始めに
テオフィル・ゴーティエ『モーパン嬢』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ゴーティエの作家性
ゴーティエにとってユゴーは絶対的なアイドルでした。1830年、ユゴーの戯曲『エルナニ』の初演で起きたエルナニ事件の際、ゴーティエは赤いチョッキを着てユゴー陣営の先頭に立ちました。既成のルールを打ち破る奔放な想像力と、豊饒な語彙の使い方を学びました。
ドイツの作家ホフマンによる幻想的な物語は、ゴーティエの短編小説に色濃く影を落としています。『死霊の恋』や『足穂の足』といったゴーティエの幻想文学に見られる、現実と夢が交錯する奇妙な世界観や怪奇趣味は、ホフマンからの影響が非常に大きいです。
ジェラール=ド=ネルヴァルはゴーティエとは中学時代からの親友でした。ネルヴァルを通じてドイツ文学や神秘主義、東洋への関心を共有しました。二人は共に小ロマン派(セナクル)の中心として、より過激でボヘミアンな芸術表現を追求しました。
ゴーティエはもともと画家を目指していたため、彼の文学スタイルは非常に視覚的です。特定の作家以上に、絵画や彫刻の視覚的な完璧さが彼の文体に影響を与えました。これが詩は彫刻のように磨き上げられるべきだという信念につながり、後の詩集『七宝とカメオ』で結実します。
唯美主義
この小説を語る上で、作品そのものと同じくらい重要なのがその序文です。ゴーティエは役に立つものはすべて醜いと断言し、芸術に道徳的・社会的な役割を求める当時の風潮を激しく批判しました。芸術の目的は、道徳の教化でも政治の道具でもなく、ただ美そのものを実現することにあるという唯美主義の宣言がなされています。
主人公マドレーヌ=ド=モーパンが男装してテオドールと名乗り、男たちの本音を探ろうとすることから物語が動きます。彼女は男性としても女性としても完璧な美しさを備えた存在として描かれます。これは、肉体的な性別を超越した究極の美の象徴です。詩人ダルベールは、男性(テオドール)としての彼女に惹かれる自分に戸惑い、一方でロゼットという女性もテオドールに恋をします。ここでは、異性愛・同性愛という枠組みを超えた、純粋な美に対する魂の渇望が描かれています。
アイデンティティ
もう一人の主人公であるダルベールは、現実の世界に幻滅し、自分の想像力の中にしか存在しない完璧な女性を追い求めています。彼は精神的な理想を求めながらも、それを肉体的な形として確認せずにはいられないという矛盾を抱えています。マドレーヌとの出会いは、この夢が現実に肉体を持って現れた瞬間として描かれます。
作中では、シェイクスピアの『お気に召すまま』を登場人物たちが演じる場面が重要な役割を果たします。男装したマドレーヌが劇中で女性役を演じるという二重の逆転を通じて、自己とは何か、性別とは演じられるものではないかというアイデンティティの不確かさが浮き彫りになります。
物語世界
あらすじ
物語は、若き詩人ダルベールが友人に宛てた手紙から始まります。彼は裕福で教育もありますが、現実の女性たちに満足できず、深く退屈しています。彼は完璧な美を備えた理想の女性を夢想しており、情婦のロゼットがいながらも、魂の乾きを感じています。そこへ、非常に美しく、洗練された騎士テオドールが現れます。ダルベールはその美しさに強く惹かれますが、相手が男性であることに激しく葛藤します。
物語の視点が変わり、テオドールの正体がマドレーヌ=ド=モーパンという女性であることが明かされます。彼女は、男性が女性の前で演じる仮面を剥ぎ取り、彼らの本性を知るために男装して旅をしていました。ダルベールの情婦であるロゼットは、男装したマドレーヌ(テオドール)に恋をしてしまいます。一方、ダルベールはテオドールは女性に違いないと確信し始め、彼への愛を募らせていきます。
物語のクライマックスは、邸宅で行われるシェイクスピアの戯曲『お気に召すまま』の上演シーンです。男装したマドレーヌが、劇中で女性役(ロザリンド)を演じます。この女装した男装の麗人」という二重の構造を通じて、ダルベールは彼女の真の姿を確信します。ついに正体を明かしたマドレーヌは、ダルベールと一夜を共にし、彼の理想を現実のものとします。また、彼女を慕っていたロゼットとも密かに夜を過ごします。
しかし翌朝、マドレーヌは二人のもとから姿を消します。彼女は、現実の生活が始まれば、理想の美は壊れてしまうことを知っていたからです。彼女は二人の心に永遠の理想として残ることを選び、どこかへと去っていきました。




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