始めに
アルノ・シュミット『石の心』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
シュミットの作家性
シュミットはポーの作品のドイツ語訳を手掛けた翻訳者でもあり、ポーの生涯や作品に深く傾倒していました。シュミットの超大作『ツェッテルズ・トラウム』は、ポーのテキストを解読、分析する対話構造をとっています。
カール・マイは冒険小説で知られるドイツの作家です。シュミットは少年時代からの愛読者であり、大人になってからも精神分析的手法を用いてカール・マイを再評価した論考『Sitara und der Weg dorthin(シタラとそこへの道)』を執筆するなど、生涯にわたって強い影響を受け続けました。
ジャン・パウルの脱線や挿入句、豊かな脚注、ユーモア、ことば遊びを散りばめたスタイルは、シュミットの断片的な散文形式やタイポグラフィを駆使した実験的書法に直接的な影響を与えました。
ジェイムズ・ジョイスは意識の流れや造語・語呂合わせを駆使した言語実験において、シュミットが深く意識したモダニズム文学の巨匠です。シュミット言語理論(言葉の無意識のレイヤーを解析する「エティム理論」)や実験的テキスト構造は、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』と重なります。
クリストフ・マルティン・ヴィーラントは18世紀ドイツ啓蒙主義の作家で、シュミットは彼を自身の文学的理想像として深く敬愛し、ドイツ文学史における重要な先達として位置づけていました。
フリードリヒ・ド・ラ・モット・フーケは『ウンディーネ』などで知られるロマン派の作家で、シュミットは彼を徹底的に研究し、詳細な伝記『Fouqué und seine Zeit(フーケとその時代)』をしました。
ほかにジグムント・フロイトの精神分析学がシュミットの作品分析・創作論の不可欠な土台となっています。また、ルイス・キャロルやアダベルト・シュティフター、あるいは文学史の中で忘れられた作家たちの作品からも多様な着想を得ていました。
タイトルの意味
タイトルの「石の心」は、E.T.A.ホフマンの同名小説(『石の心』)やヴィルヘルム・ハウフの童話『冷たい心』などの古典文学へのオマージュであると同時に、登場人物たちの冷酷で計算高い内面を象徴しています。
副題に「1954年についての歴史小説」とあるように、執筆当時(1950年代半ば)の現在をあえて歴史として客観視する手法をとっています。本作は西ドイツ(アルデンやハノーファー)と東ドイツ(東ベルリン)の双方を舞台としており、両国の政治体制や社会状況を等しく冷ややかに批判した西ドイツ初期の小説の一つです。
偽善とエゴ
西ドイツの経済復興期の裏にある金銭至上主義や、東ドイツの社会主義体制下の窮状や偽善が、国境を行き来する人々のやり取りを通して暴かれます。
作品の根本をなすのは、誠実さや感情的絆を失い、利害関係とエゴイズムによって動く人間たちの姿です。主人公のウォルター・エガースは偏執的な古書蒐集家であり、ハノーファー王国の貴重な統計手帳を手に入れるためだけに、旧家の女性フリーダを誘惑し関係を持ちます。登場人物たちは互いを愛しているからではなく、金銭、物資、あるいは性的な便宜や欲望の満たすために付き合っています。結末で金貨の隠し財産が発見されると、エガースの逃亡計画はあっさりと撤回され、経済的安定と金銭のためにその場に留まることを選択します。
ハノーファー選帝侯妃ゾフィー・ドロテアの地
本作では、従来の道徳観や恋愛観が解体され、奇妙なほど功利的に人間関係が再構築されます。エガース、フリーダ、その夫で長距離トラック運転手のカール、そしてカールの東ベルリンの愛人ラインの4人は、嫉妬やドロドロとした愛憎劇を起こすことなく、互いの愛人関係や同居生活を割り切って受け入れます。
物語の舞台となるアルデンは、不貞の罪でアルデン城に終身幽閉されたハノーファー選帝侯妃ゾフィー・ドロテアゆかりの地です。作中では、この悲劇的な歴史的事件のパロディ・平行関係として、1954年の不倫劇や男女関係が重なり合わさって描かれます。過去の歴史文書やマニアックな書物への執着が、荒廃した現実社会から逃避するための知的なアジールとして機能しています。
シュミット特有のモザイク状の散文手法、視覚的な記号使い、方言や音声を意識した独自の整形方などにより、短く断片化されたシーンが集積されています。この断片的なスタイル自体が、分裂したドイツ社会と、断片化された人間の感情を鮮明に体現しています。
物語世界
あらすじ
1954年、冷戦下の西ドイツ。古書や歴史文献の偏執的なコレクターであるウォルター・エガース(元税務署員)は、ハノーファー近郊の小さな町アルデンを訪れます。彼の目的は、ある旧家が所有する極めて貴重な歴史文書(ハノーファー王国の統計手帳)を手に入れることでした。
エガースは文献を手に入れるため、その家の女性フリーダに接近し、言葉巧みに彼女を誘惑して愛人関係になります。フリーダの夫カールは長距離トラック運転手で、頻繁に家を空けていました。
やがてエガースの存在を知った夫カールですが、怒るどころか驚くほど冷淡・功利的に状況を受け入れます。実はカール自身も東ベルリンにラインという愛人を囲っていたのです。エガースはカールのトラックに乗って東西の国境を越え、東ベルリンのラインの家を訪れるようになり、4人は嫉妬や道徳的葛藤とは無縁の、奇妙に割り切った多角関係を形作っていきます。
エガースは目当ての貴重な文書を手に入れ、西ドイツでの鬱屈とした生活を捨てて高飛びしようと企てます。しかし家の改修作業中に大量の古い金貨(隠し財産)が偶然発見されます。
莫大な金を手に入れたエガースは、逃亡計画をあっさり撤回。愛や情熱ではなく、金銭的な安定と実利によって結びついた「石の心」を持つ者同士、この歪で快適な共同生活にとどまり続けます。




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