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チェスタトン 『木曜の男』解説あらすじ

G.K.チェスタトン
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はじめに

 チェスタトン 『木曜の男』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

保守主義、カトリック

 チェスタトンはドストエフスキーなどと並んで、保守主義を代表する作家で、またカトリックでした。

 親友で詩人でエッセイストのヒラリー=ベロックと親しくして、ベロックとともにカトリックの信仰に加わり、ともに資本主義と社会主義を批判し、分配主義を提唱しました。

 分配主義は、自由主義的資本主義と国家社会主義がもたらす所有権の集中に抗い、小規模な独立職人や生産者、協同組合や会員所有の相互組織、中小企業などに立脚し、そして過剰な資本に対抗するための反トラスト法を支持します。

 チェスタトンの理想はつまるところ、歴史的な日常的実践に根ざす政治を志向したもので、そうした点においてチェスタトンは保守主義者でした。

その風刺的作風

 チェスタトンは保守主義者として、『異端者の群れ』などでバーナード=ショー、ニーチェ、 H.G.ウェルズ、キプリングなどの作家を攻撃しました。

 しかし、ショーとは特に親しくしており、ショーの社会主義を批判する一方で、思想や創作の面でも大きな影響をうけました。

 本作も、寓意的作品ですが、その解釈は難解です。

ペシミズムとニヒリズムの克服

 チェスタトンが目指したのは、ニーチェ的なニヒリズムの克服でした。ニーチェは、キリスト教の歴史的実践の営みを批判し、彼岸に重きをおいて此岸を軽んじ、ルサンチマンに基づく道徳を普遍化して肉体的生を否定するものとして糾弾しました。そして積極的ニヒリズムによって伝統的なキリスト教の権威を否定して、自ら積極的に「仮象」を生み出し、新しい価値を創造していく姿勢を、永劫回帰という宿命論的時間論との関連のなかで肯定しました。

 チェスタトンはむしろこのようなニーチェのニヒリズムを否定し、それとは対照的に死者の民主主義を提唱したことでも知られるように、伝統と歴史の蓄積とそれに対するコミットメントのなかにこそ、その中に生きる個々のエージェントの自己実現と善を見出す保守主義者であり、そこからカトリシズムなどへの着目が起こりました。

本作のおおまかな内容

 作品の寓意や意味するところが難解で、なかなか一義的な解釈を許さない本作ですが、おおまかな流れとしては、ガブリエル=サイムが無政府主義に対抗する秘密警察として雇われ、無政府主義者のグレゴリーと関わって無政府主義の秘密の集会に参加します。そこでは中央評議会に曜日の名前が割り与えられ、サイムは木曜日の地位を得ます。やがて、評議会の日曜日以外のメンバー全員が、実は無政府主義に対する秘密警察で、日曜日も国家権力の庇護者で、その目的のために秘密警察たちを争わせる陰謀を企てたのでした。日曜日はグレゴリーらが評議会の欺瞞を追及するなか、苦難を被ったことがあるか質問され、「汝らは我が飮む酒杯を飮み得るか」という言葉を残し、物語を締めくくります。

 全体的なプロットデザインの特徴として、1.多くの登場人物が目的のために仮初のアイデンティティを纏っていて、また、2.それぞれの登場人物に一定の善や正義がある、ことが指摘できます。

 2の特徴は、まさにそれゆえに、チェスタトンが民衆の日常やその歴史的実践の蓄積に着目し、それに立脚する保守主義を採択する所以であります。

 1についての解釈は難しく、それはニヒリズムと重なるようでもありつつ、仮初のアイデンティティを纏うそれぞれの人物にも苦悩や苦難、信念があることから、むしろ容易に表に現れないその部分の存在を強調し、尊重しようとする形で保守主義に回収される印象もあります。

物語世界

あらすじ

 ヴィクトリア朝のロンドン。ガブリエル=サイムはロンドン警視庁に所属していて、無政府主義者に対抗する秘密警察の刑事です。

 サフラン=パーク郊外に住む無政府主義者の詩人ルシアン=グレゴリーはサイムと詩の意味について議論します。グレゴリーは反抗が詩の基礎だとするものの、サイムは反対し、詩の真髄は変革よりも規則であるとします。サイムはグレゴリーの無政府主義が真剣ではないといい、グレゴリーはそれに苛立ち、内密にするという約束でサイムを無政府主義者たちの秘密の会合に連れていきます。またおおっぴらに無政府主義を支持しているのは自分を無害に見せかけるためで、実際には無政府主義組織の地方支部の有力なメンバーであると明かします。

 秘密組織の中央評議会を構成する7人の男たちは曜日を名前にしており、グレゴリーが所属する支部では新たな「木曜日」を選出する会合が開かれようとしていました。グレゴリーが木曜日に選出される予定だったものの、サイムは秘密にすると約束させつつ自分が秘密警察の一員だと明かします。会合にてグレゴリーは持って回った演説をし、サイムに無政府主義者たちが無害と信じさせようとするものの、演説は無政府主義者たちに不興を買います。サイムはグレゴリーの演説に反対する演説を熱意を込めて披露し、サイムが木曜日となります。サイムはそうして支部の代表として評議会に送られます。

 サイムは評議会を妨害しようとし、やがて評議会の自分と議長以外の5人全員が、自分と同じ変装した秘密警察の刑事だと知ります。5人はそれぞれ刑事として雇われ、評議会を打倒するために潜入させられていました。偽の無政府主義者同士で戦うように仕向けられていて、これは評議会の議長「日曜日」の謀略でした。

 日曜日は独特の論理を繰り広げ、無政府主義者は見せかけで、刑事たちと同様に国家権力の推進者だと明かします。唯一の真の無政府主義者のグレゴリーが偽りの評議会に異議を唱え、権力者たる他の面々はグレゴリーたちのように苦痛を受けたことがなく、そのためにその力を認められないと言います。サイムは評議会の6人が日曜日に与えられた恐怖を引き合いに、それに反発します。

 日曜日は苦難を被ったことがあるか質問され、「汝らは我が飮む酒杯を飮み得るか」という言葉を残します。これは『マルコによる福音書』においてイエスが聖ヤコブと聖ヨハネに伝えた、イエスと同等の栄誉を切望するのを諫める言葉で、原罪を背負うイエスと同じ苦難を背負うことはできないとするものです。

参考文献

・ 山形 和美 (著)『チェスタトン』

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