始めに
ジーン=リース『サルガッソーの広い海』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ジーン=リースの作家性
ドミニカ島でクレオールとして生まれたことが、彼女の視点の根幹にあります。どこに行ってもよそ者であるという感覚が、彼女の描く主人公たちの徹底的な孤独や疎外感の源泉となっています。彼女の文章に見られる色彩感覚や、呪術的な雰囲気は、幼少期のカリブ海の風景から強く影響を受けています。
ジーン=リースにとって最大の文学的恩師と言えるのが、イギリスの小説家、編集者のフォード=マドックス=フォードです。フォードは彼女の才能を見出し、無駄を削ぎ落としたハードボイルドで即物的な文体を教え込みました。彼の指導により、感情を直接説明するのではなく、細部の描写によって読者に感情を想起させる手法を身につけました。また彼との愛憎混じった個人的な関係は、『カルテット』などの直接的な題材にもなっています。
リースはパリで生活していた時期があり、当時の前衛的な芸術運動の影響を受けています。ヘミングウェイらとも共通する、感傷を排した簡潔な文体は、当時のモダニズム文学の流れを汲んでいます。自身の孤独や女性としての疎外感を描く姿勢には、コレットの影響も感じさせます。
『ジェーン=エア』のパロディ
『サルガッソーの広い海』は、シャーロット=ブロンテの『ジェーン=エア』の前日譚です。
リースは『ジェーン=エア』に登場する「屋根裏の狂女」バーサの描かれ方に強い不満を抱いていました。西インド諸島出身の女性がなぜ狂わなければならなかったのか、その背景をカリブ海側の視点から描き直したのが『サルガッソーの広い海』です。この作品の主なテーマは、単なる狂気の女の過去に留まらず、当時の社会背景を鋭く突いています。
主人公アントワネットは、ジャマイカ生まれのクレオールです。元奴隷の黒人たちからは「白いゴキブリ」と蔑まれ、イギリス本国から来た夫ロチェスターなどからは本物の白人ではないと見下されます。どこにも居場所がないという疎外感と、自分の名前やアイデンティティが剥奪されていく過程が描かれています。
ポスコロ、フェミニズム
物語は、奴隷解放宣言後の西インド諸島が舞台です。ロチェスターがアントワネットの財産を奪い、彼女を支配しようとする構図は、イギリスによる植民地支配のメタファーでもあります。カリブ海の自然や文化を理解不能で恐ろしいものとみなす、征服者側の偏見が浮き彫りにされています。
女性が男性の所有物として扱われた時代の悲劇が描かれています。アントワネットの財産は結婚によってすべて夫のものになり、彼女は法的に守られる術を失います。
またロチェスターは彼女を「バーサ」という別名で呼び始めます。これは彼女の個性を消し、自分の管理下に置こうとする暴力的な行為です。
『ジェーン=エア』では単なる屋根裏の狂女だったバーサが、なぜそうなったのかを解き明かします。彼女が狂ったのは遺伝や気質だけでなく、夫による冷遇、孤独、見知らぬ土地への連行といった精神的虐待の結果として描かれます。
アントワネットとロチェスターは、同じ英語を話していても、見ている世界が全く違います。カリブの呪術や豊かな色彩を信じるアントワネットに対し、ロチェスターはそれを不気味な迷信と切り捨てます。この文化的断絶が、二人の破滅を決定づけます。
物語世界
あらすじ
第一章
ジャマイカのサトウキビ農園をおもな舞台とし、 1833年の奴隷制度廃止法によって1834年8月1日にイギリス帝国で奴隷制度が廃止された直後に始まります。主人公のアントワネットは、幼少期からイギリス紳士のロチェスター氏との見合い結婚までの人生を語ります。
最初はジャマイカの砂糖農園クリブリを舞台とし、子供時代のアントワネットの語りによって進みます。かつては裕福だった農園も、奴隷制度廃止以降は荒廃し、一家は貧困に陥ります。アントワネットの未亡人となったマルティニーク出身の母アネットは、新妻の境遇につけこもうとする裕福な英国紳士メイソン氏と再婚します。
農園主階級の繁栄が戻ってきたことに怒ったクリブリに住む解放奴隷たちがアネットの家を焼き払い、知的障害のある弟ピエールを殺害します。アネットはこの時まで精神的に問題を抱えていたため、息子を失った悲しみが彼女の正気を失わせます。
メイソン氏は彼女をある夫婦のもとに送り、死ぬまで苦しめます。火事の後アントワネットが彼女を訪ねても、アネットは会うことも話すことも拒否します。アントワネットは成長して再び母親を訪ねるものの、母親が使用人から虐待されているのを目撃して驚き、何も言わずに立ち去るのでした。
第二章
その後、ドミニカのグランボワにある母親の夏の離宮へのハネムーン旅行中のアントワネットと夫ロチェスターの視点が交互に描かれます。
アントワネットの破滅のきっかけとなったのは、おそらく二人の間に芽生えた疑念と、アントワネットの私生児であると主張するダニエルの策略です。ダニエルはアントワネットの評判と精神状態を疑い、口止め料として金を要求します。
アントワネットの昔の乳母クリストフィーヌは、ロチェスター氏を公然と信用していません。彼がアントワネットの家族と過去についての話を信じているようであることが、状況を悪化させます。
アントワネットの夫ロチェスターは不貞を働き、虐待的です。彼女を本名ではなくベルタと呼ぶようになり、アントワネットの前で不倫をひけらかして彼女を苦しめます。アントワネットは、増大するパラノイアと破綻しつつある結婚生活への深い失望によって、既に不安定な精神状態をさらに悪化させます。
アントワネットはクリストフィーヌの家に逃げ込みます。アントワネットは夫の愛を再び燃え上がらせようと、オベアの薬をクリストフィーヌに懇願します。クリストフィーヌは渋々それを与えます。
アントワネットは家に戻るが、愛の薬は夫にとって毒のように作用します。その後、夫は妻との和解を拒み、恨みから彼女をグランボワから連れ去ろうと決意します。
第三章
夫によってバーサと改名されたアントワネットの視点で描かれます。ロチェスター氏の父と兄は亡くなり、彼は莫大な遺産を受け取るため、アントワネットと共にイギリスへ戻ってきました。
アントワネットは主にソーンフィールドホールの屋根裏部屋、彼女が「グレート・ハウス」と呼ぶ邸宅に閉じ込められています。
物語は、彼女の警護を任されている使用人グレース=プールとの関係、そしてロチェスター氏が彼女を世間から隠す中で崩壊していく彼女との生活を描きます。彼はもっと彼女に会いに行くと約束するものの、結局そうしません。アントワネットは彼女と関わる人々から狂人だと思われ、自分がどれほどの期間監禁されていたのかほとんど理解していません。
彼女は記憶を取り戻した時、自由を夢見て、ジャマイカにいる義理の兄リチャードに手紙を書くものな、リチャードは彼女の夫に「法的に干渉することはできない」と告げます。
絶望と激怒に駆られた彼女は、密かに購入したナイフで彼を襲います。
意識の流れの中で思考を吐露しながら、アントワネットは家を炎が包み込み、そこでの生活から解放される夢を見ます。そして、その夢を実現することが自分の運命だと信じます。
夢から覚めた彼女は部屋を抜け出し、ろうそくを手に火を灯すのでした。




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