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レイモンド=カーヴァ―『大聖堂』解説あらすじ

レイモンド=カーヴァ―
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始めに

 レイモンド=カーヴァ―『大聖堂』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

カーヴァ―の作家性

​ カーヴァーが深く傾倒したのがチェーホフです。プロットの劇的な解決を避け、日常の断片を切り取る手法が影響しました。カーヴァーの絶筆となった短編『使い走り(Errand)』は、チェーホフの最期を描いたオマージュ作品です。労働者階級や持たざる人々への温かくも冷徹な視線は、チェーホフから受け継いだものです。


​ ​初期のカーヴァー、特にその削ぎ落とされた文体において、ヘミングウェイの影は無視できません。シャーウッド=アンダーソンは『ワインズバーグ・オハイオ』の著者ですが、孤独で、コミュニケーションが不全に陥っている市井の人々に光を当てる姿勢から影響されました。カーヴァーは正確な言葉を置くことに対して非常にストイックでした。このあたりはフローベールやアイザック=バベルなどから影響されました。ほかにカーヴァーはオコナーの短編における具体的で微細な描写の重要性を高く評価していました。


 編集者ゴードン=リッシュの存在は不可欠です。初期作品集『愛について語るときに我々の語ること』において、リッシュはカーヴァーの草稿を徹底的に削除・改変し、よりドライで無機質なミニマリズムを作り上げました。

エピファニー

 ​カーヴァーの登場人物たちは、しばしばアルコール依存、経済的困窮、あるいは感情的な麻痺によって、他者と断絶しています。しかし、『大聖堂』に収められた物語の多くは、その断絶が一時的にであれ打破される瞬間を描いています。言葉にできない不安や、日常のルーチンに埋没した空虚さが、予期せぬ他者との触れ合いや、共通の作業を通じて、自分を閉じ込めていた殻が破れます。宗教的な意味での救いではなく、日常生活の泥臭いやり取りの中に現れる聖なる瞬間が描かれます。これは「セキュラー・グレイス(世俗的な恩寵)」と呼ばれたりもします。


​『ささやかだけれど、役にたつこと』では、息子の死という耐えがたい悲劇に直面した夫婦が、パン屋の主人が差し出す焼きたてのパンを食べることで、一瞬の安らぎと人間性を回復します。理屈や教訓ではなく、食べること、触れること、見ることといった身体的な経験が救いをもたらします。

 ​表題作の『大聖堂』に顕著ですが、目が見える者が盲目であり、肉体的に盲目である者が真の姿を見せるといった逆転現象が起こります。主人公が抱いていた盲人への偏見が、共に大聖堂の絵を描くというプロセスを通じて崩れ去ります。目を閉じて共に手を動かすことで、視覚を超えた他者の世界にアクセスします。これは、自己の限界を超えて他者に共鳴する想像力の勝利とも言えます。

物語世界

あらすじ

​・羽根 (Feathers):ある夫婦が、同僚の家に招かれます。そこには醜い赤ん坊と、不気味なペットのクジャクがいました。その夜の奇妙な体験は、自分たちの平穏だが空虚な生活に決定的な影を落とすことになります。あの奇妙な夜から数年後、語り手夫婦には子供が生まれているものの、その子はちっとも可愛くない、性格の悪い子に育っています。あの夜の同僚夫婦の不気味な幸せは、自分たちの未来が失われる前兆だったのだと気づき、夫婦の間には冷え切った沈黙が流れます。

​・シェフの家 (Chef’s House) :アルコール依存症の夫ウェスと、彼を支える妻。知人のシェフから借りた家で、二人はやり直そうと試みます。しかし、家を返さなければならなくなった時、積み上げた偽りの平穏が脆くも崩れ去ります。持ち主のシェフが家を返してくれと言いに来ます。絶望した夫ウェスは、酒を断ち、妻とやり直そうとしていた努力をあっさり投げ出します。ここは俺たちの家じゃないと悟った彼は、再びアルコールの泥沼へと戻っていく準備を始めます。

