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安部公房『箱男』解説あらすじ

安部公房
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始めに

 安部公房『箱男』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

リルケのリアリズムと語り

 公房はリルケというオーストリアのドイツ語文学の詩人に影響されました。リルケは印象主義、象徴主義、モダニズムに括られる作家で、その徹底したざらざらとしたリアリズムから、公房は顕著な影響を受けています。『砂の女』や『箱男』に見える徹底した観察の眼差しも、リルケの影響が大きいです。国内では古井由吉などもリルケの影響が知られます。

シュルレアスム、ルイス=キャロル

 安部公房はシュルレアリスムからの影響が大きいです。シュルレアリスムは、既存のアートやモラルへのカウンターとして展開され、そこからカフカ、ルイス=キャロル(『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』)などのナンセンス色の強い幻想文学に着目したりしました。

本作もキャロル(『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』)の影響が顕著で、ナンセンスなテイストが濃厚です。

ポーとカフカの幻想文学

 公房はカフカやポーの幻想文学から影響されました。

 カフカはホーフマンスタール、ゲーテ(『ファウスト』)などの象徴主義、ロマン主義といった幻想文学からの影響が顕著です。加えてフローベール(『ボヴァリー夫人』『感情教育』)、ドストエフスキーなどの写実主義の作家からの影響が顕著です。

 ドストエフスキーは初期には特に前中期のゴーゴリ(「」「外套」)からの影響が強く、ロマン主義文学として端正なスタイルで作品を展開していました。『貧しき人々』『分身』がこうした時期の作品で有名ですが、カフカの作品はドストエフスキーが『罪と罰』などで独特のリアリズムを展開するよりも前の、この時期の作品と重なります。

 またドストエフスキー『分身』は幻想文学としてのファンタジックなモチーフと絡めて、風習喜劇的なリアリスティックな心理劇を展開した内容になっています。『分身』の主人公ゴリャートキンの分身は主人公を出し抜き劣等感を抱かせ、最終的な破滅へと導きます。分身の正体はゴリャートキンの妄想という解釈もすることができますが、正体は分かりません。

 カフカもこうした、ファンタジーなどの非現実的な要素と絡めてリアリズムを展開する手腕に長けていて『変身』『審判』も描きました。この辺りはヴォネガット(『スローターハウス5』『タイタンの妖女』)やドストエフスキーとカフカを愛したハイスミス(『ふくろうの叫び』『太陽がいっぱい』)などと重なります。

 カフカ『変身』は家族という関係を中心にするメロドラマになっています。主人公のザムザは突然、虫になってしまったことで、家族は戸惑い、邪険に扱うようになります。ザムザの孤立と死の顛末、家族の心理がリアリスティックに展開されていきます。虫になるというシチュエーション自体はファンタジックな設定ではあるものの、何か思いがけないトラブルに見舞われたことで家族という関係において孤立するという状況自体はいつどこでも起こり得るものです。このように幻想文学と心理劇をうまく結び付けてカフカは展開しました。

またカフカが『変身』でも展開した、アイデンティティをめぐる実存的テーマは、一貫して公房にとって中心的テーマであり続けます。

 公房も本作などで幻想的かつリアリスティックな心理や描写を展開します。本作は箱男という象徴を用いて、「匿名性」「見ることと見られること」「書くこと」「偽物と本物」、といったテーマを展開していきます。

匿名性と偽物

 箱男という象徴によって、物語の登場人物たち全体の匿名性が設定されていて、キャラクターの名前はほとんど明かされず、肩書によって呼ばれます。

 また、物語の中で中心であった元カメラマンの箱男すら本物であるかどうか分からないことが示唆されていて、全体的に匿名性の強い世界のなかで、偽物と本物の境界線があいまいになっています。

 こうした構造はやはり世の中の諸々の象徴として解釈できます。

語りの構造

 本作は断章ごとに、語り手や視点の代わる非線形の語りになっています。小説を構成するテクストは手記などの第二次の語りも多く、混線した語りになっています。このあたりはテーマも含めてジッド『贋金つかい』と重なります。

