始めに
ロブグリエ『快楽の館』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
モダニズムにおける意識の流れ
モダニズム文学に典型的な手法が意識の流れです。等質物語世界の語り手を複数導入する手法はH=ジェイムズ『ねじの回転』、コンラッド『闇の奥』など、モダニズムの先駆者の作品に見えますが、ジョイス『ユリシーズ』、フォークナー『響きと怒り』、ウルフ『ダロウェイ夫人』などに見える意識の流れの手法は、それに現象学、精神分析などの心理学、社会心理学、プラグマティズム的な知見を元にラディカルに押し進めたものでした。
本作でも同様に意識の流れの手法が展開されていますが、印象として特に近いのは川端康成の諸作、特に『雪国』『みづうみ』(両者は異質物語世界の語り)などの、意識の一人称的な認識の不確かさを生かした心理劇です。
意識とは何か
人間の「意識」とは、そもそもなんでしょうか。現代の心の哲学では、意識や心というものの機能主義的、道具的定義がいろいろに考えられており、大まかに言ってそれは複数のモジュールの計算、表象の操作を統合し、シュミレーションから推論を立て環境に適応的な行動変容を促すツールであるとの見通しが立てられています。そこではインプットされたさまざまな表象を操作し、過去にインプットされた表象との関連性が発見されたり、環境の構造化にあたって認識が修正されたりしていきます。
本作における意識の流れの手法にも、そのような意識の特性が伺えます。語りの主体は知覚から得た情報からマインドワンダリングを働かせ、主観的なタイムトラベルの中でさまざまな過去の事実の表象を統合しつつ、時間軸の中で状況を構造化、そのモデルを絶えず改訂していきます。妻の不貞を疑い観察から推論を働かせつつ、それを絶えず改訂していくプロセスがここで展開されています。
加えて、読者の側も意識の機能を駆使して、テクストのなかの断片的な表象から、登場人物の心理や関係性を解釈していくことが要請されます。こうした構造はハメット『マルタの鷹』、川端『雪国』を連想します。
アンチロマン
ヌーヴォーロマンはアンチロマンなどと呼ばれ、ロブグリエ『新しい小説のために』も、現象学的、プラグマティックな発想の元、小説におけるリアリズムを構想しています。
ロブグリエが展開しようとしたのは、つまるところ特定の因果に物語世界内の事実が還元されることに対する拒絶と言えると思います。
例えばしばしばフィクションではAという事実が明らかになったとしてその原因/結果がBだった、というプロットの因果的連なりがデザインされ、それが美的な経験、感動を生みます。ロブグリエは本作でAという事実の観察からBという帰結や原因へと解釈、還元することを許さず、Bという因果への推論が絶えず修正、改訂されたりC,Dという別の候補が推論されたりといったことが時間軸の中で展開されていく、主観的な認識プロセスを美学的再現することを構想しようとしていると評価しています。
このような記述プロセスを歴史文学において実践したのがビネ『HHhH』といえます。
語りの構造
舞台は香港ですが、これは現実の都市というよりも、当時のヨーロッパ人が抱いていた東洋の神秘、エロティシズム、陰謀というステレオタイプを凝縮した演劇のセットのような場所です。
「快楽の館(エヴァ・ベルグマンの館)」を中心に、麻薬、売春、殺人といった通俗小説的な要素が散りばめられています。
この小説の最大の特徴は、「何が起こったのか」という事実が最後まで確定しない点にあります。
ある人物が死んだかと思えば次のページでは生きて歩いていたり、同一のシーンが少しずつ細部を変えて何度も繰り返されます。語り手が途中で入れ替わったり、客観的な描写がいつの間にか登場人物の主観や、壁に掛かった絵画の中の出来事へと滑り込んだりします。
物語は直線的に進まず、迷路のように同じ場所をぐるぐると回り続けます。
物語世界
あらすじ
舞台は香港。エヴァ=ベルグマン(レディ=エヴァ)という女性が経営する、高級な社交場である「快楽の館」です。そこでは夜な夜な、富豪や怪しげな人物たちが集まり、倒錯した演劇的な見世物が行われています。
主にラルフ=ジョンソンというアメリカ人の視点を軸に展開します。
ジョンソンは、エヴァの館にいる美しい娘ローランを手に入れるために多額の金を必要としています。彼は麻薬密売に関わっている疑いがあり、警察の追及を逃れようとしています。
マーシャントの死は何度も描かれます。彼はジョンソンのライバルであったり、借金の取立人であったりします。殺害現場も、路上であったり、館の庭であったりと、目撃されるたびに細部が異なります。
ジョンソンが館へ向かう道中、彫像のように静止した人々、黒い犬、あるいは「雑誌の表紙」のような光景が執拗に描写されます。しかし、一度起きた出来事はすぐに否定されます。
物語が進むにつれて、登場人物たちの名前や役割、さらには生死までもが混濁していきます。さっきまで生きていたはずの人物が死体として発見されたり、死んだはずの人物が平然と酒を飲んでいます。




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