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火野葦平『革命前後』解説あらすじ

火野葦平
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始めに

 火野葦平『革命前後』解説あらすじを書いていきます。

 

背景知識、語りの構造

象徴主義、ロマン主義、リアリズム、プロレタリア文学

 火野葦平は、漱石、芥川、白秋、佐藤春夫、日夏耿之介、ポーなど、象徴主義、ロマン主義、リアリズムの作家から影響を受けました。

 漱石の『坊っちゃん』『吾輩は猫である』などのユーモアとリアリズムから示唆を受け、本作もリアリスティックでユーモラスな市井の暮らしを描きます。

 芥川の象徴主義、主知主義、ヒューマニズムの感化は大きく、終生影響を受けました。批判される戦争協力も、そのヒューマニズムに由来するものです。

 白秋、春夫のロマン主義から影響を受け、個々人の生に着目する作風を培いました。

 ポーのゴシック文学やユーモアからも影響を受けています。

 また、プロレタリア文学への関心もあります。

 本作も、そのような背景から、リアリスティックな悲喜劇を展開します。

その戦争協力

 本作は火野の戦争協力の責任を描きます

 1938年、火野は「文藝春秋」特派員として中国に渡ります。その後報道部へ転属となり、軍部との連携を深めます。

 戦闘渦中の兵隊の生々しい人間性を描いた、戦地から送った1938年の徐州会戦の従軍記『麦と兵隊』が評判になり、人気作家になります。

 1939年11月に退役して帰国し、中野実ら従軍芸術家と「文化報国会」を結成し、戦争協力を続けます。

 そして戦後、1948年6月25日から1950年10月13日まで、戦争責任から文筆家追放指定を受けたのでした。

生の哲学、ヒューマニズムと戦争協力

 火野が戦争協力をしてしまったのは、セリーヌなどと近いです。

 セリーヌは、ラブレー的な生の哲学に立脚し、個々人の生にまず立脚することから表現を展開し、民衆の生を搾取する戦争というものを批判した一方で、人々の生を退廃させるものとみなして、ユダヤ資本やそれが担うとみたブルジョワ文化を批判し、ナチスのレイシズムに思想的に協力するような形になってしまい、戦後、反ユダヤ主義の責任を追及されました。

 セリーヌは民衆の生に立脚し、それに根ざそうとしたことから、逆に抑圧的なコミュニケーションに加担してしまったのですが、火野も全く同様です。

 火野葦平は芥川譲りのヒューマニストで、民衆の生と共にあろうとしました。そんな火野は『麦と兵隊』において、軍隊における兵隊のあり方に自己犠牲と利他による献身による、民衆の公共的徳のロールモデルを見いだし、自分も兵隊や兵隊のような存在でありたいと願ったのでした。トルストイもクリミア戦争の体験から、民衆の偉大な生を発見し、その偉大な生に根ざす文学を志しました。違ったのは、トルストイは戦争をその民衆を搾取するものとしたのに対し、火野は兵隊の魂に民衆のロールモデルを見いだしてしまったのでした。

 そのような生の哲学と、兵隊のあり方への評価や着目は、戦争における軍閥の暴走や種々の悲劇を経て、自身がその責任を追及されることになった革命後においても、火野にとっては切実なものもあって、それを捨てきることのできない様が作品に描かれています

生の哲学と喜劇

 とはいえ、本作は、作者の戦争責任について悲劇的に描くばかりでなく、その自己正当化のプロセスも含めて相対化し、のみならずオンタイムの世相をもユーモアを包んで描き、さながらセリーヌやそのルーツとしてのラブレーのような、生の哲学に基づく人間喜劇を展開します。

 タイトルにある「革命」とは終戦に伴う転換のことで、その前後を描きますが、動乱のなかでのさまざまな人々の悲喜劇をなまなましく描きます。

語りの構造

 1945年7月中旬から1947年5月までを描き、主人公の焦点化人物は「辻 昌介」という火野葦平の分身です。語り手は異質物語世界のそれです。福岡で西部報道部にいたころから、戦後九州書房を起こしたことなどが描かれます。

 このようなデザインは花袋『蒲団』などと重なります。

 第三者の語りから辻を相対化して描き、その視点からオンタイムの世相を活写します。

物語世界

あらすじ

 1945年7月中旬から1947年5月までを描き、主人公は「辻 昌介」という火野葦平の分身です。
 この間に、B29による度重なる本土爆撃、不可侵条約を破ったソ連の満州侵攻、広島と長崎への原爆投下、玉音放送があり、ポツダム宣言受諾、GHQの占領、獄中にいた共産党員の釈放、パンパンや闇商売の横行、戦犯追及が起こり、タイトルにある「革命」とは終戦に伴う転換のことで、その前後を描きます。
 革命前の辻は、故郷九州の博多で西部軍報道部に所属し、地域の戦意高揚のため、軍人や文化人らとともに、軍が徴用したホテルに泊まり込んで軍務に従事しました。
 戦後、辻は、文芸復興のため九州文学という出版社を仲間と立ち上げ、博多の焼け跡を利用した食べ物屋街「太平街」の設立に関わりもします。
 しかし、辻自身も、自身の戦争協力によって、責任を問われることになります。戦時中の辻の活動について調査するために訪ねて来たGHQのCIC(民間情報局)ケインジャー大尉に向かって、自分の過ちと、それでも戦争協力はある面で正しかった旨の心境を吐露します。

 辻は自分の罪や責任に悩みます。自分が共にありたいと願った、実際の兵隊からも、辻のせいで騙された、との非難を向けられます。

 辻は、自分の責任になやみつつも、戦争協力につながった生の哲学を手放すことはできません。

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