 語り手は本物の箱男でもとカメラマンである〈ぼく〉、軍医戦時中に重病に倒れ、激しい筋肉痛を抑えるために麻薬中毒になった軍医のほか、偽医者Cの手記が挿入されたり、語り手は様々に移ろいます。

こうした語りの実験は、書くことについて批判的に言及し、小説というものの前提となっているコードについて異議申しだてします

物語世界

あらすじ

《上野の浮浪者一掃 けさ取り締り 百八十人逮捕》:冬ごもりの季節を控え、上野公園や上野駅周辺の浮浪者を一斉検挙した新聞記事。
《ぼくの場合》:「箱男」の〈ぼく〉自身が、箱の中で「箱男」の記録を書き始めます。
《箱の製法》:「箱男」として行動するためのダンボール箱の寸法や覗き穴の製作方法などが書かれます。
《たとえばAの場合》:Aという男が「箱男」になったきっかけの物語です。ある日、Aのアパートの窓の下に住みついた一人の「箱男」を、Aは空気銃で追い払うめのの、その後自分自身も、冷蔵庫のダンボール箱をかぶり、やがて「箱男」となって失踪します。
《安全装置を とりあえず》:運河をまたぐ県道の橋の下で「箱男」の〈ぼく〉は、「箱を5万円で売ってほしい」と言った〈彼女〉を待ちながら、「ノート」をボールペンで書きます。一旦インク切れで中断し鉛筆で書きます。 〈ぼく〉は「あいつ」に殺されるかもしれないと考え、「ノート」の表紙裏には、「あいつ」(中年男)が空気銃を小脇に隠しながら逃げて行った証拠のネガフィルムを貼りつけてあります。
《表紙裏に貼付した証拠写真についての二、三の補足》:1週間か10日ほど前、〈ぼく〉は立小便のときに肩を空気銃で撃たれ、その逃げる中年男の後姿をフィルムに収めます。〈ぼく〉は「箱男」になる前、カメラマンだったが、しだいに「箱男」になりました。
 中年男が逃げていったその直後、〈ぼく〉の箱の覗き穴に、「坂の上に病院があるわ」と3千円が投げ込まれます。立ち去ったのは自転車に乗った足の美しい若い娘でした。その晩〈ぼく〉が病院に行くと、医者(空気銃の男)と看護婦(自転車娘)がいました。看護婦の〈彼女〉に手当てをされながら麻酔薬を打たれ、ぼくは「箱男」の知り合いのふりをして箱を5万円で売る約束をしていました。〈彼女〉は元モデルだそうです。
《行き倒れ 十万人の黙殺》:新宿駅西口の地下道で、花模様のシャツに長靴の浮浪者が柱のかげで座ったまま死んでいた新聞記事。
《それから何度かぼくは居眠りをした》:「貝殻草」の匂いを嗅ぐと、魚になる夢を見ると〈ぼく〉は書いています。夢の中の「贋魚」は、それが夢か確かめようと、天に墜落しようとし、やがて嵐の日に中空に放り上げられ、空気に溺れ死にます。夢から覚めても本物の魚になれない「贋魚」と、居眠りから覚めても「箱男」のままの「箱男」は、違いがありません。
《約束は履行され、箱の代金五万円といっしょに、一通の手紙が橋の上から投げ落とされた。つい五分ほど前のことである。その手紙をここに貼付しておく》:「箱の始末も一任します。潮が引ききる前に、箱を引き裂いて、海に流してしまって下さい。」という手紙と共に、5万円が投げ込まれた報告です。
《………………………》:自転車で来た〈彼女〉が橋の上から1通の手紙と5万円を投げ込みます。〈ぼく〉は、その動機がわかりません。
《鏡の中から》:夜中、箱をかぶったまま〈ぼく〉は病院へ向います。建物の裏にまわり、電気の点った部屋を鏡で覗くと、〈ぼく〉とそっくりな〈贋箱男〉の前で〈彼女〉がヌードになっていました。〈ぼく〉は嫉妬し、〈贋箱男〉の代りに、自分が箱と手を切ろうとするものの、そのために誰か(彼女)に手を貸してほしいと思いつつ、立ち去ります。
