始めに
ロベルト・ボラーニョ『2666』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ボラーニョの作家性
ボラーニョの文学的思考に最も決定的な影響を与えた一人がボルヘスです。架空の書評や偽史、迷宮や百科事典的知識を織り交ぜる手法は、ボラーニョの『アメリカ大陸のナチス文学』などに色濃く反映されています。
フリオ・コルタサルは『石蹴り遊び』などで知られる実験的小説の巨匠で、若者たちの文学的探求、放浪、変幻自在な語り口は、ボラーニョの代表作『野生の探偵たち』の精神的バックボーンとなっています。
ニカノール・パラはチリの「反詩(アンチポエトリー)」を提唱した詩人で、ボラーニョは彼を絶賛し、従来の詩的慣習を打ち破る姿勢に深い共感を寄せていました。
アドルフォ・ビオイ=カサーレスは『モレルの発明』などで知られる幻想文学の第一人者で、ボルヘスとも親しかった彼の精密なプロット構成を高く評価していました。
カフカはボラーニョが20世紀最高の作家と公言した存在です。出口のない不条理、消えた人物を追い続ける展開、暴力を巡る冷徹な視線などは『2666』をはじめとするボラーニョ作品の核心に直結しています。
ランボーとロートレアモン卿はボラーニョが1970年代にメキシコで立ち上げた前衛詩運動インフラレアリスモの精神的ルーツです。社会から逸脱し、若くして破滅的に詩を紡ぐ呪われた詩人のイメージを生涯愛しました。
ジョルジュ・ペレックは『人生使用法』などで知られるウリポの作家で、リスト構造や巨大なパズルを組み立てるような幾何学的な小説構造の面で影響を与えています。
パタフィジック(形而超学)の始祖ジャリや、シュルレアリスムの提唱者ブルトンなど、ナンセンスやアヴァンギャルドの伝統もボラーニョの重要なルーツです。
セルバンテスは『ドン・キホーテ』の著者で、遍歴の旅、メタフィクション、虚構と現実の交錯など、現代小説の起点として最も尊敬していた古典の一冊です。
メルヴィル『白鯨』の狂気的な追跡劇や、百科事典的・注釈的な書き方は、ボラーニョの長編の大規模なスケール感に影を落としています。
ボラーニョの作品には探偵小説の骨格が多く使われます。ハードボイルドな文体や、事件の真相に迫りつつも世界の暗部に飲み込まれていく刑事・探偵たちの描き方に彼らの影響が見られます。
フィリップ・K・ディックやコーマック・マッカーシーなど、SFや現代アメリカの暗黒を描く作家たちへの造詣も深く、ジャンル小説の要素を純文学へ融合させるインスピレーション源となりました。
インテリの偽善
作品の中核をなす第4部「犯罪のパート」では、メキシコの国境都市サンタ・テレサ(実在のシウダ・フアレスがモデル)で起きる何百人もの女性殺害事件が、無機質な警察記録のような淡々とした筆致で延々と描写されます。ここでは暴力が劇的な事件としてではなく、社会のシステムに組み込まれた不可避な日常として描かれます。世界の側が暴力に慣れきり、無関心になっていく恐怖そのものが大きなテーマです。
第1部「文芸批評家のパート」では、ヨーロッパの批評家たちが謎の作家アーチボルドを追い求めて情熱を燃やします。しかし彼らは、旅先のサンタ・テレサで実際に起きている女性たちの殺戮にはほとんど目もくれません。ボラーニョは、優れた文学を愛することや高い教養を持つことが、現実の暴力や残酷さを前にしていかに無力であり、時に目を背けるための隠れ蓑になってしまうかを冷徹に暴いています。
悪と混沌。タイトルの意味
第5部「アーチボルドのパート」では、ナチスドイツや東部戦線、ホロコーストといった20世紀ヨーロッパの惨劇が描かれます。過去のヨーロッパで起きた惨劇と、現代のメキシコ国境地帯で起きている惨劇は地続きであり、時代や場所を変えて悪が形を変えながら受け継がれているという歴史観が示されます。
登場人物たちは皆、何か(姿を消した作家、犯人、失われた正気、世界の真実)を追い求めます。しかし、決定的な真相や真相解明は訪れません。サンタ・テレサという都市は、あいまいで不可解な世界の謎が集約されるブラックホールのような場所として機能しています。
本文中に「2666」という数字はほぼ登場しませんが、ボラーニョの別作品では「2666年、忘れ去られた墓地」という記述が存在します。この数字は、人類の歴史の暗闇が極まる遠い未来、あるいは誰も顧みなくなった膨大な犠牲者たちが眠る終末論的な地平を象徴しています。
物語世界
あらすじ
第1部 文芸批評家のパート:ヨーロッパ(英・仏・伊・西)の4人の文芸批評家たちが、謎多きドイツ人作家「アーチボルド」の熱烈なファンとして意気投合します。彼らは四角関係の恋模様を繰り広げながら作家の足跡を追い、「アーチボルドがメキシコに潜伏している」という情報を得てサンタ・テレサへ向かいますが、本人には会えないまま不穏な気配だけを残して去っていきます。
第2部 アマルフィターノのパート:サンタ・テレサの大学で教鞭を執るチリ人の哲学教授アマルフィターノの物語。かつて妻に去られた傷を抱え、愛娘ローザとともに暮らしています。街で女性たちが次々と殺される事件が起き、娘に危険が及ぶ恐怖と戦う中、彼は耳元で聞こえる謎の幻聴に悩まされ、徐々に精神的に追い詰められていきます。
第3部 フェイトのパート:ニューヨークの黒人ジャーナリストのフェイト(本名オスカー・グラント)は、ボクシング試合の取材でサンタ・テレサを訪れます。しかし現地で起きている女性連続殺人事件の異常さを知り、独自に事件を追い始めます。そこでアマルフィターノの娘ローザと出会い、狂気に満ちたこの街から彼女を救い出そうと奔走します。
第4部 犯罪のパート:全作の中で最も長大かつ凄惨な核心部です。1990年代にサンタ・テレサで次々と発見される膨大な女性たちの遺体、遺体の損傷状態、警察の不審な動きや怠慢が、あたかも警察の事件簿のように冷徹・客観的に延々と記録されます。一人の容疑者が逮捕されても惨劇は止まらず、暴力が街の日常と化していく現実が描かれます。
第5部 アーチボルドのパート:第1部から追い求められていた謎の作家アーチボルド(本名はハンス・ライター)の半生が明かされます。第二次世界大戦中のドイツ兵としての戦場体験、戦後の逃亡と執筆活動、そして愛。そして物語の最後、自分の甥がサンタ・テレサで連続殺人の容疑者として逮捕されたことを知り、彼もまたその街へ向かう決意を固めます。




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