始めに
ウエルベック『地図と領土』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ウエルベックの作家性
ウエルベックは種々の作家の影響を受けています。
ウエルベックの『服従』の主人公はユイスマンスの研究者であり、作品全体が彼へのオマージュになっています。デカダンス、世俗への絶望などが共通します。また社会全体のシステムを描く手法において、バルザック的なリアリズムを継承します。
『ショーペンハウアーとともに』という著作を出すほど、ウエルベックはショーペンハウアーを信奉しています。人生は苦痛と退屈の間を揺れ動く振り子であるというショーペンハウアーの悲観主義は、ウエルベックの全作品のトーンを決定づけています。
ウエルベックのデビュー作はラヴクラフトの評伝『ラヴクラフト―世界と人生に抗って』でラブクラフトからも影響があります。コズミックホラーの視点は、人間観に強く反映されています。
ハクスリー『すばらしい新世界』における遺伝子操作や快楽主義による管理社会というテーマは『素粒子』や『ある島の可能性』といったSF的設定を持つ作品に直接的な影響を与えています。
タイトルの意味
タイトルの「地図と領土」は、意味論学者アルフレッド=コージブスキーの「地図は領土ではない(言葉は物そのものではない)」という格言を逆手に取ったものです。主人公ジェド=マーティンは、ミシュランの道路地図を拡大撮影した写真で脚光を浴びます。ここでは「現実(領土)」よりも、それを機能的に整理した「抽象(地図)」の方が美しく、価値があるものとして描かれます。
人間が現実をありのままに見ることはできず、常に何らかのフィルターを通してしか世界を享受できないということを描いています。
また本作では、著者自身である「ミシェル=ウエルベック」という名前の作家が登場し、物語の後半で無残に殺害されます。作中のウエルベックは、偏屈で不潔、アルコール依存気味な老人として自虐的に描かれます。自身を作品内で殺害することで、ウエルベックは物語の作者という特権的地位を解体し、芸術家が自らの作品(地図)の中に飲み込まれていく悲劇を表現しました。
資本主義の加速の果て
ウエルベックは本作で、フランスが直面している冷徹な経済的現実を描き出しました。かつて工業製品を生み出していたフランスが、今や美しい田舎や美食を売りにする、富裕層向けの巨大なアミューズメントパークに変貌していく様子が描かれます。祖父の世代の本物の職人芸が失われ、すべてがマーケティングと観光資源に回収されていくプロセスが描かれます。
最後、物語は数十年後の未来へと飛び、人類の営みが植物の成長によって飲み込まれていく描写で終わります。愛も人間関係も長続きせず、最終的に残るのは植物が領土を覆い尽くすという自然のサイクルだけであるというニヒリズムが提示されます。
物語世界
あらすじ
『地図と領土』は、孤独な芸術家ジェド=マーティンの半生を描きます。
物語の前半では、ジェドが写真家として成功を収める過程が描かれます。彼はミシュランの道路地図を精密に撮影した作品で一躍時代の寵児となりますが、その背後には「地図(表現されたもの)は領土(現実)よりも興味深い」という批評精神がありました。この時期、彼はロシア人の美女オリガと恋に落ち、幸福な時間を過ごしますが、彼の本質的な孤独と芸術への没頭は、やがて彼女との離別を招きます。
その後、ジェドは写真から絵画へと転向し、様々な職業に従事する人々を描く「職能シリーズ」に着手します。この連作の最後の一枚として、彼は「アート市場を二分するダミアン=ハーストとジェフ=クーンズ」という作品を構想し、その展覧会のカタログ序文を執筆してもらうために、作家ミシェル=ウエルベック本人に会いに行きます。ここで作者自身が、偏屈で不潔で社会から隔絶された生活を送る登場人物として作品内に現れるというメタフィクション的な展開が導入されます。ジェドとウエルベックの間には奇妙な友情のようなものが芽生え、ジェドは謝礼としてウエルベックの肖像画を描き上げます。
展覧会は大成功を収め、ジェドは巨万の富を得ますが、その直後にフランスの田舎に引きこもっていた作家ウエルベックが、何者かによって猟奇的な手法で殺害されます。遺体はあまりにも残忍な形で解体されており、ジャスラン警部を中心とした警察の捜査が始まります。この捜査過程を通じて、現代における職人芸の消失や、消費社会の空虚さが浮き彫りにされていきます。結局、犯人は意外な目的のためにウエルベックの肖像画を盗もうとした医療関係者であることが判明します。描かれたモデルが凄惨で衝撃的な死を遂げれば、その肖像画の歴史的美術的価値はさらに跳ね上がり、唯一無二の「神話」になると考えたのでした。
晩年、ジェドは父の死を経て、祖父の代からの土地に引きこもり、さらに抽象的な創作へと向かいます。彼は、文明の産物である機械や衣類が、時の経過とともに植物に侵食され、分解されていく様子を定点観測で撮影し続けます。かつて彼が描いた「職能」や「地図」といった人間の営みの記録は、圧倒的な自然の生命力によって飲み込まれていきます。物語は、人間という種とその文明が作り上げた精緻な「地図」が消滅し、ただ「領土」としての自然だけが勝ち残るというイメージで終わります。




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