成概念を壊そうとしました。第一次世界大戦後の混乱した社会を、あえてバラバラで支離滅裂な断片の組み合わせモンタージュで表現したりしました。
このモンタージュの手法は映画や漫画などで今も一般的な手法であり、理論的にこうした発想が影響しました。
本作『鳥獣戯話』もこのモンタージュの手法が展開され、つまるところ小説で絵巻物的なモンタージュを展開していて、歴史のなかの数々の存在が動物の寓意に重ねられて物語られるなかで、イメージのモンタージュが作品のなかで展開されます。
物語世界
あらすじ
群猿図
『犬筑波集』の「都より甲斐の国へは程遠しお急ぎあれや日も武田どの」は誰に対する誰の言葉か、と始まり、著者はこれを息子の信玄によって追放された父である信虎が信玄に向けて詠んだ句だと推察します。信玄の弟、信廉は画家であったが、兄と瓜二つだったので常に影武者として兄に同行していたそうです。『甲陽軍鑑』や『三河風土記』によれば、信虎の追放は、親子で打った芝居にも見えますが、著者はやはり信玄によるクーデター説とみます。
そして、風林火山という武田の軍旗は「猿の群れの戦い方」を表している、と言います。猿の群れの戦い方が卑怯だと言われることをおそれなかったと話します。『武田三代軍記』によれば、信虎は白山という名の凶暴な大猿をつつじケ崎館で放し飼いにしていました。
また愛人の一人、小沢の方が武芸に励み、巴御前を気取り、その小沢の方が入浴中に白山が入って大騒ぎとなり、それを斬り殺した家臣を信虎が殺して暴君とみなされ、追放されたのでした。
狐草紙
『醒睡笑』という17世紀の笑話集の著者に先駆けるのは無人斎道有、つまり武田信虎だとします。彼は、駿河に追放されてから、1558年頃には京に移り住み、質屋通いをする公家たちとつきあううちに、足利義昭の御伽衆となり、道有話で一世を風靡しました。
『昨日は今日の物語』という笑話集の中に、織田信長の団子好きが語られているとあり、無人斎道有は信長にとって「釣狐」を彷彿させる存在でした。
九条稙通という、「飯綱の法」という狐を使った魔法の修行にはまった貧乏貴族もあり、信長は風変わりなこの貴族を恐れたといいます。
みみずく大名
16世紀に渡来したイエズス会の宣教師の話から、信長の前で、ルイス=フロイスに伴って日乗上人との宗教論争に立ち会ったポルトガル商人カルモナの話に発展します。彼は以前、腕利きの外科医であり、堺で津田宗久の首にできた腫物を摘出治癒したものの、甲賀者によって信州へと拉致されます。
道有が里心がついて故郷へ向かうと、甲州では信玄が既に没しており、大島城には道有と例のカルモナがいました。
武田家は、種子島以前に火縄銃を所有していたにもかかわらず、それを戦争に応用することなく、水股者という石つぶて集団を養成したりしていました。道有はカルモナの弟子となり、南蛮事情を研究します。
やがてそのカルモナには弟子ができます。織田信忠と婚約していた松姫でした。松姫はカルモナから医術や洋学を学び、カルモナは彼女の飼う梟を「アテナ」と名付けます。




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