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大江『僕が本当に若かった頃』解説あらすじ

大江健三郎
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始めに

大江『僕が本当に若かった頃』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

全体としての特徴

 オペラ台本である「治療塔」(『治療塔』のオペラ化)以外の作品は大江の分身である「僕」を語り手としています。

 ただ内容は連作短編というのではなくて、別々に発表した作品をまとめた作品集になっています。そのため、作品の傾向はまばらです。

各作品

火を巡らす鳥

 本作は、『個人的な体験』などに代表される大江健三郎とその子光さんをめぐる物語になっています。

 光さんが鳥の声を聞き分ける才能を持っていたと描かれます。鳥は大江にとって、純粋さの象徴でもあって、『個人的な体験』や『鳥』などに描かれます。

 伊東静雄の詩「鶯」と父子の関係が描かれていきます。鳥の存在に超越的なものを感じる展開は『みずから我が涙をぬぐいたまう日』の「月の男」と重なります。

「涙を流す人」の楡

 万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』『水死』などの作品で描かれる、父や先祖のスキャンダルをめぐる物語です

 かつてキリスト教徒の朝鮮人労働者が子供を埋葬したところ、父親たちが他所者の遺体を先祖代々の墓所に埋められては困ると掘り返しにいったのではないかとぼんやり疑っていて、N大使との話でそれが確信に変わります。

 けれども最終的に、亡父へのその誤解は晴れ、精神的に和解することとなります。

宇宙大の「雨の木(レイン・ツリー)」

 『「雨の木」を聴く女たち』の後日談で、創作を巡るストーリーになっています。またこうした派生作品をつみかさね、過去のテクストにそこで言及することで、虚実の境界を曖昧にするのが大江の手法の特徴です。

 ダンテ・ガブリエル・ロセッティの詩行を読んで、僕が書きあぐねていた「不死の人」をめぐる小説を書こうとするまでを描きます。

 ロセッティはラファエル前派を代表する画家で、詩も手がけました。代表作「ベアタ=ベアトリクス」は大江が着目する詩人ダンテの『新生』を下敷きにする内容です。

夢の師匠

 少年時代の不思議な記憶「夢を見る子供」と「夢を読む人」のことが思い起こされ、やがてオペラの台本を構想します。そのオペラの中のモチーフに『治療塔』が現れ、連続性が描かれます。 

 本作の設定はその後『宙返り』に継承されます。

 また本作に出る武満徹は『空の怪物アグイー』のモデルと思われます。

 『治療塔』自体のオペラ化も、本書にあります。

ベラックヮの十年

 個人的な体験』の火見子のような、ファム・ファタル的な誘惑的な女性との物語です。

 四十歳を過ぎて『神曲』を原語で読もうと発心した僕はイタリア育ちの女子大生の由木百合恵さんを家庭教師にしてイタリア語を勉強し、彼女から性的誘惑を受けます。断るものの、十年後に再度また誘惑を受けます。

 自分は悔い改めるのが遅かったので急いでも煉獄の門を直ぐには通れないと怠惰に過ごすベラックヮに自分を重ねて、誘惑への躊躇いと揺れ動きを描きます。

マルゴ公妃のかくしつきスカート

 性的魅力を持ち、「教会」に熱烈な信奉をよせていたマリアさんの目的が、最終的になくなった子供を再生させようとしていたと分かります。

 色情狂で死体を携帯していたことから、マリアさんはマルゴ公妃に準えられます。

 やがてマリアさんに恋し、いなくなった彼女を探し出すと電話で僕に告げた篠君もその後消息を断つのでした。

僕が本当に若かった頃

 本作は大江健三郎の得意なメタフィクションです。本作『僕が本当に若かった頃』の創作背景が作品の中で描かれることで、虚実の境界線が曖昧になります。折原一、三津田信三のミステリでも見られるデザインです。

 また、靖一叔父さんという人物の過去の罪のトラウマの物語になっていて、このあたりは『万延元年のフットボール』『キルプの軍団』などと共通です。

茱萸の木の教え・序

河馬に嚙まれる』所蔵の短編にも出てくる従妹タカチャンの死が描かれます。

 タカチャンが京都の大学の人類学研究室に勤めていたころは学生紛争の最中で、建物を占拠した学生らの騒動の巻き添えで頭部に大怪我を負います。タカチャンは癲癇を発症し、長い病床生活を経て、三年前に亡くなりました。僕はタカチャンの若い頃の日記を読みながらタカチャンとの思い出を回想します。日記によると、タカチャンは伯父の家の庭に植っていた茱萸の木を通じて神秘的なヴィジョンとして世界の進み行きの全体を見ており、自分の運命も見通していたそうです。僕がこの文章について妹と話すと、妹はタカチャンは自分の不遇な人生を自分に納得させるために茱萸の木の話を作ったと考えます。 

