始めに
アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイ『火星にいった地球人』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
A.N.トルストイの作家性
A.N.トルストイは、自身の遠い親戚でもあるレフ・トルストイや、ツルゲーネフの流れを汲む貴族文学の正統な後継者を自認していました。トルストイからは心理描写の緻密さや、歴史の奔流の中に個人を置く叙事詩的な構成において、多大な影響を受けています。初期の中編小説や短編における、没落していく貴族社会を抒情的に描くスタイルは、ツルゲーネフの文体への傾倒が見て取れます。
作家活動の初期において、彼は当時の詩壇を席巻していた象徴主義の影響を強く受けました。詩人として出発した当初、ブリューソフらの指導を受け、デカダンスや神秘的な象徴主義の語彙を吸収しました。初期の詩作には、バルモント風の音楽的で華美な文体が現れています。
A.N.トルストイは、ロシアにおける初期SFの先駆者でもあります。この分野では、特にイギリスの作家からの影響が顕著です。 『アエリータ』や『地獄の火』には、ウェルズ的な科学的着想を用いた社会批判・冒険譚の構造が明確に反映されています。また幻想的な物語には、ドイツ・ロマン派、特にホフマンの持つ不気味で奇妙な幻想性のエッセンスが混じり合っています。
彼はロシアの古い民話や民衆言語にも深い関心を寄せていました。 言語表現において、アレクセイ=レミゾフが追求した装飾的で古風なロシア語の技法を学び、それを独自のダイナミックな散文へと昇華させました。
メシア主義。宇宙主義
本作の最も顕著なテーマは、ロシア革命のエネルギーを宇宙へと拡張させる革命的メシア主義です。火星(マルス)の文明は、伝説のアトランティスから続く高度な技術を持ちながらも、硬直化し衰退に向かう旧世界(ヨーロッパや帝政ロシアの暗喩)として描かれます。
同行する元兵士グセフは、火星の抑圧された労働者階級を組織し、力強く革命を主導します。これは停滞した文明を打ち破る若々しいソビエトの活力という当時のプロパガンダ的側面を反映しています。
当時のロシアで流行していたロシア・コスミズム(宇宙主義)の影響もあります。地球という狭い場所を超え、宇宙へ進出することで人類は次の段階へと進化するという楽観主義が根底にあります。アトランティスの子孫が火星に文明を築いたという設定は、文明は誕生し、全盛を極め、やがて没落するという円環的な歴史観を提示しており、当時の西欧没落論へのトルストイなりの回答とも読み取れます。
孤独と再生
一方で、主人公のエンジニア、ロスが抱える個人的な孤独と再生も重要なテーマです。ロスは地球での生活に空虚さを感じ、亡き妻への思いや孤独から逃れるように火星を目指します。火星の王女アエリータとの悲劇的な恋は、革命という集団的なダイナミズムとは対照的な、極めて個人的で内省的な救済の象徴です。
彼女はロスにとっての永遠の女性であり、知的な探求の果てに見出す愛の理想形として描かれています。
物語世界
あらすじ
物語の舞台は、ロシア内戦直後の動乱が残るペトログラード。孤独な天才エンジニアのロスは、自ら設計した全金属製の宇宙船で火星への飛行を計画します。彼は壁に共に火星へ行く者求むという奇妙な広告を出し、それに応じたのが、退屈な平和に飽き足らない元赤軍兵士のグセフでした。
二人が火星に到着すると、そこには地球よりも遥かに進んだ、しかし衰退の一途をたどる不思議な文明がありました。火星人たちはかつて地球から逃れてきたアトランティス人の子孫であり、火星の過酷な環境の中で、冷徹な独裁者トスクブによる統治が行われていました。
火星で、ロスとグセフはそれぞれ全く異なる行動をとります。ロスはトスクブの娘である王女アエリータと恋に落ちます。アエリータはロスに火星の数千年にわたる歴史や、アトランティスの伝説を語り、二人は知的な共鳴と情熱的な愛を深めていきます。 一方のグセフは、火星の労働者たちが劣悪な環境で虐げられていることを知ると、火星にもソビエトを樹立すると宣言。持ち前の行動力で労働者たちを組織し、武装蜂起を指導します。
革命は当初成功をおさめるかに見えましたが、トスクブが持つ圧倒的な科学兵器の前に、労働者軍は壊滅的な打撃を受けます。ロスとアエリータの愛もまた、この政治的混乱に巻き込まれ、アエリータは毒を飲まされて幽閉されてしまいます。
グセフに引きずられるようにして、ロスは命からがら宇宙船で火星を脱出し、地球へと帰還します。再びペトログラードに戻ったロスは、かつての虚無感の中に沈みますが、ある日、ラジオからかすかな異星の信号をキャッチします。それは、遥か火星からアエリータが呼びかける「ロス、どこにいるの、ロス……」という、切なくも美しい愛の声でした。




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