《別紙による三ページ半の挿入文》:ある男の前でヌードになった「わたし」(看護婦)と、その時の「去勢豚のあいつ」(視姦者)のことを聞いている「先生」(医者)の会話文です。「わたし」(看護婦)は裸になり、「あいつ」(視姦者)に薬を注射します。口臭のある「あいつ」は目やにを拭きつつ、様々なポーズを要求します。
《書いているぼくと 書かれているぼくとの不機嫌な関係をめぐって》:〈ぼく〉は、T港と湾を隔てた場所の市営海水浴場のシャワーで身奇麗にします。〈ぼく〉は、以前目撃したB(箱男)の抜け殻(箱)のこと等を回想し、箱を処分してから朝に再び病院を訪ねることにします。
〈贋箱男〉(医者)は、〈ぼく〉が「箱男」当人だと知りつつも知らないフリをして、5万円の返金受け取りを拒みますが、やがて「箱男」が〈ぼく〉だと暗に認め、箱の所有権を譲渡し、〈ぼく〉と〈彼女〉がここで自由にしていいという交換条件に、その行為を覗かせてほしいと頼みます。
〈贋箱男〉は〈彼女〉を名前で呼び、裸になるように指示し、やがて〈ぼく〉に〈彼女〉の至近距離に行くよう促すものの、「覗かれる」ことが嫌な〈ぼく〉は、提案を拒否します。
 〈ぼく〉が、肩を撃たれた時の犯人の証拠物件のネガフィルムを持っていることを告げると、〈贋箱男〉は態度を変えて、箱の覗き穴から空気銃で威嚇します。〈ぼく〉は、砂をぎっしり詰めておいた鰐の縫いぐるみで〈贋箱男〉に応戦し、脛を叩き続けられた〈贋箱男〉は箱の中で縮こまります。
《供述書》:T海岸公園に打上げられた変死体についてのCの「供述書」が書かれます。
 医師見習のC(贋医者)は戦時中に軍の衛生兵をし、その時の上官の〈軍医殿〉の名義を借りて医療行為をしていました。昨年まで同居していた内縁の妻・奈々は〈軍医殿〉の正妻で看護婦でしたが、見習看護婦の〈戸山葉子〉(彼女)がきて別居となります。
《Cの場合》:「供述書」を書いている途中のC(贋箱男)の様子を観察している者(軍医)が語り手です。
「君」(C、贋箱男)が、「ぼく」(軍医)の「ノート」の書き出しと同じ「ノート」を用意しているのを、「ぼく」は見つけます。「君」はすでに明後日の月曜日のこと(ダンボール箱をかぶった変死体が海岸公園に打上げられたこと)を記録しています。「君」のベッドの上には「箱男」そっくりに作ったダンボール箱があります。計画通りに事が進めば、「君」の〈供述書〉は無用だから、破り捨ててほしいそうです。
《続・供述書》:ダンボール箱をかぶった変死体が〈軍医殿〉に間違いないと証言するC(贋医者)の〈供述書〉の続きです。
戦時中、〈軍医殿〉は材木から人間が腸吸収できる糖分の研究中に重病となり、苦痛を抑えようとして麻薬依存になり、戦後はCに診療所の代診をさせていました。〈軍医殿〉は自殺願望が募り、Cの内縁の妻〈奈々〉(軍医の正妻で看護婦)の発案で〈軍医殿〉の名義はCに譲渡されます。また、〈軍医殿〉の自殺を思い留まらせる代りに、見習看護婦の〈戸山葉子〉の裸体を鑑賞させることを〈軍医殿〉はCに要求します。
《死刑執行人に罪はない》:C(贋箱男)の様子を観察している者(軍医)が語り手。
遺体安置室を自分の部屋にしている「ぼく」(軍医)は、「君」(贋医者・贋箱男)が「ぼく」を殺すのを待っています。「ぼく」は、「君」が10日前から準備していた箱(ぼくの棺桶)をかぶって階段を上ってくる「君」の気配を感じます。
