ピンチョン『重力の虹』解説あらすじ

トマス=ピンチョン

始めに

 ピンチョン『重力の虹』解説あらすじを書いていきます。

 

背景知識、語りの構造

おおまかな時系列

 パート1は、主に1944年12月18日から26日で、部分的にはバルジの戦いと重なります。パート 2は、1944年のクリスマスから翌年の聖霊降臨祭である1945年5月20日までの5か月間、パート3 は 1945 年の夏に設定されており、ほとんどの出来事は 5 月 18 日から 8 月 6 日 (広島への原爆投下日からキリストの変容の祭日)の間に起こります。パート4は、1945 年 8 月 6 日直後に始まり、同年 9 月 14 日の聖十字架称賛の日までの期間をカバーし、そこから70年代へと移ります。

 本作はこのように、第二次世界大戦を背景にする物語です。ジョイス『ユリシーズ』と同じく、戦争やキリスト教などの宗教的象徴をプロットにはらむ内容です。

 物語は米独の、ミサイル兵器であるV2ロケット(ドイツのミサイル)を巡る抗争を軸にスロースロップの受難が描かれます。

ジョイス『ユリシーズ』

 モダニズム文学はT=S=エリオットの『荒地』などを皮切りに、フォークナー(『響きと怒り』)、ジョイス(『ユリシーズ』)、三島由紀夫(『奔馬』)、大江健三郎(『万延元年のフットボール』『取り替え子』)など、神話的象徴の手法を取り入れるようになりました。これは神話の象徴として特定の対象が描写され、新しい形で神話や特定の対象が発見される機知が喚起する想像力に着目するアプローチです。

 『ユリシーズ』では冴えない中年の広告取りレオポルド=ブルームを中心に、ダブリンの1904年6月16日を様々な文体で描きます。タイトルの『ユリシーズ』はオデュッセウスに由来し、物語全体はホメロスの『オデュッセイア』と対応関係を持っています。テレマコスの象徴となる青年スティーブン=ディーダラス、オデュッセウスの象徴としてのレオポルド=ブルーム、ペネロペイアの象徴としての妻モリーのほか、さまざまな象徴が展開されます。

 本作は全18話において各々パロディという形でさまざまなジャンル、作家のスタイルが導入されています。この語りの構造は『フィネガンズ・ウェイク』でさらにラディカルに展開されていきます。またこうした要素は村上春樹作品(『風の歌を聴け』)、ピンチョン作品(『重力の虹』)、クノー(『文体練習』)、伊藤整、ナボコフ(『ロリータ』)に継承されていきます。

 このようなさまざまな作家、ジャンルのパロディを展開することで、現実世界における言語的多様性を抱えつつ営まれる実践の再現を試みているとも解釈できます。トウェイン『ハックルベリ=フィンの冒険』の如く、方言などの多様なスタイルでもって綴られる作品世界は現実世界の再現として捉えられます。

 また認知言語学、記号学的な発想を汲み取ることができ、つまるところ各々の言語、作家のスタイル、ジャンルというのは積み上げられた歴史の集積物で、歴史的蓄積の中で構築された各々の言語の(メタファー、レトリックなどに見える)全体論的デザインや歴史的実践の中での変遷に着目するのがソシュール以降の記号学や認知言語学と言えますが、ジョイスやそれ以降のモダニストの他言語、ジャンル、作家パロディの実践はその歴史性へのコミットメントでありその中での合理性や機知の発現と評価できます。

ジョイス『ユリシーズ』からの影響。戦争文学、象徴

 本作で中心となるのはアメリカ軍中尉タイローン・スロースロップで、彼にはセックスした後にV2ロケットが落下するという秘密があります。それ知る組織はスロースロップを監視し、仮説を打ち立てます。スロースロップもまたV2を追い求め、ロンドンから大陸、連合軍占領地〈ゾーン〉へと遍歴する、という内容です。

