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莫言『赤い高粱』解説あらすじ

莫言
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始めに

 莫言『赤い高粱』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

莫言の作家性

 まず莫言が幼少期を過ごした山東省高密県の風土と、そこで語り継がれてきた口承文学の圧倒的な影響があります。祖母や村の老人たちが語る幽霊譚や狐狸の化かし合い、あるいは凄惨な刑罰の歴史といった物語の原風景は、後に彼が『聊斎志異』の書き手である蒲松齢の正統な後継者と目される土壌となりました。


 ​その技法的転換点において決定的な役割を果たしたのが、フォークナーとガブリエル=ガルシアマルケスという二人の巨星です。莫言自身、1980年代に彼らの作品に出会った際の衝撃を回想しています。フォークナーからは、架空の地名であるヨクナパトーファ郡を舞台に一族の興亡を描く手法を学び、それを自身の「東北郷」という文学的小宇宙の構築へと昇華させました。一方でマルケスからは、日常の中に超自然的な現象を平然と紛れ込ませる魔術的リアリズムの手法を吸収しました。


 ​中国国内の文学的系譜において、彼は魯迅の暗さと批判精神を色濃く受け継いでいます。魯迅が描いたような中国社会の宿痾や、民衆の持つ生命力と同時に存在する愚昧さに対する冷徹な視線は、莫言の描く残酷な描写やグロテスクな祝祭性の中にも通奏低音として流れています。


 また、現代の作家では日本の大江健三郎との親交も深く、大江の描く周辺から世界を捉え直す視座や、神話的な想像力を駆使して戦後民主主義や個人の魂の救済を問う姿勢に強い共感を寄せています。

原始的生命

 核心にあるのは、近代化やイデオロギーによって去勢される前の人間が持っていた、原始的で剥き出しの生命の横溢というテーマです。物語の舞台となる山東省高密県の広大な大地に広がる赤い高粱は、単なる農作物ではなく、そこに生きる人々の血と汗、そして不屈の精神を象徴する巨大な生命体として描かれています。


 莫言はこの作品を通じて、抗日戦争という歴史的枠組みを借りながらも、実際には公式の歴史記述からはこぼれ落ちてしまうような、野性的で、時には残酷なまでに逞しい先祖たちの生き様を神話的な次元へと引き上げました。

生と死と

 物語を駆動させるのは、伝説的な英雄として描かれるおじいさん(余占鰲)とおばあさん(戴鳳蓮)の、道徳や規範を突き抜けた強靭な意志です。彼らは略奪や不倫といった既存の倫理観に照らせば悪とされる行為すら、自らの生命を燃焼させるためのエネルギーへと転換していきます。ここには、後世のひ弱で理屈っぽい子孫たちに対する、作家の痛烈な批判と憧憬が込められています。莫言は、かつての中国農民が持っていた、大地と分かちがたく結びついた暴力的なまでの活力を、高粱酒の赤さや血の匂い、そして全編を覆う強烈な色彩感覚を駆使して描き出しました。

 ​また、本作において死は単なる終焉ではなく、生命の循環の一部として捉えられています。戦場での凄惨な殺戮や拷問、狼に食い散らかされる死体といったグロテスクな描写は、生の輝きを際立たせるための対極として存在しており、美と醜、聖と俗が未分化のまま混ざり合うカオスな世界観を構築しています。この生と死の祝祭性こそが、フォークナー土着性とマルケスの魔術的リアリズムを中国の土着的な感性で溶かし合わせた、莫言独自の文学的到達点と言えます。抗日というナショナリズムの文脈を超えて、人間という種が本来持っている、あらゆる抑圧を跳ね返して生き抜こうとする根源的なパワーの肯定が、小説の通奏低音です。

物語世界

あらすじ

 物語は、1920年代から30年代にかけての山東省高密県を舞台に、語り手である私が、自分たちの伝説的な先祖たちの足跡を辿る形で進行します。


 物語の端緒を開くのは、若く美しい女性である私の「おばあさん」の戴鳳蓮が、政略結婚によって癩病を患う富豪の酒造家のもとへ嫁がされる場面です。その輿を担いでいたのが、野性味溢れる後の「おじいさん」の余占鰲でした。余占鰲は戴鳳蓮に一目惚れし、ほどなくして彼女の夫とその父親を殺害、彼女と共に酒造場を切り盛りするようになります。ここで造られる赤い高粱酒は、彼らの情熱と生命力の象徴として描かれ、彼らは既存の道徳に縛られない自由奔放な生活を謳歌します。


 ​しかし、1930年代後半の日中戦争の勃発とともに、物語は一気に血生臭い激動の時代へと突入します。日本軍の侵攻によって村の平和は無残に踏みにじられ、余占鰲は自警団を組織してゲリラ戦を展開することになります。


 物語は時間軸を激しく交錯させながら、抗日戦争における壮絶な伏撃戦、村人たちへの残虐な虐殺、そして仲間内での凄惨な勢力争いを、剥き出しの描写で描き出していきます。戴鳳蓮もまた、高粱畑で日本軍の弾丸に倒れますが、死の直前まで彼女は自らの生を肯定し続け、高密県の広大な大地と赤い高粱に自らの魂を還していきます。


​ 物語の終盤、語り手である私は、かつて大地を埋め尽くしていた純粋な品種の赤い高粱が、今や交配によってその生命力を失った矮小な姿に成り果てているのを目にします。それは、かつて先祖たちが持っていた、血を流し、愛し、戦い、死んでいくという根源的な生命の輝きが失われてしまった現代社会への、深い喪失感と鎮魂の思いを象徴しています。

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