 タカちゃんの神秘的な力は本当か妄想か、よくわからないままです。

 

物語世界

あらすじ

火をめぐらす鳥

 伊東静雄の詩「鶯」を僕は少年のころから愛好しました。この詩を僕は個を超えた、そして個を含みこむ共通の魂がある、と解釈しました。

 僕の長男は頭蓋に障害を持って生まれて、知的な障害を持っています。しかし彼は音楽の才能があり、幼児のころには多数の野鳥に声を聴き分けることが出来るようになりました。そこから僕はこの詩のことを想うのでした。

 息子が小学校の特殊学級に入学すると鳥の声に興味を示さなくなり、僕も妻もがっかりします。また僕は研究書を読んで詩の解釈が誤っていたことを知ります。

 現在のこと、僕は福祉作業所に通う息子を送るために二人で駅のプラットホームに立っています。電車がホームにはいってくると息子が癲癇をおこし、電車に倒れかかります。それを防ごうとした僕は転倒し、頭を強くうち流血するのでした。

 仰向けになったまま息子を安心させるために声をかけたところ、斜め上方から響いてくる鳥の声について、またあきらかにそれ以上のものについて、息子は答えます。「ウグイス、ですよ」と。

 僕は自分の詩の解釈そのもののような息子と自分の魂を意識します。

「涙を流す人」の楡

 僕は文学賞の授賞式に出席するためにブリュッセルのN大使の公邸の離れに妻といます。

 パーティの翌朝の朝食の席で、N大使は顔色がすぐれません。妻に話すと、妻は鬱屈しているのはむしろ僕のほうではないかといいます。実際、公邸の庭に立つ巨大な楡の木に、少年時代のある記憶を呼び起こされているのでした。

 僕はその記憶をN大使に話します。僕が七、八歳のころ、山遊びからの帰り道、村の外れの楡の木の根方で、人々が埋葬を行っていました。そしてその夜、父親たちが鶴嘴やスコップをもって出かけていく気配を漠然と覚えています。僕は父の早死にとこれに関連があると思っています。

 N大使はこの話について、キリスト教徒の朝鮮人労働者が子供を埋葬したところ、父親たちは他所者の遺体を先祖代々の墓所に埋められては困ると掘り返しにいったと解釈します。自分でも疑っていたことを明確に意識化させられて僕は涙します。

 N大使は肝臓癌でなくなります。僕の故郷では道路の新設工事の際に十字架とハングルの記された堅牢な墓石が見つかりました。これにより、亡くなった父との和解もなされます。

 僕はN大使の葬儀の弔辞で、談論において常に自分の思い込みを越える展望を開いてくれたことに感謝を述べました。

宇宙大の「雨の木(レイン・ツリー)」

 僕はフランクフルトで開催されたブックフェアにパネラーとして参加。そこに『「雨の木」を聴く女たち』で描いたことのあるアガーテとペニーが訪ねます。同地でペニーの夫・高安カッチャンの息子でロックミュージシャンのザッカリー・K・高安の新しいアルバム『宇宙のへりの鷲』のプロモーションが行われる予定で、彼女らは僕の参加を強要します。

 プロモーションの記者会見でアガーテは僕の作品は高安カッチャンの思想に大きな影響を受けていると説明します。

 僕はペニーから郊外のドライヴに誘われます。車中でペニーは、高安カッチャンは形ある作品を残さずに死んだが、長大なノートに構想は示されており作品を作ったも同然だと主張します。僕も作品を準備する、作品を書きあげる、この両者に本質的な違いはないと同意します。ペニーは僕に高安カッチャンの構想の実現としてのザッカリーの音楽をカーステレオで聴かせようとするものの、僕はいま自分が書きあぐねている作品を形にするまではそれを聴くのを避けたいのでした。ペニーは僕のために、音楽の再生を止めます。

 そこから時が過ぎて、今朝のこと、先輩の文学者Sさん(清水徹)から贈呈された著作にあったダンテ・ガブリエル・ロセッティの詩行を読んで、僕は書きあぐねていた「不死の人」をめぐる小説の始動を感じます。この小説を書き上げたら、ザッカリーの音楽、宇宙のへりの鷲の羽ばたきの懐かしい羽音に耳を傾けられると感じます。