 ジョイス『ユリシーズ』では、さえない中年ブルームの放浪が『オデュッセイア』における英雄オデッセウスの活躍の象徴となりますが、本作では、スロースロップ自身がおそらくはミサイルの誘導装置のSゲレートになっていて、そのことから彼自身が戦争や戦後アメリカのもたらす混乱と狂騒の象徴にもなっています。また、終盤のスロースロップキリスト的な受難者としての象徴性が強まり、キリストのように変容し、犠牲になるスロースロップが描かれます。『オデュッセウス』を艶笑コメディに翻案する『ユリシーズ』と同じイズムがここに見いだせます。

 また、本作も『ユリシーズ』的な文体実験や形式主義的実験と脱線が展開されていきます。本作は第二次大戦期とその後の混乱の時代を描く内容となっていて、戦後は軍産複合体が台頭し、アメリカ社会は混迷を深めていきます。本作の『ユリシーズ』的な語りの実験は、こうした世相の混乱の象徴として機能しています。

 社会の混乱のなか、スロースロップも精神的に混乱していき、最終的には自我も肉体もバラバラになってしまいます。

ゲーテ『ファウスト』とロマン主義、シュルレアリスム

 本作にはゲーテ『ファウスト』が登場しますが、ゲーテという作家は、形式主義者という意味合いにおいて古典主義者であり、作家主義者であるという点でロマン主義者でした。

 同時代のフリードリヒ=シュレーゲルはゲーテの『ヴィルヘルム=マイスターの修行時代』をシェイクスピア『ハムレット』への批評性に基づくものとして、高く評価しました。『ハムレット』という古典の形式をなぞりつつ、ゲーテという作家個人の主体性を発揮することで展開される翻案の意匠が『ヴィルヘルム=マイスターの修行時代』にはあります。

 また『ファウスト』も、ファウスト伝説に題材をとりつつ、ダンテ『神曲』を参照しつつ、独自の意匠で形式主義的実験を凝らし、混沌とした世界を展開したものと言えます。

 本作『重力の虹』も、この『ファウスト』のコンセプトと重なります。『ファウスト』『ユリシーズ』という古典の意匠を踏まえて、ピンチョン独自の作家主義を展開しています。

 また、内的世界の混沌がパラノイアという形で描かれ、このあたりはロマン主義のランボーの内的混沌のナンセンスや、それに着目したシュルレアリスムとも重なります。

ポップアートとして

 ピンチョンは、ポップカルチャーのアートを作品に取り込むポップアート的なコンセプトが本作など多くの作品で見られ、本作品も映画や娯楽小説の影響が顕著です。

 本作が踏まえるのはスパイ小説、ハードボイルド小説、またノワール映画やサスペンス映画のモードで、ヒッチコック映画さながらに、陰謀に巻き込まれながら混乱する主人公を描きます。

物語世界

あらすじ

パート 1: 「ゼロの彼方」

 特殊作戦執行部(SOE) の職員であるパイレーツ=プレンティスは、 V-2 ロケットの攻撃現場に車で連れて行かれます。パイレートの仲間のテディ=ブロートもここにいます。

 心理戦争機関 PISCES の職員は、かつて精神病院だった「ホワイト・ビジテーション」に本部を置き、ロンドンでのスロースロップの性行為と推定される場所の地図を調査し、各場所が同じ場所への V-2 ロケットの攻撃の数日前に発生していることを発見します。

 この偶然の一致はパブロフの行動心理学者エドワード・W・ポイントマンの興味をそそり、スロースロップの勃起とミサイル攻撃の間には因果関係があるのではないかと考え、また彼の同僚で統計学者のロジャー・メキシコは、この関係はポアソン分布に見られるように確率の偶然の一致に過ぎな​​いと示唆します。

第 2 部: 「ヘルマン ゲーリングのカジノで過ごす時間」 :

 スロースロップは、最近解放されたフランスのリビエラにあるカジノに送り出されます。スロースロップはポイントマンの仲間であるカチェや言語学者のサー=スティーブン=ドッドソン=トラックらによって監視されています。