 「君」は、「ぼく」が死んだ後の遺体を溺死に偽装するため、肺に海水を流し入れた後、「ぼく」の死体をかつぎ下ろし、ズボンと長靴をはかせ、箱をかぶせて紐で固定しリヤカーで運ぶだろうと思います。
《ここに再び そして最後の挿入文》:〈ぼく〉の記録。
「箱男」が誰かを訊ねるよりも、誰が「箱男」でなかったかを突き止める方が早いといいます。
《Dの場合》:手製のアングルスコープを使って、体操の女教師の隣家の離れのトイレを覗き見ようとする中学生Dの話。現場を女教師に見つかり、ピアノ室でショパンの演奏を聴かされた後、鍵穴から女教師に覗かれながら、そこで服を脱ぐことを命じられます。
《………………………》:元カメラマンの「箱男」(本物)の〈ぼく〉は、本日休診の札のかかっている病院にたどり着きます。〈ぼく〉は、海水浴場のシャワーで身奇麗にし、服を乾くのを待っている間に居眠りをし、目が醒めると服がなかったので、全裸で箱をかぶってズボンを探していたものの、その時に自分とそっくりな「箱男」がいたので、あわてて病院に来ました。〈ぼく〉はそのことを〈彼女〉に説明したところ、〈贋箱男〉の「先生」は箱をかぶって出たそうで、さっき見た「箱男」がそれでした。
箱を脱いだ裸の〈ぼく〉は、裸になった〈彼女〉に迎え入れられます。〈ぼく〉は、ぼくは贋物だが、このノートは本物で、本物の箱男からあずかった遺書だと言います。
《夢のなかでは箱男も箱を脱いでしまっている。箱暮しを始める前の夢をみているのだろうか、それとも、箱を出た後の生活を夢みているのだろうか……》:結婚式には馬車で花嫁の家に出向いて行かなければならないという風習のため、貧しい60歳すぎの父親が息子(ショパンと呼ばれている)のために、ダンボール箱をかぶって馬の代りに荷馬車を引きます。
 道中、ショパンは立小便をし、木陰で彼を待つ花嫁と視線が合い、父親は男らしく引き下がることを諭します。ショパンは父の箱にまたがり、町を出ます。父と息子は、ピアノ付きの屋根裏部屋を借り、ショパンが彼女を想って描いた裸婦像の小さなペン画を、ダンボール箱の中の父親が売り、客は箱に金が入れました。ショパンは世界最初の切手の発明者となるものの、郵便事業が国営化されると贋造者とされ、父の赤い箱だけは郵便ポストとして後世に受け継がれます。
《開幕五分前》:「きみ」(彼女)と〈ぼく〉の間に官能的な熱風が吹きます。
《そして開幕のベルも聞かずに劇は終った》:〈ぼく〉と〈彼女〉は、2か月ほど裸で暮らしたものの、彼女は服を着て出て行きます。階段脇の遺体安置室の存在が二人の間に影を落していたとは言えず、臭気も放置した生ゴミの臭いでごまかしていたのでした。
《………………………》:玄関は最初から〈ぼく〉が釘付けにしておいたし、非常階段の門にも鍵を下ろしたので、彼女家の中にいるはずです。〈ぼく〉は家の電源を切り、箱を脱ぎ裸のまま、〈彼女〉の部屋に入りますが、そこはどこかの駅の隣り合った売店裏の路地になっていました。
 「箱」というものは、内側から見ると百の知恵の輪をつなぎ合せたような迷路で、もがくほど新たな迷路ができて中の仕組みが複雑になる。〈彼女〉もこの迷路の中のどこかにいて、〈ぼく〉を見つけられずにいるのでしょう。

参考文献

・安部ねり『安部公房伝』

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