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谷崎潤一郎「私」解説あらすじ

谷崎潤一郎
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始めに

谷崎潤一郎「私」解説あらすじを書いていきます

 

語りの構造、背景知識

象徴主義(ワイルド)と古典主義(スタンダール)、ヴィクトリア朝文学(ハーディ)

 谷崎潤一郎は英仏の象徴主義、古典主義からの影響が顕著です。オスカー=ワイルドの作品は『ウィンダミア卿夫人の扇』などを共訳で翻訳していますし、『サロメ』的なファム=ファタールを描いた『痴人の愛』もあります。ワイルドの戯曲作品のような、卓越したシチュエーションのデザインセンスとその中での心理的戦略的合理性の機微を捉えるのに長けているのが谷崎文学の特徴です。

 スタンダール(『赤と黒』)的な心理劇、古典趣味も谷崎に顕著に影響していますし、またディケンズやウィルキー=コリンズに影響されつつ、ダイナミックなリアリズムを展開したハーディ(『ダーバヴィル家のテス』)からの影響も顕著です。

 この辺りはフォロワーの河野多恵子(「」)、円地文子(『朱を奪うもの』)、田辺聖子(「感傷旅行」)などへと継承されます。

等質物語世界の語り手=私の信頼できない語り

 本作品は親交のあった芥川『藪の中』『地獄変』(ビアスなどの影響で信頼できない語りの手法を展開)や私淑したポー「告げ口心臓」などにも似て、等質物語世界の信頼できない語りが設定されています。つまるところ語り手は、語りによって物語世界内の事実について誤解を誘導します

 たとえば『地獄変』でも、語り手は堀川の大殿が暴君であるのに、大殿の悪行について事実を伝えつつ、大殿を肯定的に語ろうとしています。それは大殿への盲信のためか、単に中傷を咎められるのを恐れてなのか、わかりません。

 谷崎「私」では、語りての「私」が一高の寄宿寮にいたころ、樋口、中村、平田、私らのいた寮で盗難があったときのことを語ります。そして私は読者に対して自分が盗難の犯人であることを隠して物語を展開していきます。このあたりはクリスティ『アクロイド殺し』と重なります。

叙述トリック?

 こうしたデザインから、本作はクリスティ『アクロイド殺し』などとも似て初期の叙述トリック作品ともいわれます。アントン・チェーホフの『狩場の悲劇』、スウェーデンの作家S.A.ドゥーゼの『スミルノ博士の日記』など、他にも記述者=犯人のトリックは『アクロイド殺し』に先駆けてあります。

 そしてそもそも叙述トリックは何かという話になると海外にはない区分で信頼できない語り手にあたるものですが、「語りの戦略により作中内の事実に対して読者に誤解を与えるデザイン」くらいのところになり、そうすると広くミスリーディングな記述や語りは叙述トリックと連続的なのだとも解釈できます。

 信頼できない語り手はウェイン・ブース『フィクションの修辞学』がモデルとして提示したものです。語り手の心の病、バイアス、誤解、故意の嘘、劇中劇、妄想、夢など、語り手の語る内容が読者にとってうかつに信頼できなくなるケースはままありますが、それをモデルとしてブースは構造化しようとし、以降これが継承されていきます。

 ここで谷崎とクリスティ、二人の叙述トリックの先駆者を結ぶものとはなんでしょうか。おそらくそれは演劇的なバックグラウンドではないかと思っています。二人とも英仏の古典主義演劇から顕著な影響を受けていることが知られていますが、例えばコルネイユ『舞台は夢』も、一種の叙述トリックと言えます。コルネイユのこの作品は第二次の語りによる作中作を第一次のそれと混同させるものです。演劇というものはそもそも演者と観客が空間的に同一の場所に存在し、両者を隔てるのはフィクションの慣習であるため、その第四の壁を突き破るメタな演出はしばしば即興でも演じられやすいです。

 谷崎とクリスティという二人のモダニストは、演劇という共通項から語りの実験とそれによる作中事実の読者が抱く誤認という叙述トリックのメソッドを確立したものと推察します。

物語世界

あらすじ

 「私」が一高の寄宿寮にいたころ、樋口、中村、平田、私の4人は、犯罪の話をしました。

 この頃、寮で盗難があり、逃げていくときに羽織を被っていたが、その羽織が下り藤の紋附だったといいます。

 そのとき、平田はチラリと「私」の顔色を窺ったようでした。「私」の家紋が下り藤だったのです。私は平田に疑われて動揺し、真犯人と同じような煩悶や孤独を味わっているようだと思います。


 ある日、私は中村とグラウンドを歩きながら例の泥棒の話をします。中村は実は委員たちが「私」を疑っているが、自分は疑わないと涙ながらに話します。そして、平田が「私」を疑い委員に告げ口していると教えます。私の肩を持つ樋口と中村は平田と対立、平田は今日のうちに寮を出るそうです。それを聞いた「私」は、僕はあの男を尊敬しているので、平田が寮を出るくらいなら、自分が出ると言います。

 結局その日、平田も私も寮を出ませんでした。しかし、ついに樋口と中村の金銭と洋書が盗まれてしまうのでした。

 ある晩、「私」が部屋に戻ってくると平田の姿がありません。私は自習室に引き返して平田の机の引き出しから小為替を1枚抜き取り懐に収めて廊下に出ます。すると平田が私を張り倒します。

 平田は部屋に戻って来た樋口と中村に私を突き出します。平田君の言う通り、ぬすッとは僕だったと、私は彼らに言い放ちます。そして、盗人を友達とした樋口と中村の浅はかさを指摘し、私を疑った平田を称賛します。

参考文献

・小谷野敦『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』(中央公論社.2006)


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