​・保存 (Preservation):夫が失業して以来、ソファで寝てばかりいる家庭。ある日、冷蔵庫が壊れます。溶け出した食品を前に、二人は自分たちの生活そのものが保存できなくなり、腐敗し始めていることに気づきます。冷蔵庫が壊れ、中身が溶け出します。失業してソファから動かない夫の足元に、溶けた肉の汁が垂れています。妻は、自分たちの生活もこの食品と同じように、二度と保存できず、ただ腐敗していくのを待つだけの状態であることを痛感して終わります。

​・コンパートメント (The Compartment):疎遠だった息子に会うため、ヨーロッパの列車に乗る父親。しかし、車中で腕時計を盗まれたことから動揺し、結局息子に会うのをやめ、知らない駅で降ります。息子に会う直前、車中で時計を盗まれたことで男の心は折れます。彼は目的地に着く前に、見知らぬ駅で列車を降りてしまいます。息子との再会という最後の希望を自ら捨て、完全な孤独へと逃避します。

ささやかだけれど、役にたつこと (A Small, Good Thing):息子の誕生日に注文したケーキ。しかし息子は交通事故で意識不明になり、亡くなります。悲嘆にくれる両親に、パン屋から無情な催促電話がかかってきます。両親は嫌がらせ電話の主であるパン屋を訪ねます。事情を知ったパン屋は深く謝罪し、焼きたてのパンを差し出します。深夜のパン屋で、三人はただ黙々とパンを食べ、孤独な魂同士が束の間の安らぎを分かち合うのでした。

​・ビタミン (Vitamins):ビタミン剤の訪問販売をする妻と、倦怠感に包まれた夫。職場の同僚との浮気未遂や、ふとした会話の食い違いを通じて、夫婦間の決定的なディスコミュニケーションが描かれます。浮気未遂も空振りに終わり、語り手が帰宅すると、妻は仕事の失敗で完全に打ちのめされています。二人の間には何も共有するものがありません。語り手はバスルームに逃げ込み、自分がどこにも出口のない空虚な場所にいることを自覚します。
 
​・慎重 (Careful):離婚後に安アパートに住む男。ある日、耳垢が詰まって音が聞こえなくなります。元妻に耳掃除をしてもらい、ようやく音が聞こえるようになったロイド。しかし、彼女が去った後、彼は再び自分一人の閉ざされた部屋に取り残されます。耳は聞こえるようになったとのの、誰とも会話することがないという絶望的な静寂だけが残るのでした。
 
​・ぼくが電話をかけている場所 (Where I’m Calling From):アルコール依存症の更生施設。語り手は他の入所者の身の上話を聞きながら、外の世界にいる妻や恋人へ電話をかけようとします。何を話せばいいかはわからないものの、とにかく電話をかけるという行為そのものが、地獄のような現状から抜け出すための細い糸のように描かれて終わります。

​・列車 (The Train):チェーホフの「犬を連れた奥さん」の後日譚的な試みです。拳銃を隠し持った女と、不躾な老夫婦が同じ列車に乗り込みます。何かが起こりそうな、あるいは何も起こらないような、重苦しく不穏な空気が漂う中、列車は暗闇の中を走り続けます。具体的な事件は起きないものの、不吉な予感だけが完成します。

​熱 (Fever):妻に去られ、二人の子供を残された男。高熱を出して寝込む中、やってきた老家政婦の存在によって、彼はようやく過去を手放す準備を整えます。献身的な老家政婦が去っていく日、語り手の熱は下がっています。彼は家政婦を送り出し、一人で子供たちの世話をする覚悟を決めます。妻に去られた喪失感という熱からようやく抜け出し、新しい生活へ踏み出す再生の兆しで終わります。

​・馬勒 (The Bridle):アパートの管理人である女性の視点。破産し、家族を連れて引っ越してきた男が、再びすべてを失って去っていく姿を見守ります。彼女は、男が残していった馬勒(馬の頭に噛ませる具)を見つけます。自分たち労働者階級は、誰もが目に見えない馬勒を嵌められ、運命に操られている存在なのだと悟ります。

​・大聖堂 (Cathedral):盲目の男を招いた夫婦の夜。盲目のロバートと手を重ね、目を閉じたまま大聖堂の絵を描く語り手。描き終えた後も、彼は目を開けようとしません。「どうだ」と聞かれた彼は、「これは本当に素晴らしい」と答えます。偏見に満ちた狭い自己から、初めて解き放たれた瞬間でした。

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