始めに
レイラ・スリマニ『ヌヌ ― 完璧なベビーシッター』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
スリマニの作家性
スリマニはカミュを自分の執筆スタイルに最も影響を与えた作品として挙げており、シンプルで直接的、かつ無駄のないクリアな文体に深い感銘を受けています。またボーヴォワールも女性の自由や社会的位置づけ、自立を探求する上で決定的な影響を受けた思想家、作家です。
ドストエフスキーの人間の狂気、不安、善悪の不条理や暴力の起源といった深層心理、形而上学的な問いに感銘を受けています。スリマニの代表作『ヌヌ 完璧なベビーシッター』などの緊迫感ある心理描写にもその影響が見られます。
トルストイ『アンナ・カレーニナ』を少女時代に故郷モロッコのラバトで読み、心揺さぶられました。
ジョイス・キャロル・オーツは『ブロンド』など、複雑な女性像を描く手腕を非常に高く評価しています。
ほかにデュラスにおける「何を書くのかを知るために書く」という執筆に対する哲学や神秘性に共感を示しています。
映画監督のペドロ・アルモドバルもスリマニに重大な影響を与えています。女性を清廉潔白な天使として理想化するのではなく、完璧ではなく身勝手で、時には狂気や毒を持つ生々しい存在として描写する姿勢が共通します。
母親の呪縛
仕事を持ちキャリアを追うことと、家庭で子どもを育てることの間で揺れる現代の女性たちの心理が描かれています。母親であるポールは、仕事復帰による自己実現の喜びを感じつつも、子どもを他人に預ける罪悪感に苛まれます。社会が求める完璧な母親像と現実のギャップ、そして育児の負担が女性に偏っている現状が浮き彫りにされます。
雇い主である中産階級の若夫婦と、雇われる側である貧困層のベビーシッター(イレーヌ)との間にある埋められない社会的断絶が大きなテーマです。夫婦はイレーヌを家族同然と持ち上げつつも、無意識のうちに見下し、都合の良い労働力として扱っています。金銭や住居の余裕の有無が、人間の尊厳や人間関係にどのような歪みを生むかが痛烈に描写されます。
ペルソナと抑圧
主人公のシッター・イレーヌが抱える過酷な個人生活(貧困、借金、孤独、家族との不和)と、都市社会における孤立が描かれます。彼女は社会から「便利なベビーシッター」としてしか見られず、一人の人間としての苦しみや存在感は誰にも認知されません。親切で有能な完璧なヌヌ(お守り)という仮面の下で、抑圧された狂気と絶望が静かに肥大化していきます。
最も安全であるはずの家庭や親密な人間関係がいかに脆く、一歩間違えれば狂気の場と化すかを示しています。他者に家庭の最奥部を委ねることの危険性と、それに頼らざるを得ない現代社会のシステム自体を問いかけています。
物語世界
あらすじ
物語は、痛ましい悲劇の結末から始まります。幼い幼女ミラと赤ん坊のアダムの2人が、長年信頼を寄せていたベビーシッターのルイーズによって殺害され、ルイーズ自身も手首を切って自殺を図る場面から始まります。
時計の針は過去へと戻ります。法律事務所への復帰を決めた母親のミリアムと、音楽プロデューサーの夫ポール。育児と仕事の両立に限界を感じていた夫婦は、面接で控えめながら気品があり、子どもたちの心をすぐに掴んだ初老の女性ルイーズをベビーシッター(ヌヌ)として雇います。
ルイーズの働きぶりは完璧でした。子どもたちの面倒をよく見るだけでなく、完璧な清掃、プロ並みの料理までこなし、一家にとって欠かせない救世主のような存在となります。夫婦はルイーズを家族同然と称賛し、全面的に依存していくようになります。
しかし、完璧なお守りとしての顔の裏で、ルイーズの私生活は破綻していました。死去した夫が残した莫大な借金。音信不通の娘との泥沼の確執。借家を追い出され、ホームレス寸前の生活苦。
社会的精神的に極限まで追い詰められていたルイーズは、ミリアムの家庭に執着し、次第に「この家庭から必要とされ続けたい」という強い欲望と偏執的な愛着を募らせていきます。夫婦が子どもたちの成長に伴って自分を解雇するのではないかという恐怖、そして家族との些細な価値観のズレから、彼女の奇行(腐りかけた鶏の骨を子どもに食べさせるなど)や歪んだ支配欲が少しずつ表面化していきます。
ルイーズは「ミリアムがもう一人赤ちゃんを産めば、自分は永遠にこの家にいられる」という狂気的な妄想に囚われていきます。しかし、雇い主夫婦との間にある冷徹な雇用の壁や、自身のどうにもならない窮状を突きつけられ、彼女の精神は完全に崩壊。逃げ場を失ったルイーズが選んだのは、取り返しのつかない最悪の手段でした。




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