 タコがフランスのビーチでカチェを攻撃しますが、スロトロップはカチェを救出し、カチェとスロースロップは最終的に性交します。カジノで、彼はイレギュラーなシリアルナンバー 00000 のロケットについて知ります。このロケットには、これまで知られていなかったプラスチックのイミポレックス G でできた S-ゲレートと呼ばれる謎の部品が搭載されていて、スロスロープがロケット命中を予知できるのは、イミポレックス G の製作者であるラズロ・ヤムフによって幼児期に条件付けされたためだと示唆されますが、定かではありません。

 一方、ホワイト ビジテーションでは、ポイントマンが部隊とその任務を自分の管理下に置きます。部隊の名目上の指揮官である准将アーネスト=プディングは、第一次世界大戦のトラウマ的に悩まされており、ポイントマンが仕組んだカチェとのサドマゾヒズムの儀式によって 服従させられます。

 スロースロップは、古い仲間が姿を消すにつれて、監視されているのではないかと疑い始め、イギリスの従軍記者「イアン・スカッフィリング」のペルソナを身につけます。彼はカジノから「ザ・ゾーン」、つまりヨーロッパの戦後荒廃が融合した地域へと逃げ込み、最初はフランスのニース、次にスイスへと向かい、00000 と Sゲレート を探します。

 カチェはイギリスで無事であり、ロジャー・メキシコ、ジェシカ、そしてスロスロープの秘密の監視を担当するポイントマンとビーチで 1 日を楽しんでいることが明らかになります。スロースロップと連絡が取れない間、カチェはポイントマンを通じて彼の行動を追跡しするものの、ポイントマンは精神的に不安定になっていきます。

パート 3「ゾーン」

 スロースロップは Sゲレートの探索が聖杯探求であるかどうか疑うようになり、パラノイア (「すべてがつながっているのではないかという恐怖」) が「反パラノイア」(「何もつながっていないのではないかという恐怖」) に屈していることに気づきます。

 やがて彼はロシア人大佐のワスラフ・チチェリンに恋をしている自称魔女のゲリ・トリッピングに出会います。チチェリンは以前、ソビエト国家のために働き、中央アジア、特にソビエト、カザフスタンに新トルコ語アルファベットを持ち込み、「キルギスの光」と呼ばれる神秘的な体験を求めていました。スロトロップとゲリは、ゲーテの『ファウスト』のワルプルギスの夜の舞台となったドイツの山、ブロッケン山の頂上で神秘的な体験をします。

 スロースロップは、1904 年のヘレロ族虐殺の生存者を祖先に持つ架空のアフリカのロケット技術者集団、シュヴァルツコマンドのメンバーと出会います。ここで一方の派閥は人種的自殺計画に固執し、もう一方の派閥は V-2 ロケットに神秘的で半ば宗教的な意味を見出しています。ロケットは作中で二種類登場していて、所有者は、〈00000号〉とともに姿を消したドイツのブリツェロ大尉と、新たに〈00001号〉を製造したヘレロ族のエンツィアン率いるこのシュヴァルツコマンドです。エンツィアンが探し求める部品が〈Sゲレート〉と呼ばれるロケットの誘導装置です。

 ベルリンで元ドイツ映画スターのマックス・シュレプツィヒだと証明する書類を手に、スロースロップは、ヘルメットから角を取り除いてロケットの先端のような形にしたオペラ風のバイキングの衣装を着て、「ロケットマン」というあだ名を与えられます。

 またアメリカ人船員のピッグ・ボディンと出会います。ボディンは、ポツダム会談の中心から大量のハシシの隠し場所を回収するようスロースロップに依頼します。

 かつてドイツ映画産業の中心地だった近くの廃墟となった映画スタジオで、スロースロップは、ドイツ表現主義映画の時代に活躍した元無声映画女優で、現在は肉体的にも精神的にも衰弱しているマルゲリータ(グレタ)・エルドマンと出会います。スロースロップはまた、ドイツにいる黒人兵士を題材にした偽のプロパガンダ映画を監督しているところをイギリスで目撃されたことのある、誇大妄想的なドイツ人監督ゲルハルト・フォン・ゲルとも会います。フォン・ゴルは今や闇市場の活動に関わっています。

