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ツルゲーネフ『余計者の日記』解説あらすじ

ツルゲーネフ
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始めに

 ツルゲーネフ『余計者の日記』解説あらすじを書いていきます。

背景知識

ロマン主義から写実主義へ

 ツルゲーネフが影響されたのはロマン主義の作家(ゲーテ、プーシキン、レールモントフ、バイロン、シラー、ヘーゲル、シュレーゲル)やその前史としての作家(シェイクスピア)などで、そこから写実主義を展開していきました。

 ロマン主義から写実主義へ、というこのあたりの特徴は盟友で親交のあったフローベール(『ボヴァリー夫人』『感情教育』)と共通です。

余計者

 ​この作品の最大のテーマは、社会において自分の居場所を見出せず、何の役割も果たせない知識人の悲劇です。高い教育を受け、感受性も豊かでありながら、それを活かす場も情熱も持たない。 自分が不要な存在であることを痛いほど自覚しており、その自意識が行動をさらに空回りさせます。
​ ​

 主人公は自分を特別だと思いたい一方で、実際には凡庸で滑稽な存在であることに苦しんでいます。ロマン主義的な悲劇のヒーローになりたがるものの、実際には恋敵に完敗し、周囲からも相手にされない喜劇的な敗北者として描かれます。自分自身の惨めさを客観的に分析し、嘲笑せずにはいられないという知識人特有の病が表現されています。


​ ​物語の軸となるリザへの失恋は、単なる悲恋ではな自尊心の崩壊を意味しています。​彼は自分を愛してくれない女性を追いかけ、最終的には決闘にまで至りますが、そこでも高潔な英雄にはなれません。愛される資格がないという感覚が、彼を余計者という結論へと追い込んでいきます。

​ 日記という形式をとっているのは、彼が死の間際にいるからです。死を前にして、自分の人生がいかに空虚で、誰の記憶にも残らない余計なものであったかを総括します。人間の苦悩とは無関係に巡り続ける自然の営みと、消えゆく個人の対比が描かれています。

物語世界

あらすじ

 死を目前にした30歳の男チュルカトゥーリンが、自分の人生がいかに無意味で余計なものであったかを振り返る、5日間の日記形式で綴られています。


​ ​肺を病み、余命数日を悟ったチュルカトゥーリンは、退屈しのぎと自己確認のために日記を書き始めます。彼は、自分の人生には語るべき輝かしい功績が何一つなく、自分という存在そのものが社会の歯車に噛み合わない余計なものであったという確信から筆を動かします。


​ ​日記の大部分を占めるのは、彼が数年前に経験したリザという若い女性への恋の記憶です。地方の官吏の娘であるリザに、チュルカトゥーリンは淡い恋心を抱きます。彼は自分が彼女の運命の人になれるかもしれないという微かな希望を持ちますが、そこに若く洗練されたN公爵という真のヒーローが現れたことで、状況は一変します。


 ​リザの心は瞬く間に、都会的で魅力的な公爵に奪われてしまいます。嫉妬と自尊心に狂ったチュルカトゥーリンは、公爵に決闘を申し込みます。しかし、この決闘すら彼を英雄にすることはありませんでした。​公爵は寛大にも空中に向かって発砲します。チュルカトゥーリンは一矢報いることもできず、周囲からは冷笑され、リザからはさらに嫌悪されるという最悪の結果に終わります。


​公爵はやがてリザを捨てて去っていきます。しかし、傷ついたリザが選んだのはチュルカトゥーリンではなく、別の平凡で善良な男でした。結局、彼は誰からも必要とされず、誰の人生にも影響を与えられなかったことを痛感します。​日記の最後、死が訪れる直前に彼はこう記します。「自然は僕がいなくなっても平気だろうし、僕がいなくても誰一人困らない。僕はただの余計な人間だった」と。

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