始めに
ピーター・ケアリー『オスカーとルシンダ』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ケアリーの作家性
ケアリーの初期の短編集や、複雑な語りの構造にはモダニズム文学の強い影が見られます。複数の視点を用いた重層的な叙述や、土着的な記憶と歴史を交錯させる手法において、フォークナーからの影響がしばしば指摘されます。言語的な実験精神や、意識の流れを意識した構成において、ジョイスのモダニズム的アプローチを継承しています。
ケアリーはオーストラリアのマジックリアリズム作家と称されることもありますが、これはラテンアメリカ文学の影響が大きいです。ガルシアマルケス『百年の孤独』に見られるような、現実と幻想が未分化に混ざり合う手法は、ケアリーの代表作『イリィワッカー』などに反映されています。初期の短編集『歴史を運ぶ肥満男』などに見られる不条理でシュールな状況設定は、カフカ的な世界観の影響を強く受けています。
ケアリーは過去の古典を再構築することでも知られています。ケアリーの『ジャック・マグズ』は、ディケンズの『大いなる遺産』に対するポストコロニアルな返答として書かれました。ディケンズ的な饒舌さやキャラクター造形、ビクトリア朝の社会構造への関心は、彼の長編作品の骨格となっています。
オーストラリア初のノーベル文学賞作家であるパトリック=ホワイトの存在は、ケアリーにとってオーストラリアで文学を書くことの指標であり、同時に乗り越えるべき巨大な壁でもありました。
ギャンブル
本作の最も中心的なテーマはギャンブルです。主人公オスカーは、パスカルの賭け(神の存在に賭けることの合理性)を独自の論理で解釈し、自身のギャンブル依存を正当化します。信仰とは不確実なものにすべてを賭ける行為であるという哲学的な問いが、物語を駆動させます。ルシンダにとっても、ギャンブルは社会的な制約から解放される手段であり、同時に自らの運命をコントロールしようとする絶望的な試みとして描かれます。
物語のクライマックスであるガラスの教会を運ぶという行為は、植民地主義の傲慢さと脆さを象徴しています。ヨーロッパの文明(教会)と技術(ガラス)を、過酷なオーストラリアの奥地に持ち込もうとする試みは、美しくも、現地の自然や文化とは決定的に乖離した異物です。ガラスという素材が持つ透明だが壊れやすいという性質は、入植者たちが築こうとした理想や、先住民の土地に対する暴力的な介入の虚しさを暗示しています。
オスカーとルシンダは、ともに当時の社会規範から外れたアウトサイダーです。オスカーはプリマス・ブラザレンから英国国教会へ転向した裏切り者であり、その奇妙な外見と過剰な恐怖症から、どこにも居場所がありません。ルシンダは莫大な遺産を持つ女性実業家でありながら、当時の男尊女卑社会において孤立し、その孤独をギャンブルで埋めようとします。二人の結びつきは、愛というよりも理解されない者同士の共鳴として描かれます。
ガラス。語りと歴史
ガラスは物語全体を貫く重要なモチーフです。液体から固体へと変化するガラスの製造過程は、人間の意志や歴史が形作られるプロセスと重なります。ガラスは向こう側が見える一方で、触れることはできない隔たりを象徴し、登場人物たちの間のコミュニケーションの不全を際立たせます。
ケアリーは、現代の語り手のオスカーの曾孫を登場させることで、歴史がいかに語られるかというテーマを提示しています。過去の事実は、語り手の解釈や嘘によって再構成されるものであり、真実とは常に流動的であるというポストモダン的な歴史観が根底にあります。
物語世界
あらすじ
物語は現代の語り手(オスカーの曾孫)の視点を交えながら、過去を再構成する形で進みます。
オスカー=ホプキンスは厳格な宗教家から英国国教会の司祭へと転向した青年です。極度の水恐怖症でありながら、神の意志を賭けとして解釈する独特の神学を持ち、ギャンブルにのめり込みます。
ルシンダ=ルプラストリエはオーストラリアの若き女性実業家です。シドニーでガラス工場を買い取った彼女もまた、孤独を紛らわせるためにトランプの賭けに耽溺していました。二人はオーストラリアへ向かう船上で出会います。社会の異端児である二人は、互いの賭けへの渇望に共鳴し、深い絆を築きます。
シドニーに到着後、二人の関係はスキャンダラスなものと見なされ、オスカーは職を失います。そんな中、オスカーはルシンダへの愛と信仰を証明するため、ある無謀な計画を提案します。ルシンダの工場で、精巧なガラスの教会を製作するのです。その教会を、オーストラリアの過酷な奥地にあるベリンゲンという僻地まで運び届ける。もし成功すれば、ルシンダは全財産をオスカーに譲り、失敗すればオスカーがすべてを失う。
オスカーは、自らの恐怖の対象である水を克服し、未開の荒野をゆく輸送部隊を率います。ガラスという極めて脆い素材を、熱波と暴力が支配する密林や川を越えて運ぶ旅は、次第に宗教的な熱狂と狂気に染まっていきます。 旅の途上、一行は先住民への暴力や自然の過酷さに直面し、ヨーロッパ的な理想(ガラスの教会)と現地の現実との決定的な乖離が浮き彫りになります。
多大なる犠牲を払い、教会はついに目的地に到着します。しかし、そこで待っていたのは救済ではなく、皮肉な運命でした。 教会はベリンゲンの地に設置されますが、オスカーはそこである誤解と罠に陥ります。最後、彼が最も恐れていた水によって、自らが運んできたガラスの檻の中で溺死するという、皮肉で象徴的な最期を遂げます。ルシンダは財産を失い、工場の労働運動に身を投じることになります。そして、この嘘のような真実の物語が、曾孫の代へと語り継がれていくことになります。



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