始めに
始めに
今日はローラン=ビネ『HHhH (プラハ、1942年)』についてレビューを書いていきます。コンラッド『闇の奥』以降、特に重要な歴史文学です。
語りの構造、背景知識
等質物語世界の語り手であり作者の分身たる「僕」、物語世界外的語り、焦点化の実験
この作品のコンセプトは、なんといっても歴史小説としての語りの構造の卓抜さです。語り手は、等質物語世界の作者の分身たる「僕」で、ナチスのラインハルト=ハイドリヒ暗殺についてを、もっぱら物語世界外から語る構造になっています。
近い所でいうと、司馬遼太郎の諸作品(『坂の上の雲』など)、安岡章太郎作品(『大世紀末サーカス』)にそうした構造が見られるでしょうか。両者は共に、作者の分身である等質物語世界内の語りの主体が、基本的には語られる対象を物語られる対象のある世界の外から語ります。けれども司馬文学と本作品が決定的に異なっているのは、司馬の作品は単にそうした形で歴史的事実をフィクションとして再現するにすぎないのに対して、この作品はむしろ、資料や個人的な観察、取材の経験に基づいて、過去の歴史的事実を解釈しようとする、そのプロセス自体を小説にしているという点です。これは大江健三郎『水死』やゴダール監督『ゴダールのリア王』、谷崎『吉野葛』、後藤明生『吉野太夫』など、創作を生み出すプロセスそれ自体を小説とする作品と近いと言えます。
アナール学派以後の実証主義
この作品の特徴はなんといってもその実証主義的な歴史解釈のアプローチです。憶測や価値判断を交えてしまうことへの懸念や訂正過程が作品の中に記述されています。ここでは徹底的に資料や歴史的事実と誠実に向き合う中で過去を解釈しようとするプロセス自体を小説にしているのです。
コンラッド『闇の奥』やT=S=エリオット『荒地』以降、文学は歴史学、文化人類学、社会学的記述、解釈アプローチを積極的に語りに取り入れてきました。そうした中にフォークナー『響きと怒り』、大江健三郎『万延元年のフットボール』、ガルシア=マルケス『族長の秋』『百年の孤独』などの作品が生まれてきました。この作品はそうした展開の中でも先駆的な試みです。
ラインハルト=ハイドリヒ暗殺
ナチスの高官ハイドリヒと、その暗殺は『死刑執行人もまた死す』『ヒットラーの狂人』『暁の7人』『謀議』『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』など、過去に何度も映画化され、本作も『ナチス第三の男』として映画化されています。けれども映画化は本作のコンセプトを踏まえるものではなく、ベタな伝記映画に収まっていますが、まあ止むを得ない脚色とは思います。
本作のコンセプトはむしろ、文学的、物語的な歴史記述を徹底的に廃し、徹底的な資料考証と実証のプロセスに拘るという点でしょう。そうした意味で本作品はヌーヴォーロマン的なアンチ=ロマンと言えるのかもしれません。なので私には、集合行為に組み込まれた一個のエージェントの視点から、その現象的経験の時間的経過を記述し、他者の行為の背後にある意図や目的といった物語的な因果関係について、その絶えざる認識の修正を描き続けるロブグリエ『嫉妬』と、個人的には重なります。
総評
斬新なスタイルの歴史小説
最も重大な現代文学のマスターピースの一つです。おすすめ。




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