始めに
ポール・コラン『野蛮な遊び 』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
コランの作家性
コランが芸術の道を歩み始めるにあたり、アール・ヌーヴォーの中心地であったナンシー派のアーティストたちから大きな導きを受けました。 ウジェーヌ・ヴァランはナンシー派を代表する建築家・家具デザイナーで、若いコランの才能を見出し、美術の世界へと導いた人物の一人です。 ヴィクトール・プルーヴェナンシー派の画家は彫刻家で、コランに絵画や造形の基礎的な表現技術を授けました。
フェルナン・レジェはキュビスムの代表的画家で、コランはレジェが描く幾何学的な造形やフォルムの単純化、鮮やかな色のコントラストから大きな刺激を受けました。 ミゲル・コバルビアスはメキシコ出身のイラストレーター、風刺画家で、ジャズ文化を描く際の大胆なデフォルメや人物の動きの捉え方に影響関係が見られます。
当時のパリで盛り上がっていた前衛芸術運動を吸収し、自身の装飾ポスターへと昇華させました。 キュビスム、シュルレアリスム、構成主義、未来派など。
アフリカ系アメリカ人ダンサーのジョセフィン・ベーカーとの出会いはコランの作品世界を決定づけました。1925年の『黒人バレー』のポスターや、リトグラフ集『ル・テュムルト・ノワール』に見られる躍動感溢れるジャズ時代の表現は、彼女をはじめとするパフォーマーたちから受けた強い刺激によって開花したものです。
タイトルの意味
作品の中心にあるのは、大人の規範や社会通念が届かない、若者たちだけの閉じられた世界です。彼らは森や自然の中で独自のルールや秘密を共有し、まさに「野蛮な遊び」に興じます。この遊びは単なる子供の戯れではなく、彼らにとっては絶対的で、純粋かつ神聖な世界の構築そのものを意味しています。
コランが描く青春は、甘美で無垢なものだけではありません。大人の倫理観に縛られない純粋なエネルギーは、時に他者への残酷さや強い支配欲、破壊衝動へと容易に裏返ります。人間の本能や野生が剥き出しになる「遊び」を通して、愛憎や嫉妬、生々しい人間関係のダイナミズムが表現されています。
彼らが築き上げた野蛮な楽園は、永遠には続きません。成長、恋愛、そして大人の事情や戦争といった外界の現実が侵入してくることで、純粋で過激だった若者たちの閉鎖世界は亀裂を生み、最終的には悲劇的な破滅へと向かいます。「大人になること」と「純粋な青春の終わり」がもたらす抗えない喪失感がテーマとなっています。
物語世界
あらすじ
物語の舞台は、フランス中部にある湖沼と深い森に囲まれた自然豊かなソローニュ地方。大人の干渉を受けない大邸宅で育った若者たち(語り手であるフランソワ、圧倒的なカリスマ性と野性味を持つ異母兄のジム、そして彼らの妹や幼なじみたち)は大人たちの社会規範や道徳を拒絶し、自分たちだけの閉ざされた世界を作り上げます。
彼らは森の中を駆け巡り、野生動物を狩り、自然と一つになるような「野蛮な遊び」に没頭します。ジムを中心としたその小世界は、純粋でありながら排他的な「野性の楽園」でした。
しかし、彼らが青年期へと差し掛かるにつれ、その密室的な楽園に少しずつ歪みが生じ始めます。グループ内に恋愛や性的な衝動、激しい嫉妬が持ち込まれ、かつての純粋な友情や絆が愛憎の入り交じる複雑な関係へと変化していきます。第二次世界大戦の足音や、大人たちの事情といった現実が、彼らの領域を少しずつ侵食していきます。
現実社会に適応することを徹底的に拒むジムは、どこまでも原始的な純粋さと野生のルールに固執し、その激しさは次第に周りを巻き込む過激な暴走へと変わっていきます。
ジムは最後まで社会に妥協することも、大人たちの都合に屈することも拒み続け、かつて彼らの絶対的な王国であったソローニュの森と沼地の中で、銃撃による死を迎えます。 彼は自らが貫こうとした野性と純粋さの代償として、命を散らすことになります。
ジムという絶対的なリーダーでありミューズであった存在を失ったことで、彼らの密室的な野蛮な楽園は完全に消滅します。生き残った語り手のフランソワは、二度と取り戻せない美しい青春の記憶と、激しい喪失感を抱えたまま、かつてあれほど拒絶していた現実、大人の社会へと生きて戻らざるを得なくなります。




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