夢の師匠

 敬愛していた作家の葬儀の後に喫茶店でビールを飲みながら、作曲家Tさん(武満徹)から彼が作曲するオペラの台本を書くようにいわれます。その題材に、少年時代の不思議な記憶「夢を見る子供」と「夢を読む人」のことが思い起こされます。僕はこの記憶と類似する事例を『平田篤胤全集』、ゲルショム・ショーレムの『ユダヤ神秘主義』で読んだことがありました。

 そして三幕のオペラ台本が置かれます。青年の「夢を見る人」が見る予知夢を壮年の「夢を読む人」が解釈して言葉を与える、という形で二人組が未来予知をしています。壮年が出資者を募って会を主催して経済界の大物たちの事業判断のために予知をします。青年は力をそんなふうに使われるのに不満です。

 青年は同じ考えを持つ出資者の娘と壮年のもとを離れます。青年と娘を中心にコンミューンが出来上がり、娘が夢の読み手となって未来予知をします。夢では核戦争で荒廃した地球から優秀な人間が選抜されて、大多数を置き去りにして宇宙船団で旅立っていく未来が語られます。青年は夢を見る能力を使いすぎて消耗して死んでしまいます。娘は青年との間にできた子供を連れて壮年のところへ行き、自分を新しい「夢を見る人」にしてほしいと懇願します。娘は「夢を見る人」がいなくなると若死にした青年の生涯もコンミューンの活動も無意味になると言います。壮年が夢を読み、娘ではなく子供が夢を見始めます。壮年と娘が夢を読み唱和し、宇宙船団の未来が語られます。

治療塔

 本作は『治療塔』の戯曲化で、あらすじはそちらと同じです。

ベラックヮの十年

 僕は十七歳の頃に初めて『神曲』を読んで以来、自分は悔い改めるのが遅かったので急いでも煉獄の門を直ぐには通れないと怠惰に過ごすベラックヮに惹かれます。

 四十歳を過ぎて『神曲』を原語で読もうと発心した僕はイタリア育ちの女子大生の由木百合恵さんを家庭教師にしてイタリア語を勉強します。

 ある日百合恵さんが塞ぎ込んでいて、事情をきくと、妊娠したそうです。百合恵さんはカトリック教徒であり中絶はできません。ボーイ・フレンドは結婚に逃げ腰でした。百合恵さんは僕が作家として行き詰まっていることを指摘して、自分と結婚してイタリアで新暮らすようにいいます。そして僕の書棚にあった前衛芸術家の回顧展の図録の死体愛好的な図像を真似て「局部」を見せて僕を誘惑します。何か「欠落しているもの」があると思い、それ故に拒まれている感じがして、誘惑を拒みます。

 やがて外出先から妻が帰宅します。妻は百合恵さんと話をして普通の妊娠ではないとみて彼女を産婦人科に連れて行きます。結果、彼女は想像妊娠であったこととわかります。その後、百合恵さんは僕と同年輩のイタリア人と結婚しました。

 十年ぶりに僕の家に遊びに来た百合恵さんは、妻が近所のスーパーに買い物に出ている間に、二人で罪をおかしましょう、と僕を誘惑します。僕がためらうと、彼女の表情に若わかしくみずみずしい羞恥の発露が見えます。十年前の誘惑のときも、同じ表情はあったはずだが、僕はそれを見ずに拒まれていると感じました。「──十年間、遅かった」と僕はいうのでした。

マルゴ公妃のかくしつきスカート

 テレビの取材で知り合ったカメラマン篠君がフランス・ユマニスムの大家W先生(渡辺一夫)の弟子である僕にマルゴ公妃のことを聞きにきます。

 マルゴ公妃は色情狂として知られ、かくしつきスカートに愛人の心臓を十四個隠し持っていたとされます。篠君はマルゴ公妃について知ることが恋するマリアさんを理解することにつながると考えます。

 マリアさんはフィリッピンからやってきた不法滞在の女性で性的な魅力にとみ、中小企業主らに共同で愛人とされています。彼女は同郷のフェルナンデス青年の主催する移動システムの「教会」の信仰をしており献金をしていて、彼とは性的な関わりもあり、彼と会うと特別な性的陶酔の状態になるそうです。

