始めに
ピエール=ロティ『お菊さん』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ロティの作家性
ロティは熱心なプロテスタントの家庭で育ったため、幼少期から聖書を徹底的に読み込まされていました。彼の小説に共通する、詩的でどこか宿命論的なメランコリーや、人間の無力さを描くトーンは、聖書の文体や世界観から強く影響を受けています。
本を読まないと言いつつも、ロティがフローベールの作品、特に古代カルタゴを舞台にしたエキゾチックな歴史小説『サランボー』を好んでいました。ロティの得意とするリアルな描写には、フローベールらの写実主義のリアリズムが息づいています。
フランス文学において、異国への憧れの基礎を作ったフランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン(『アタラ』『ルネ』)の系譜を引き継いでいます。
ロティの人生に最も決定的な影響を与えたのは、海軍軍医だった年の離れた実の兄です。兄が遠い異国から送ってくる手紙や旅日記、お土産の数々が、少年だったロティの異国への激しい憧れと想像力を育みました。
カルチャーショック
当時、長崎の外国人居留地にやってくる西洋人男性の間では、滞在期間中だけ現地の日本人女性と契約結婚をする(実質的な愛人契約)という風習がありました。ロティにとってお菊さんとの生活は、おもちゃの家で繰り広げられるおままごとのようなものです。ここには、東洋をどこか格下に見なし、自分を慰めてくれる都合の良い異国情緒として消費する、当時の西洋人の特権意識が表れています。
ロティは日本に対してお茶会や浮世絵のような、優雅で詩的な世界を期待していました。しかし、実際に接したお菊さんは、感情が読めず、どこか人形のようで、彼が望むような熱烈な恋愛対象にはなりませんでした。彼が勝手に期待した洗練されたオリエンタルの美と、目の前にある泥臭く、現金で、人間的な現実の日本とのギャップに対する戸惑いが、作品全体に漂うメランコリーを生み出しています。
ロティがフランスへ帰国するため、お菊さんに別れを告げに部屋へ戻ると、彼女は別れを悲しむどころか、ロティから渡された銀貨を床に並べ、嬉しそうに指でパチパチと弾いて本物かどうか確かめていました。ロティはこれを見て、自分が彼女の心に何の傷も残せなかったこと、そして彼女を純真で哀れな東洋の少女だと思い込んでいたのが、実は非常にたくましく現実的な一人の人間だったことに気づき、激しい幻滅を覚えます。結局、二人は最後まで心を通わせることはなく、西洋と東洋の絶対的なすれ違いのまま物語は幕を閉じます。
物語世界
あらすじ
フランス海軍の士官であるロティ(著者自身がモデル)が、軍艦トリオンファント号で日本の長崎に寄港したひと夏の体験を日記形式で綴ったものです。舞台は夏の長崎。ロティは異国情緒あふれる日本での生活に強い憧れを抱きながら上陸します。彼は現地の風習に倣い、滞在期間中だけのかりそめの妻を娶ることにします。
仲介人(ポン引き)であるカンガルーの紹介により、彼は没落士族の娘である18歳のお菊さんと、月額20ドルで契約結婚を結びます。ロティは山の斜面にある風通しの良い小さな家を借り、親友の士官イヴとともに、お菊さんとの奇妙な共同生活を始めます。
ロティとお菊さんの生活は、彼にとってまるでおままごとのようでした。彼女はいつも三味線を弾き、キセルをふかし、友人たちとおしゃべりをして過ごします。ロティは、お菊さんやその友人たちを可愛らしい人形のように観察し、彼女たちの衣装や髪型、日本の奇妙な風習、長崎の美しい風景、寺院や祭りの様子を細密に書き留めていきます。
しかし、ロティはお菊さんに対して恋愛感情を抱くことはありませんでした。彼女の心の内は読めず、どこか冷淡で空っぽのように感じられ、ロティは常に自分と彼女との間には、越えられない人種の壁があると孤独を感じていました。
秋が近づき、突然、トリオンファント号に出航の命令が下ります。ロティは日本を離れることになり、お菊さんとの契約結婚も終わりを迎えます。出発前夜、お菊さんはロティの旅立ちを悲しむような素振りをみせ、ロティも少しばかり感傷的な気持ちになります。
出発の日の朝、ロティは最後のお別れを言うためにお菊さんの家に戻ります。すると、彼女は悲しみに暮れているどころか、床に座り込み、ロティから受け取ったばかりの手切れ金である銀貨を、ハンマーで叩いて本物かどうかを熱心に確かめていたのです。
ロティはこれを見て、自分が彼女にとって単なる金ヅルに過ぎなかったこと、そして彼女の心を少しも動かせていなかったことを悟ります。彼は彼女に冷ややかな別れを告げ、ある種の幻滅と虚しさを抱えたまま、船に乗って日本を去っていきます。




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