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イシャウッド『さらばベルリン』解説あらすじ

クリストファー・イシャーウッド
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始めに

 イシャウッド『さらばベルリン』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

イシャウッドの作家性

​ イシャウッドが師と呼んで最も敬愛したのが、『インドへの道』で知られるE.M. フォースターです。フォースターの大きな事件をあえて控えめに、日常的なトーンで描くという手法に強く影響を受けました。ベルリンの不穏な空気やナチスの台頭を、大げさな政治スローガンではなく、下宿屋の日常風景として淡々と描くスタイルは、まさにフォースター譲りと言えます。


​ ​詩人のW.H. オーデンは、イシャウッドの幼馴染であり、生涯の友人、そして一時期は恋人でもありました。1930年代には共作で戯曲を書いたり、一緒に中国へ旅行して紀行文を残したりと、創作活動において切り離せない存在でした。


​ ​イシャウッドは、短編小説の技術的な完成度において、モームとマンスフィールドの二人の影響も受けています。


​ ​1939年にアメリカへ渡った後、イシャウッドに最も大きな知的影響を与えたのが、オルダス=ハクスリーです。ハクスリーを通じて、イシャウッドはヒンドゥー教のヴェーダーンタ哲学に出会いました。これにより、それまでの政治的・社会的な関心から、内面的な精神世界や自己の探求へと作風がシフトしていきました。

語りの構造

 語り手(イシャウッド自身)は、街で起きている悲劇や混乱に対して直接的な判断を下さず、ただ淡々と描写しようとします。しかし、読み進めるうちにカメラであるはずの彼が、何を選び、何を写さないかという点に主観や感情が漏れ出していることがわかります。この冷淡になろうとする自分と揺れ動く現実のギャップが、作品に独特の緊張感を与えています。

 ​この作品は、ナチスの台頭を巨大な政治運動としてではなく、下宿屋の朝食や近所の子供たちの遊びといった日常の変化として描いている点です。最初は単なる騒がしい若者たちだったナチスの存在が、徐々に友人の失踪や、ユダヤ人家庭への迫害という形で、逃れられない影として生活を侵食していきます。政治に無関心だった人々が、じわじわと全体主義に飲み込まれていくプロセスの恐ろしさが描かれています。

映画との関係など

 ベルリンの夜の街の華やかさと、その裏にある悲惨な生活の対比も重要なテーマです。奔放で刹那的に生きるサリー(映画『キャバレー』のモデル)は、破滅の予感から目を逸らし、享楽に耽るベルリンの象徴です。 豪華な邸宅に住むユダヤ人の富豪ランドー家と、不潔なアパートで暮らすノバック家の極端な格差が、社会不安を増幅させ、過激な思想が入り込む隙間を作っていく様子が冷徹に描かれています。


 ​イシャウッド自身、イギリスから来たよそ者であり、また当時の社会では隠さざるを得なかった同性愛者としての視点を持っています。彼はベルリンの一部でありながら、決してその運命を共にする当事者にはなりきれません。このどこにも属さない孤独な観察者という立場が、崩壊していく都市を冷徹かつ叙情的に捉えることを可能にしています。

物語世界

あらすじ

 語り手の「私(クリストファー)」の目を通した、崩壊直前の都市の記録です。


​・下宿屋の日常:​物語は、ベルリンの安下宿から始まります。女主人のシュレーダー夫人は、かつては裕福でしたが、インフレで没落し、今は個性の強い店借人たちを相手に必死に生きています。政治的な嵐が近づいている中、人々はまだ明日はもっと良くなると信じようとしています。

​・伝説の歌姫、サリー=ボウルズ:イギリスから来た野心的で、どこか危ういナイトクラブの歌手サリー=ボウルズと「私」は友人になります。彼女は富豪との結婚を夢見て奔放に振る舞いますが、現実は厳しく、中絶や失恋を繰り返します。彼女の刹那的な生き方は、滅びゆくベルリンのデカダンスそのものです。

​・リューゲン島での夏:「私」は避暑地のリューゲン島で、二人の青年(ピーターとオットー)に出会います。彼らの不安定な関係と心理的な葛藤が描かれます。若者たちの間の閉塞感や、出口のない不満が、後のナチズム受容の土壌になっていることが暗示されます。

​・ノバック一家:「私」は家賃を節約するため、労働者階級のノバック家で間借りを始めます。結核を患う母親、失業中の父親、そして享楽的な息子オットー。狭い部屋にひしめき合って暮らす彼らの絶望的な貧困と、やり場のない怒りが、右翼思想へと流れていく不気味な過程が描かれます。

​・ランドーア家:「私」は裕福なユダヤ人のデパート経営者、ランドーア家の人々と親しくなります。 知的で洗練された彼らですが、街には「ユダヤ人お断り」の看板が増え始め、嫌がらせが日常化していきます。かつての繁栄が、暴力によって砂のように崩れていく悲劇が静かに進行します。

​・さらば、ベルリン:​1933年、ついにヒトラーが権力を握ります。街からはかつての自由な空気が消え、友人たちは去り、あるいは収容所へと消えていきます。シュレーダー夫人のような一般市民は、生き残るためにナチスを支持し始めます。 「私」は、かつての知人たちの消息も分からぬまま、変わり果てたベルリンを後にします。

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