始めに
田山花袋『重右衛門の最後』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
自然主義文学(ハウプトマン、ゾラ)
田山花袋は自然主義に括られる作家で、ゾラ(『居酒屋』『ナナ』)、モーパッサン(『脂肪の塊』『女の一生』)、ハウプトマンなどの自然主義からの影響が顕著です。
ただ自然主義文学というジャンルにおいてその作家性、作風というのはかなりまちまちです。例えばゾラ(『居酒屋』『ナナ』)が『実験小説論』で構想したのはベルナールの医学、行動を決定する要素の科学、テーヌの歴史学を参照にしつつ、人間の社会的実践の構造的理解を試み、それを美学的再現のレベルで反映しようとしたものでした。ルネサンス以降の絵画が解剖学的知見を背景に人体の構造的なデッサンを試みたのと同様に、ゾラも人間の社会の中での行動、実践を科学によって構造的に把握、再現しようとしたのでした。ところがゾラも科学、理性への信頼から次第に自然主義文学から空想的社会主義をテーマとする作風へと晩年は変遷していきます。そもそもゾラの掲げる自然主義自体がざっくりした理想で、方法論レベルではプリミティブなので、本人やそのフォロワーの傾向もまちまちです。
このように、自然主義の代表的な作家においてもキャリアの中で作風はいろいろです。またゾラが当初掲げていた科学的知見による構造的な人間行動の把握や社会改良のコンセプトをあまり重視しない作家も見えます。
なので花袋の美学的な戦略もキャリアの中で変遷があることを踏まえつつ解釈していかないといけません。
「露骨なる描写」に見える美学的意匠
「露骨なる描写」に見える花袋の美学的戦略を解釈して行くと、人間の行動や社会における実践を具に観察再現し、しばしばロマン主義的意匠の元では捨象されてしまう倫理的な不道徳だったり美的な醜悪さだったりを記述し、その崇高さが喚起する想像力に着目するものと言えます。崇高さとは快と不快が入り混じった情動を喚起する性質です。ゴシック文学に代表される恐怖小説は概してこの性質を用いるものですし、死の喚起する情動に着目する墓地派、象徴主義文学、不気味なものに着目するシュルレアリスムなどもこのような美学的戦略がしばしばとられます。
花袋もそのような部分があるためか、一時期象徴主義のユイスマンスに傾倒することもありました。
ゾラは環境と遺伝がもたらす悲劇を描きましたが、本作も遺伝と環境で歪んだ重右衛門の悲劇を描きます。
遺伝と環境が生んだ性格悲劇
本作は遺伝と環境によって人格が歪んでしまった重右衛門の悲劇を描いています。
語り手は「自分」こと富山で、私立学校時代の教え子の故郷を訪れ、そこで問題を起こしている重右衛門の話を知ります。
藤田家の夫婦養子の子供が藤田重右衛門です。祖父母の寵愛を受けるものの、重右衛門は生まれながらの大睾丸でした。幼い頃からこのためいじめられ、同情する祖父母から溺愛され、自分を不具にした父母への憎悪があって、重右衛門と父母との仲は悪化してしまいます。祖父母の死や結婚の失敗からいよいよ重右衛門は攻撃的になり、周囲への憎悪を募らせて放火を繰り返すようになってしまいます。
遺伝的な要因、家庭や学校などの環境的要因から性格に問題が現れて重大な犯罪に走るというのは、現代でも結構ある、社会の暗い現実です。
物語世界
あらすじ
「自分」こと富山は16歳のときに東京に遊学し、麹町の中6番町の速成学館という小さな私立学校で、山県、根本、杉山という青年たちと親しくなります。しかし、彼らは挫折し、次々と故郷の長野県塩山村へ戻ります。
それから5年後の夏、富山は塩山村を訪れ、消火演習をしている村人の中に根本を見つけます。根本の家で富山は、放火騒動のために、村が恐怖を味わっているといいます。犯人はこの村の藤田重右衛門という中年の男で、身寄りのない少女を手先に放火をさせ、この少女が人間離れした敏捷さで逃げ回っているそうです。
藤田家は、かつては田の十町もあり小作人も何人かいたことのある家柄で、祖父母も好人物でした。子がないため夫婦養子を迎え、その間にできたのが重右衛門です。祖父母の寵愛を受けるものの、重右衛門は生まれながらの大睾丸でした。幼い頃の重右衛門は、そのために友達から馬鹿にされ、同情する祖父母から溺愛され、自分を不具にした父母への憎悪があって、重右衛門と父母との仲は悪化します。重右衛門17歳の時、祖母が老衰で死に、養蚕事業に失敗して田地を失った父母は、彼を祖父の元に置いて家を出ます。溺愛する祖父との生活は、彼をさらに荒れさせます。重右衛門は湯田中の遊廓で女遊びにはまります。22歳で祖父が死ぬと、重右衛門は帰ってきた父母を追い出し、家の財産を抵当に遊び歩きます。
その後、身を固めようと村人の世話で妻をもらうものの、1子ができず、妻は猟師と密通します。
重右衛門は身を持ち崩し、抵当に取られた家に火を放って監獄へ送られます。数年経って出てきても、村人たちは重右衛門を持てあまし、重右衛門も村人への反感も高まって怒り、放火騒動が起こるようになりました。
富山が、根本、山県らと思い出話をしている最中、山県の家に放火され全焼し、その翌日には根本の家が燃えます。
小火で済んだものの、その手伝酒の席に、自ら火をつけながら現れた重右衛門は、村人に惨殺され田池に遺棄されます。警察はこれを泥酔して田池に落ち溺死したものとします(このあたりの事情は暗示的に描かれています)。重右衛門の死骸はかの少女の手によって焼かれ、その夜、全村が火に包まれます。
翌日、富山は焼け跡から、少女の焼死体を発見しました。
参考文献
・福田清人編、石橋とくゑ著『人と作品 田山花袋』




コメント