 スロースロップはマルゲリータに案内されて北ドイツに行き、アヌビス号に乗り込みます。ここでスロースロップはマルゲリータの十代の娘ビアンカと性交します。日本軍の連絡将校であるモリトゥリ少尉は、マルゲリータとタナツが旅先でのサドマゾヒズム行為をブリセロ大尉のロケット砲台に持ち込んだ経緯をスロトロップに話します。00000ロケットは、1945年の春、この砲台から発射されたと思われます。マルゲリータは工場で何日も過ごし、イミポレックス G で作られた衣装を着せられます。スロトロップは船外に落ち、現在ソ連軍が占領している V-2 ロケットの試験場、 ペーネミュンデに向かう闇商人に救出されます。

 スロースロップは後にアヌビスの元に戻るものの、ビアンカが死んでいます。彼はチチェリンと北ドイツを巡礼し続け、連合軍が鹵獲したV-2ロケットの試験と発射地でもあるリューネベルク高原とクックスハーフェンの町に到着します。

 村の祭りで、彼は子供たちにキリスト教以前の豚の英雄「プレハズンガ」の衣装を着るよう誘われます。イルゼが父親と会ったことがある廃墟となった遊園地でフランツ・ペクラーと会い、スロースロップは彼の子供時代と00000についてさらに知ります。スロースロップがラズロ・ヤムフと関係があることは、スロトロップ家の友人で、幼児のスロトロップに対するヤムフの実験に資金を提供する役割を果たしたと思われるライル・ブランドを通じてきていることが明らかになります。

 スロースロップは、売春婦のソランジュに紹介され、寝ます。ソランジュは実はレニ・ペクラーで、彼女自身も最近強制収容所から解放されたばかりである。同じ建物で、マーヴィ少佐がスロースロップの豚の着ぐるみを見つけてそれを着るものの、ポイントマンのエージェントに捕まり、鎮静剤を投与され、去勢されます。

 ゾーン全体で、大きな政治的、社会的再編が起こっています。プレンティスやカチェ・ボルゲシウスを含む他のキャラクターは、戦後の台頭する軍産複合体に抵抗する「カウンターフォース」を自称するグループとして結集します。

第 4 部: カウンターフォース

 スロースロップの人格は完全に崩壊し、また肉体も散り散りになります。

 フラッシュバックで、現在ドイツにいるロジャー=メキシコが、国際組織に対抗するグループとしての固有の矛盾にもかかわらず、カウンターフォースに参加するようになった経緯が明らかになります。シュワルツコマンドは再会し、00000 ロケットの独自のバージョンの構築を完了します。

 チチェリンは、マルクス主義弁証法に対する自身の疑念にもかかわらず、上官からドイツのロケット科学者数名とともにソ連に戻るよう告げられます。カウンターフォースのメンバーによる会議が開かれます。カウンターフォースには、台頭するロケットシティに対抗する能力がないことが次第に明らかになっていきます。

 ラストはゴットフリートを乗せたロケットの打ち上げシーンが、小説の出版当時のロサンゼルスのオルフェウス劇場のシーンと交互に映し出されます。おそらくはブリツェロの00000と思われます。この劇場は「リチャード・M・ズルブ」という人物が経営しており、リチャード・ニクソン大統領を薄々パロディ化しています。ズルブは「ベンクト・エケロット/マリア・カサーレス映画祭」を主催しています。

 小説は、ロケットが劇場の上空を落下する最後の瞬間に止まり、そこで映写されていたフィルムが壊れ、スロースロップの異端の植民地時代の先祖ウィリアム・スロースロップが作曲した賛美歌が捧げられるところで終わります。

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