 彼女は強い匂いが漏れでる小型トランクを常に運んでいます。やがて僕はマリアさんの色欲と信仰生活はマルゴ公妃のように一体不可分なのではないかと分析します。篠君も、彼ら二人の関係は超越的なものであるとみます。

 篠君はマリアさんに求婚し、フェルナンデス青年と別れろと迫り、嬰児のミイラが入っているらしきトランクを取り上げて棄てようとします。マリアさんはそれを取り返して逃亡します。マリアさんは「教会」によって嬰児がよみがえると考えていました。

 マリアさんを探し出すと電話で僕に告げた篠君もその後消息を断つのでした。

僕が本当に若かった頃

 僕が大学生の頃、指導教官から紹介を受けて、高校生の繁くんの家庭教師となりました。僕は習作を書き始めており、それを知った繁くんは僕が書くべき『僕が本当に若かった頃』というタイトルの「成功する小説」の構想を出してくれます。繁くんによれば「成功する小説」の条件は自動車で走るシーンが出てきて映画の原作になる小説だというのです。繁くんは二人の若者の自動車での青春の冒険譚というプロットまで考えます。

 繁くんは取材する必要があると夏休みに僕と二人で北海道まで自動車旅行を計画します。繁くんが運転を担当するものの、十六歳で免許は持てないため警察対策で僕が免許を所持している必要があります。

 僕は免許を取ろうと教習所にいくが、弱視により免許は取れません。そこで繁くんの叔父・靖一叔父さんが同乗します。靖一叔父さんは中国の戦場で兵役について敗戦後は自給自足の隠遁生活をしていました。

 夏休みになり僕は実家に帰省します。実家に繁くんの旅行の手紙が届き始め、僕はそれをもとに『僕が本当に若かった頃』を執筆します。

 しかし繁くんたちは事故を起こします。靖一叔父さんは死亡し、繁くんは重傷で入院します。事故は、泥酔した靖一叔父さんを脅かして最も恥ずかしい秘密を告白させようとした繁くんが猛スピードをだしたことに原因がありました。事故死の間際、靖一叔父さんは中国の戦場での残虐な行為を告白します。

 靖一叔父さんを残酷な形で死なせた罪悪感に苛まれた繁くんは日本を「亡命」してアメリカの大学に進みます。それから三十五年過ぎた現在、繁くんは手紙をよこします。

 手紙によると繁くんはアメリカで理科系の研究者となりました。アメリカで二回結婚し一回目の結婚のときの娘が麻薬中毒で亡くなりました。葬儀のときに先妻を乗せて車を運転して、昔の事故の真相に思い当たります。靖一叔父さんは罪を告白しながら助手席からアクセルを踏み込んで自殺したのでした。

 繁くんはこの手紙の内容も含めたことの全体を『僕が本当に若かった頃』のタイトルで小説にしてほしいと言うのでした。

茱萸の木の教え・序

 僕には同い年の従妹タカチャンがいました。タカチャンは幼児のころに親に捨てられて村の有力者である僕の伯父の家に引き取られました。

 タカチャンが京都の大学の人類学研究室に勤めていたころは学生紛争の最中で、建物を占拠した学生らの騒動の巻き添えで頭部に大怪我を負います。タカチャンは癲癇を発症し、長い病床生活を経て、三年前に亡くなりました。

 タカチャンの生涯に同情する伯父はタカチャンを記念する小冊子を作ろうとします。東京で文筆業を行う僕を編集事務にすえる旨を伝える挨拶状を関係者に送付した伯父は、僕の家にタカチャンの遺稿を収めたダンボールを送ります。

 僕はタカチャンの若い頃の日記を読みながらタカチャンとの思い出を回想します。タカチャンと僕の間柄は「いじけている」僕を、タカチャンが「ワイセツ」をやって励ますというようなドライな性関係がありました。

 日記によると、タカチャンは伯父の家の庭に植っていた茱萸の木を通じて神秘的なヴィジョンとして世界の進み行きの全体を見ており、自分の運命も見通していたそうです。僕はこの文章について妹と話します。妹はタカチャンは自分の不遇な人生を自分に納得させるために茱萸の木の話を作ったと考えます。

 そのうちに僕の家にタカチャンの教え子たちから追想の文章が届きます。タカチャンは彼女らの人生の先行きを見晴らし「茱萸の木の教え」としてアドバイスの手紙を送っていたとわかります。

僕はタカチャンの手紙をまとめて「茱萸の木の教え」の小冊子とするのでした。

参考文献

小谷野敦『江藤淳と大江健三郎』(筑摩書房)

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