はじめに
大江健三郎『治療塔』解説あらすじを書いていきます。『治療塔惑星』の前編です。
背景知識、語りの構造
新古典主義、神話的象徴の手法
モダニズム文学はT=S=エリオットの『荒地』などを皮切りに、フォークナー(『アブサロム、アブサロム!』『響きと怒り』)、ジョイス(『ユリシーズ』)、三島由紀夫(『奔馬』)、大江健三郎(『万延元年のフットボール』『取り替え子』)など、神話的象徴の手法を取り入れるようになりました。これは神話の象徴として特定の対象が描写され、新しい形で神話や特定の対象が発見される機知が喚起する想像力に着目するアプローチです。
本作はエリオット『荒地』、ノアの方舟神話、フレイザー『金枝篇』、メシアや預言者、イェーツの詩集などの象徴としてのSFが展開されていきます。
SF文学、映画の影響。ポストアポカリプス、ファーストコンタクト、神話的象徴、新人類ネタ、若返り
本作はさまざまなSF文学や映画へのオマージュが捧げられています。分かりやすいのはレム『ソラリス』並びにタルコフスキーによる映画版、タルコフスキー監督『ストーカー』あたりでしょうか。両者とも謎の異物や存在といった未知との遭遇の中で人類の実践が展開されていく部分が共通するのと、またタルコフスキー監督『ストーカー』は『静かな生活』にも言及が見えましたが、あのような神話的象徴の手法が本作でも展開されています。
また若返りを描くSFはハワード監督『コクーン』の影響を感じさせます。『ピンチランナー調書』でも若返りが描かれました。
ディッシュ 『人類皆殺し』などのポストアポカリプスもののような、退廃した地球を描いています。原爆や戦争経験を踏まえてポストアポカリプス的テーマを展開しています。
カリフォルニアニューエイジ的な人類の進化や新人類ネタが展開されていて、クラーク『幼年期の終わり』などを連想します。
『ガタカ』とはシチュエーションが共通しますが、あちらのほうがあとです。
神話とSFネタとの関連
ノアの方舟と洪水神話は大江が好んで取り入れできた(『洪水は我が魂に及び』)ネタですが、本作ではそれとファーストコンタクトネタ、ポストアポカリプスネタを絡めています。
エリオット『荒地』は聖杯の欠落した時代の荒廃を現代のブルジョア社会の荒廃の象徴として描いた内容ですが、本作のポストアポカリプスネタと絡めて展開されています。
エリオット『荒地』、フレイザー『金枝篇』は、ネムの森の司祭殺しの伝説が背景にあり、それによる輪廻転生、自然の再生のサイクルがモチーフとしてありますが、本作は若返りネタと結びつけて展開されています。
メシア、預言者ネタは、ファーストコンタクトネタやスターピープル(宇宙人の介在による進化論)ネタと絡めて描いています。
物語世界
あらすじ
二十一世紀半ば、核戦争、原発事故、資源の枯渇、エイズや「新しい癌」の蔓延などにより地球は荒廃していました。人類の文明を保存するために、選抜された「選ばれた者」が宇宙船団を組んで「古い地球」を棄て太陽系外に発見された「新しい地球」を目指して「大出発」します。
日本の「選ばれた者」を率いるのはスターシップ公社日本代表の木田隆です。その息子木田朔もスターシップのパイロットでした。
癌を患っていたためにスターシップには乗船しなかった隆の兄の繁は「古い地球」に残された「落ちこぼれ」の生存のための「K・Sシステム」の原理を考案します。これは高度に発達したテクノロジーを捨てて、小規模で簡易な中古機器の活用、個人の器用仕事(ブリコラージュ)で物事に対処しようとする考え方です。
「K・Sシステム」によって、「落ちこぼれ」たちによる「古い地球」での社会の再建は進みます。一方「選ばれた者」は「新しい地球」の自然環境の厳しさから定住を断念して「古い地球」に帰還します。
本作の語り手のリツコは繁の隆兄弟の姪、朔の従妹です。両親を核戦争で亡くし、スイスの女子校で暮らしていたリツコは「大出発」の混乱期に日本に帰国、祖母と二人で東京の工業地帯に住み、器用仕事で中古機器のリサイクリングをする工場で働いています。
「新しい地球」から帰還したリツコの従兄の朔はリツコより十五歳年長でしたが、若々しくリツコと同年輩ほどになっていました。リツコと朔は恋に落ち、リツコは朔との子を授かります。
帰還後の社会を支配し、効率的な産業社会を再建しようとするスターシップ公社の「選ばれた者」と、日本の各地のコンミューンをつくって自給自足的にくらす「落ちこぼれ」の間に衝突が起こります。スターシップ公社に懐疑的な朔はリツコとともに北軽井沢のコンミューンに身を隠します。コンミューンの集会で朔は「新しい地球」での出来事を公表します。
「新しい地球」では「治療塔」と呼ばれる建造物が発見されます。そのなかに入ると人間は治癒され若返るのでした。「選ばれた者」の多くは「治療塔」で新しい肉体を得ましたが、信条から「治療塔」による肉体改造を拒否した一群もおり、彼らは「叛乱軍」となります。「新しい地球」の過酷さを踏まえ、「治療塔」による改造を経たならば、「古い地球」環境にも耐えられるだろうと、船団の「古い地球」への帰還が決定されます。「叛乱軍」はそれを拒否して「新しい地球」にとどまりました。
隆は、暫定的に「神」とでも呼ぶほかないものがいて、その意志が「治療塔」を用意して知的生物の「最後の作品(ラスト・ピース)」としての人類を生き延びさせようとしているならば、それを最大限に活用していくべきだと考える。そして「治療塔」により再生した肉体を持つ「選ばれた者」と「落ちこぼれ」とは集団として分離されているべきだと言う。一方、朔は「治療塔」抜きで生き延びている「落ちこぼれ」がいる以上「治療塔」を絶対視できないし、「選ばれた者」を分離したうえで社会的に優位に置くという考えにも賛同できない。
父と対立する朔は、コンミューンの全国ネットワークの組織に潜伏する。身重のリツコは祖母のもとに残ることになる。
リツコは隆から「治療塔」で人間が蘇生される過程を撮影したヴィデオを見せられる。そこに映る、長い宇宙航行とその後の過酷な自然環境の開拓で疲労困憊した人物を見て、見知らぬ惑星に抛り出さた棄て子のようだと感じ、「落ちこぼれ」だとと卑下していた自分たちよりも哀れであると感じる。そして彼が治癒されて新生する姿に感情を動かされて涙を流す。
「新しい地球」に準備された「宇宙の言葉」でイェーツの詩句が響く。 “He grows younger every second”《かれは刻一刻若がえってゆく》”He dreams himself his mother’s pride, / All knowledge lost in trance / Of sweeter ignorance.”《かれは夢みる母親の誇りの自分を/すべての知識は消えうせる、恍惚のなかに/より甘美な無知の。》
物語は次作『治療塔惑星』に続く。



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