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デフォー『ロビンソン=クルーソー』解説あらすじ

ダニエル=デフォー
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始めに

 デフォー『ロビンソン=クルーソー』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

デフォーの作家性

 ​ジョン・バニヤン『天路歴程』に代表される寓意物語や宗教的自伝の形式は、デフォー作品における「主人公の試練・自己省察・改心」という語り口の骨組みに深い影響を与えました。

​ リチャード・バクスターなどのピューリタン神学者の当時の道徳書や自省録の伝統は、デフォーの描く主人公たちの労働観や宗教的自省の描写に反映されています。

​ ウッズ・ロジャーズ、ウィリアム・ダンピアは探検家です。彼らの航海記は、具体的な事実や観察記録を詳細に記すスタイルを提供し、デフォーの真骨頂である徹底した写実主義の基盤となりました。

​ リチャード・ハクルートの地理情報や探検記録を集大成した航海記集は、世界各地を舞台とする物語の背景設定やエピソードの重要な取材源となりました。

 セルバンテス『ドン・キホーテ』をはじめとするスペイン発祥のピカレスク文学の伝統は、デフォーの『モール・フランダース』などの社会の底辺を生きる人物を描いた作品構造に大きな影響を及ぼしています。

ピカレスク

 本作はピカレスクのモードを踏まえる内容です。

 ピカレスクはスペインの文学ジャンルで、特徴としては自伝的な記述の一人称で書かれます。社会的地位が低いアウトローの主人公が機転を利かせて立ち回る、小エピソード集の形式です。平易な言葉やリアリズム、風刺などがしばしば見えます。「悪漢小説」と訳されるものの、ピカレスクの主人公が重大な犯罪を犯すことは少なく、むしろ世間の慣習や偽善に拘束されない正義を持ったアウトローとして描かれやすいです。主人公は性格の変化、成長はあまりしません。

 本作も主人公のロビンソンがうまく機転を利かせて立ち回り、漂着した無人島で生き残る姿を描きます。

モデル

 本作にはモデルがあるとされます。

 最も有力なのは、スコットランドの船乗りアレクサンダー=セルカークだとされ、セルカークはチリ沖のファン=フェルナンデス諸島にある無人島マス=ア=ティエラで4年間過ごし、1709年にイギリスの探検隊に救出され、1712年にセルカークの冒険を描いた『南洋航海記』と『世界一周クルージング航海記』が出版されていました。

 とはいえデフォー自身はモデルを明かしていないため、他にもさまざまな候補が提唱されています。

ロビンソナーデ

 本作は、新しいジャンルであるロビンソナーデジャンルを生み出しました。ジョナサン=スウィフトの『ガリヴァー旅行記』もこのジャンルの影響が大きそうです。

 またゴールディング『蠅の王』、クッツェー『敵』、トゥルニエの『フライデーあるいは太平洋の冥界』など、現代のポストコロニアルなロビンソナーデジャンルパロディが展開されています。本作もそのきらいがある西洋中心主義が、ポストコロニアル文学では風刺されやすいです。

 デフォーの『ロビンソン・クルーソーのさらなる冒険』と『ロビンソン=クルーソーの生涯と驚くべき冒険の真剣な考察:天使の世界のビジョンとともに』という2つの続編があります。

物語世界

あらすじ

 ロビンソン=クルーソーは、 1651年8月、両親の反対を押し切ってイギリスのキングストン=アポン=ハルから出航します。両親からは、法律家になることを期待されていたのでした。航海で船が嵐で難破するものの、その後再び航海に出ます。次の航海で、船はサレの海賊(サレ=ローバーズ)に乗っ取られ、クルーソーはムーア人の奴隷になります。

 2年後、クルーソーは少年のズーリーとボートで脱出し、アフリカ西岸沖でポルトガル船の船長に救出されます。クルーソーはズーリーを船長に売り渡してしまいます。船長の助けを借りて、やがてクルーソーはブラジルに農園を手に入れます。

 数年後、クルーソーはアフリカから奴隷を購入する遠征に参加し、船は沖合にて嵐に遭い、オリノコ川の河口近くのベネズエラ沖の島(絶望の島)の砂州に座礁します。乗組員はジョリーボートを降ろすものの、津波に飲み込まれ、クルーソーだけが生き残りました。この島ではペンギンとアザラシがいて、クルーソーの他には、船長の犬と2匹の猫だけが難破船を生き延びました。

 クルーソーは次の嵐が来る前に武器、道具などの物資を船から回収します。クルーソーは掘った洞窟の近くに柵で囲んだ住居を建てます。木製の十字架に印を付け、島での滞在時間を記録するためのカレンダーの柱を作ります。

 何年もかけて、船から回収した道具や自分で作った道具を使って、狩りをしたり、大麦や米を育てたり、ブドウを干してレーズンを作ったり、陶芸をしたり、ヤギを捕らえて育てたり、オウムを飼ったりします。信心深くなり聖書を熱心に読み、自分の運命を神に感謝します。それから2隻の船を作ります。本土を目指すための大きな丸木舟と、島の海岸を探検するための小さな船です。

 やがてクルーソーは人食い人種がたまに島を訪れ、捕虜を殺して食べることに気づきます。クルーソーは、狩りに使っていた弾薬を温存し、家を補強します。けれども人食い人種は故意に罪を犯しているのではないため、彼らを殺すことは許されないと次第に悟ります。

 ある日、クルーソーは嵐でスペインのガレオン船が島に座礁したのを知ります。放棄されたガレオン船にあった食料と弾薬、そして船の犬がクルーソーの蓄えに加わります。

 人食い人種が島を訪れたとき、捕虜が逃げ出し、クルーソーは彼を助け、彼が現れた曜日にちなんで「フライデー」と名付けました。クルーソーはフライデーに英語を教え、キリスト教に改宗させます。

 クルーソーはすぐにフライデーから、彼が見つけた難破したガレオン船の乗組員が陸に逃げて、今はフライデーの部族と一緒に暮らしていることを知らされます。クルーソーは別の小さな丸木舟を造り、本土へ航海しようとします。さらに人食い人種が到着すると、クルーソーとフライデーは彼らのほとんどを殺し、2人の捕虜を救出します。1人はフライデーの父親で、もう1人はスペイン人です。スペイン人がフライデーの父親と一緒に船を造ってスペインの港を目指し、その後クルーソーらを救出する計画を立てます。

 しかしその前にイギリス船が現れます。船員たちは船長に反乱を起こし、船長と船長に忠誠を誓っている者たちを島に置き去りにしようとしています。クルーソーと船長は協力し、クーデターの首謀者は船長に処刑され、反乱者たちは、島に残されることになります。イギリスに向けて出航する前に、クルーソーは反乱者たちに自分が島で生き延びたやり方を伝え、例のスペイン人が来るだろうと告げます。


 クルーソーは1686年12月19日に島を離れ、1687年6月11日にイギリスに到着します。家族から死んだとされていて、父の遺言で遺産が残されていませんでした。

 クルーソーは、ブラジルの地所の利益を取り戻すためにリスボンに向けて出発します。結局、ポルトガルから陸路で財産をイギリスに運ぶことになります。フライデーも同行し、ピレネー山脈を越える途中でオオカミと戦いました。

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