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エシュノーズ『ぼくは行くよ』解説あらすじ

エシュノーズ
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始めに

 エシュノーズ『ぼくは行くよ』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

エシュノーズの作家性

 エシュノーズは深夜叢書を拠点としており、先代の作家たちから強い影響を受けています。ミニマリズムや、物語の欠如に対する意識、そして悲劇の中に漂う乾いたユーモアにおいて、ベケットの精神を継承していると言えます。ロブ=グリエからは物体に対する執拗な描写や、伝統的な心理描写を排除する手法にその影響が見られます。ほかに言語による世界の再構築という点において、シモンなどヌーヴォーロマンの巨匠たちの技法を独自に消化しています。


​ エシュノーズはフローベールの文体の正確さと、作家が作品から姿を消す没個性の概念を非常に重視しています。言語的な遊びや、恣意的なルールに基づいて物語を構築する手法において、ルーセルの奇想と形式主義への関心を共有しています。またスターン『トリストラム・シャンディ』に見られるような、物語の本筋から逸れていく脱線の技法や、メタフィクション的な構成に共通点があります。


​ ​エシュノーズはスパイ小説や冒険小説、推理小説の形式を好んで借り、それを解体します。ネオ・ポラール(新暗黒小説)の旗手であるマンシェットからの影響は大きく、行動をドライに記述する文体や、ジャンルの記号を転用する手法にその痕跡があります。またハメットなどの感情を排した客観的な叙述スタイルは、アメリカのハードボイルド小説の伝統をフランス文学の文脈で洗練させたものと言えます。


​ 文体のリズムや、日常的な言語を文学的な高みへと引き上げる試みにおいて、セリーヌの革新性を意識している側面があります。

タイトルの意味

​ この小説の最大の特徴は、既存のエンターテインメントジャンル(冒険小説、スパイ小説、推理小説)の形式を借りながら、その中身を空虚にすることにあります。北極への命がけの遠征、盗まれた美術品、謎の女といった劇的な要素が登場しますが、それらはカタルシスをもたらすことなく、淡々と、あるいは滑稽なほどあっけなく処理されます。物語の枠組みそのものが一種の遊びとして扱われており、読者が物語に没入しようとする瞬間に、冷ややかな文体がそれを突き放します。


​ ​タイトルである『ぼくは行くよ(Je m’en vais)』が示す通り、この作品を貫いているのは立ち去ること、消えることへの執着です。画廊主である主人公フェレールは、常にどこかへ移動し、何かに着手しますが、そこには強い動機や情熱が欠けています。彼が向かう北極は、色彩も生命も希薄な白の世界であり、究極の不在を象徴しています。そこから持ち帰られる美術品もまた、長い間忘れ去られていた死んだオブジェに過ぎません。

世界の不確かさ

 エシュノーズは、芸術を崇高な精神的活動としてではなく、徹底して移動可能な物体として描きます。美術品は鑑賞の対象ではなく、回収されるべき荷物、あるいは換金可能な商品として扱われます。

 人物の感情よりも、部屋の調度品、衣服の質感、地理的な移動距離などが緻密に書き込まれます。主人公フェレールは、自分の意志で運命を切り拓く伝統的なヒーロー像とは対極にあります。彼は女性関係においてもビジネスにおいても、周囲の状況や偶然に流されるままです。事件の解決や展開が論理的な帰結ではなく、唐突な偶然やなんとなくの決断で進んでいく様子は、世界の不確実性や、自己という存在の希薄さを浮き彫りにしています。

物語世界

あらすじ

​ パリで画廊を営むフェリックス=フェレールは、ある日、妻に向かって「ぼくは行くよ(Je m’en vais)」と一言だけ残し、家を出ます。彼は心臓に持病を抱えながらも、退屈で空虚な日常から逃れるように、新しい愛人を求め、あるいは画廊の経営を立て直すための出入りを繰り返します。


​ ​経営難に陥っていたフェレールは、かつての知人から、北極圏の氷に閉ざされた難破船の中に、稀少なイヌイットの美術品が眠っているという情報を得ます。彼は一攫千金を狙い、極寒の地へと向かいます。


 ​物語の中盤では、北極の過酷な自然、砕氷船の移動、そして沈黙の世界が、エシュノーズ特有の極めてドライかつ精密な文体で描写されます。フェレールは首尾よく美術品を回収し、パリへと持ち帰ることに成功します。


 ​しかし、パリに戻った彼を待っていたのは、何者かによる美術品の盗難でした。物語はここから、犯人を追うミステリーやスパイ小説のような展開を見せますが、フェレール自身の行動には切迫感が欠けています。彼はパリ、ピレネー、そして海辺の街へと移動を続けながら、複数の女性たちと行きずりの関係を持ち、漫然と日々を過ごします。


​ ​紆余曲折の末、美術品はあっけないほど日常的な形で発見されます。しかし、大金を手に入れ、すべてが解決したはずのフェレールの心に満たされた感覚はありません。


 ​物語のラストシーン、彼は再び新しい女性と暮らし始めていますが、以前と何も変わらない倦怠感の中にいます。そして、物語の冒頭と全く同じ言葉、「ぼくは行くよ」を口にして、再びどこかへ立ち去ろうとするところで幕が閉じます。

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