始めに
フォンターネ『罪なき罪 : エフィ・ブリースト』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
フォンターネの作家性
フォンターネは長年ロンドンに特派員として滞在しており、イギリス文学から多大な影響を受けました。 初期から中期にかけて、スコットの歴史小説やバラッドに深く傾倒しました。フォンターネの初期の詩作や、歴史への関心はスコットがルーツにあります。サッカレーにおける社会を風刺的に、かつ写実的に描く手法は、後のフォンターネの社会小説の形成に寄与しました。
フォンターネはフランスの現代文学を鋭く注視していました。フローベールの特に『ボヴァリー夫人』との類似性は、フォンターネの代表作『エフィ・ブリースト』においてもしばしば指摘されます。不倫や社会制度に縛られる女性の悲劇というテーマにおいて、フランス写実主義の手法をドイツの土壌に応用しました。フォンターネはゾラの自然主義に対しては批判的な距離を保ちつつも、その観察眼と時代の描き方には強い関心を持っていました。
ロシア文学の中でも特にツルゲーネフを高く評価していました。ツルゲーネフの控えめな心理描写や、会話を通じて人物像を浮き彫りにする情景的な手法は、フォンターネの後期の文体に共通する特徴です。
ドイツ文学の巨星であるゲーテからは、教養小説の伝統や、洗練された会話の重要性を継承しています。フォンターネはゲーテを到達すべき指標として常に意識していました。
モラルと感性
フォンターネ自身が作中で 社会的な何かと呼んだ概念が最大のテーマです。主人公エフィの夫インシュテッテンは、妻を愛していながらも、社会の掟に従って、数年も前の過去の過ちを理由に決闘を行い、エフィを追放します。登場人物たちは、自分自身の感情よりも世間からどう見られるかという基準で行動せざるを得ない、プロイセン的な規律社会の犠牲者として描かれています。
エフィというキャラクターを通じて、生命力あふれる自然と、それを抑制しようとする教養・社会の対比が描かれます。冒頭のブランコの場面は、自由を愛するエフィの野生的な性質を象徴しています。しかし、結婚によって彼女は退屈と厳格なマナーという閉鎖的な空間に閉じ込められていきます。彼女の不倫は背徳的な欲望というよりは、あまりに若くして社会の歯車に組み込まれたことへの、無意識的な逃避として描写されます。
中国人の幽霊
作中に登場する中国人の幽霊の噂は、単なる怪談ではなく、重要な象徴的役割を果たしています。インシュテッテンが教育のために利用するこの幽霊は、エフィを心理的に追い詰め、家庭内の不穏な空気や、彼女が抱く罪悪感を可視化しています。 厳格なプロイセン社会において、理解不能な異物が排除される、あるいは恐怖の対象となる構造を示唆しています。
フォンターネ特有の会話劇において、重要なことはしばしば語られません。決闘の前夜のインシュテッテンと友人の会話に見られるように、論理的には許すべきだと分かっていても、社会的な言語がそれを許さないというパラドックスが描かれています。
エフィが最期に、自分を追い出したインシュテッテンに対して彼もそうせざるを得なかったと許しに近い理解を示す点は、悲劇性をより一層高めています。
物語世界
あらすじ
貴族の娘で、天真爛漫な17歳のエフィは、かつて母親の恋人だった20歳年上のプロイセン官僚インシュテッテンと結婚します。二人は北ドイツの辺境の町ケッシンに移り住みますが、生真面目で仕事一筋の夫との生活は、自由奔放なエフィにとって退屈で息詰まるものでした。さらに、家に出没するという中国人の幽霊の噂が彼女を精神的に追い詰めます。
そんな折、ケッシンに赴任してきた享楽的な軍人クランパス少佐がエフィに近づきます。夫の不在がちな寂しさから、エフィは彼と短期間の不倫関係に陥ります。しかし、夫がベルリンの中央官庁へ栄転することが決まり、エフィはクランパスとの関係を断ち切り、過去を封印してベルリンでの幸せな生活を始めます。
それから数年後、エフィが療養先に出かけている間、夫インシュテッテンは偶然にも彼女の宝石箱からクランパスとの古い手紙を見つけてしまいます。インシュテッテンは、今さら妻を愛している自分に気づきながらも、プロイセンの名誉の掟に従い、クランパスに決闘を申し込み彼を射殺します。エフィは即座に離婚を言い渡され、最愛の娘とも引き離されます。さらに実家の両親も、世間体を重んじて彼女の帰宅を拒絶しました。
エフィはベルリンの片隅で孤独で窮乏した生活を送りますが、やがて心身を病んでしまいます。死の間際になってようやく両親に引き取られ、生まれ故郷のホーエン=クレメンで息を引き取ります。彼女は最後に、自分を追い出した夫を責めるのではなく、彼もそうせざるを得なかったのだという諦念の言葉を残して29歳の生涯を閉じました。




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