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エリアス・カネッティ『眩暈』解説あらすじ

エリアス・カネッティ
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始めに

エリアス・カネッティ『眩暈』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

カネッティの作家性

​ カネッティにとって最大の師であり、同時に乗り越えるべき壁だったのが、ウィーンの風刺家カール=クラウスです。クラウスが雑誌『火花』で行った、人々の話し方の癖からその本性を暴く手法は、カネッティの聴覚的仮面という概念に直結しました。


​ ​カネッティはカフカを自分に最も近い作家と見なしていました。巨大な力に翻弄される個人の姿を描くカフカの作品から影響されました。


​ カネッティは、スタンダールの自己を冷徹に観察する目を高く評価していました。彼の膨大な自伝三部作の誠実な叙述スタイルには、スタンダールの影響が色濃く残っています。ゴーゴリの描くグロテスクな人間像や都市の狂気、ロマン主義は、カネッティに示唆を与えました。


​ アリストパネスは古代ギリシャの喜劇作家で、カネッティのドラマにおける社会風刺や、人間の滑稽さの描き方に影響を与えています。晩年のカネッティは東洋思想、特に沈黙や無用の概念に惹かれていました。これは、常に言葉で世界を支配しようとする権力への対抗策としての関心でした。

バベルの塔の寓意

 主人公ピーター=キーンは、2万5千冊の蔵書に囲まれて暮らす世界最高の中国学者です。彼は頭こそが唯一の住処であると信じ、外界を徹底的に拒絶しています。抽象的な知識に閉じこもった知性の傲慢さと、その純粋さがいかに脆く、いかに現実の暴力によって容易に粉砕されるかを描いています。

​ この小説に登場する人物たちは、互いの言葉を全く理解していません。それぞれが自分の欲望や妄想という仮面を通した独白を続けているだけです。言葉は意思疎通の道具ではなく、自分を守り、他人を攻撃するための防壁として機能しています。カネッティはこれをバベルの塔的な状況として描き、人間がいかに他者の声に対して盲目であるかを強調しました。

 ​のちにカネッティが一生をかけて執筆する思想書『群衆と権力』の萌芽がここにあります。キーンという孤高の個人が、街の底辺の人々に飲み込まれ、弄ばれていく過程は、個人の理性が集団の狂気に屈服する過程のメタファーでもあります。​物語の結末は、キーンが自ら蔵書とともに炎に包まれる衝撃的なものです。知識を保存しようとする強迫観念が、最終的には破壊へと反転するパラドックスが描かれます。原題の「失明(Blendung)」が示す通り、あまりに強い光は人を盲目にし、破滅へと導くという皮肉が込められています。

物語世界

あらすじ

​ ​主人公ピーター=キーンは、2万5千冊の蔵書に囲まれて暮らす、極度の人間嫌いの中国学者です。彼は本だけを愛し、外界との接触を断絶していました。


 ​しかし、ある時、長年仕えていた家政婦のテレーゼが本を大切に扱っている(ように見えた)ことに感動し、あろうことか彼女と結婚してしまいます。これが地獄の始まりでした。テレーゼの正体は、強欲で卑俗な、知識とは無縁の怪物です。彼女はキーンの遺産とアパートを乗っ取ろうと画策し、ついには彼を自分の書斎から追い出してしまいます。


 ​アパートを追い出され、浮浪者となったキーンは、ウィーンのどん底の社交場である星の店へ流れ着きます。そこで彼は、チェスの天才を自称する背むしの男フィッシャーレと出会います。


​ キーンは自分の蔵書はすべて頭の中に隠してあるという妄想に取り憑かれます。 フィッシャーレはキーンの狂気を利用し、本を救い出すための資金と称して彼から金を巻き上げ続けます。キーンは物理的な本を持っていないのに、架空の本を背負って街を彷徨い、精神的にボロボロになっていきます。


​ ​キーンの弟で、パリで成功した精神科医ジョルジュが、兄の窮地を聞きつけてやってきます。ジョルジュは持ち前の機転と雄弁さで、テレーゼや彼を虐待していた管理人をアパートから追い払うことに成功します。


 ​ついにキーンは平穏な書斎を取り戻したはずでした。しかし、弟ジョルジュもまた「狂気」の専門家でありながら、兄の真の絶望を理解していませんでした。弟が去った後、完全に理性を失ったキーンは、自分の蔵書すべてに火を放ちます。本が死ぬなら自分も死ぬと、燃え盛る2万5千冊の書物とともに、彼は高笑いしながら焼死します。

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