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イヴリン=ウォー『スクープ』解説あらすじ

イヴリン=ウォー
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始めに

イヴリン=ウォー『スクープ』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

ウォーの作家性

​ ウォーの初期の作風に最も技術的な影響を与えたのは、世紀末デカダンスの流れを汲むロナルド=ファーバンクです。断片的な対話の構成や、ミニマリズムに影響しました。またウォーはP.G.ウッドハウスを師匠と呼び、その完璧な英語の文章を崇拝していました。


​ ​ H. ベロックとG.K. チェスタトンは、ウォーが1930年にカトリックに改宗する精神的な支柱となりました。ブルジョワ社会への懐疑、保守主義を継承しました。​特にベロックの好戦的なカトリシズムと、文明の衰退に対する歴史観から示唆を受けています。


​ また​詩人エリオットが『荒地』で描いた「荒地」のイメージは、戦間期の混乱を生きるウォーの世代に共通の背景を与えました。​代表作『一握の塵(A Handful of Dust)』のタイトルは、エリオットの『荒地』の一節から取られます。


​ ほかにサッカレーも、ウォーの諷刺家としての視点に影響を与えています。上流階級や中産階級の虚飾を剥ぎ取る社会諷刺の姿勢を受け継ぎます。

ジャーナリズムの腐敗

​ テーマは、ニュースはいかにして作られるかという点にあります。​新聞社(デイリー・ビースト紙)や記者たちは、現地の真実を伝えることよりも、読者が喜びそうなセンセーショナルな物語を捏造することに奔走します。記者たちは最前線に行く代わりに、ホテルのバーで互いに情報を交換し、想像力で記事を書き上げます。またコッパー卿のような新聞王が、自分の思い込みだけで部下に無理難題を押し付け、部下はおっしゃる通りですと忖度して真実を伝えない歪んだ構造が描かれています。
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 物語の推進力となっているのは、呆れるような勘違いです。有名な小説家ジョン=コートニー=ブートと間違われ、田舎の自然コラムニストであるウィリアム=ブートが特派員として戦地に送られます。

 ジャーナリズムの知識も野心もゼロのウィリアムが、偶然と幸運の連続によって、ベテラン記者たちを差し置いて世紀のスクープをモノにしてしまうという皮肉が描かれています。


​ ウィリアム=ブートというキャラクターを通じて、野心に満ちた近代社会と静かな伝統的生活の対比が浮き彫りになります。​彼にとっての幸せは、特派員としての名声ではなく、実家の静かな田舎でネズミや花の観察をすることでした。この場違いな男の視点が、ジャーナリズムの狂乱をより際立たせています。

物語世界

あらすじ

 ​物語の舞台は、ロンドンの巨大新聞社デイリー・ビースト。新聞王コッパー卿は、東アフリカの架空の国イシュマエリアで起きた内戦を取材するため、高名な小説家ジョン=コートニー=ブートを特派員として派遣しようとします。


 ​しかし、手違いで呼び出されたのは、同姓同名のウィリアム=ブート。彼は田舎でネズミや植物についてのコラムを書いている、野心ゼロの地味な青年でした。混乱の中、ウィリアムは断る間もなく、大量のキャンプ用品とウーリッツァーのオルガンなど不要な荷物を抱えされて戦地へ放り出されます。


​ 現地に到着したウィリアムを待っていたのは、世界中から集まったプロの記者たちの異常な世界でした。​記者たちは、何が起きているかよりも他社に負けない刺激的な記事を書くことだけに執着しています。​誰も真実を知らないまま、酒を飲み、噂を流し合い、架空の戦況を報告し続けます。

 ​右も左もわからないウィリアムは、他の記者たちが大ニュースがあるというデマに踊らされて奥地へ向かう中、ひょんなことから首都に取り残されてしまいます。


​ ​一人取り残されたウィリアムですが、そこで偶然にも、政変の核心に触れる決定的な場面に遭遇します。彼は自分が何をしているのかもよく分かっていないまま、ただ見たことを本国に打電。これが結果として、世界中のどのプロ記者も成し遂げられなかった世紀の特ダネとなります。


 ​ロンドンに凱旋したウィリアムを待っていたのは、英雄としての熱烈な歓迎でした。しかし、当のウィリアムは名声などこれっぽっちも欲しくありません。結局、手柄(と騎士号の授与)は最初に行くはずだった小説家の方のブートに譲られ、ウィリアムは愛する田舎へと戻り、再び静かにネズミの観察を続けるのでした。

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