始めに
芥川『歯車』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
芸術至上主義
芥川龍之介はワイルド、ゴーティエ、ボードレールなどの美学思想の影響が強く、ここから芸術至上主義の発想を得ました。芸術が社会の中で果たす言語行為としてもたらす帰結や効用、それに文芸の価値が還元されることを否定的に捉え、芸術や文芸がそれ自体でもつ価値を追求しようとしました。つまるところ芥川が否定しようとしたのは明治期の政治小説のように特定の思想、主義のプロパガンダとしての帰結にその価値を還元するような芸術観や芸術で、ここから晩年にある一部のプロレタリア文学へのややネガティブな判断が見えるのでした。
また菊池寛や里見とん(『多情仏心』)らの「内容的価値論争」(美的価値が語りの構造やスタイルか、それとも語られる内容に宿るかの論争)などを踏まえ、当初からあったストリンドベリの告白文学への評価などから、晩年は志賀直哉(『城の崎にて』)への評価が見えるように表現における作家の個性や主体性の発露に文芸的価値の多くを負わせることになります。一方でそれ以前は文芸的価値を形式主義的実験や文体への意匠、作品のテーマや思索の練度の二元論で美的価値を捉えようとしておりました。
本作も後期の作にあたり、志賀直哉(『城の崎にて』)作品をも連想させる、自伝的作品です。
「文芸的な、余りに文芸的な」
谷崎潤一郎と芥川の間で、小説の筋に関する論争がありました。谷崎は筋を重んじ、芥川は筋は重要でもないとしました。
「文芸的な、余りに文芸的な」で芥川は話らしい話のない純粋な小説の名手として、ジュール・ルナール、志賀直哉を挙げて評価しました。
また本作は志賀直哉(『城の崎にて』)の私小説のような、心境小説としてのデザインがありつつ、ディスパレイトな、作家の内的混沌を描きます。
ストリンドベリと告白文学
芥川龍之介はストリンドベリの告白文学から顕著な影響を受けました。とはいえストレートに自伝的な告白文学はなかなかものさず『藪の中』『地獄変』といった告白形式の作品や、キャリアの後期の本作など自伝的作品を著しました。
ゴーゴリの影響
芥川龍之介はゴーゴリから影響が大きく、ゴーゴリ「鼻」と同題の「鼻」があります。
また、ゴーゴリに「外套」という作品があって、この作品では新品の外套を盗まれてしまって、だれも助けてくれなかったショックから死んだ男が幽霊になり、外套を求めるという話です。本作でもレエンコオトを着た謎の幽霊が現れ、語り手の私を苦しめます。
第二のゴーゴリ、ドストエフスキー
ゴーゴリのフォロワーにドストエフスキーがおり、芥川はドストエフスキーからの影響も顕著です。
本作はドストエフスキー『分身』さながらに、幻覚とも本当の怪異とも判別できないレェンコオトの幽霊が現れます。また、歯車の幻覚に悩む語り手を描いています。
物語世界
あらすじ
「僕」は、知り合いの結婚披露宴に出席するため、東京のホテルに向かいます。途中、レエン・コオトを着た幽霊の話を耳にします。
その後、ときどきレエン・コオトが現れ、「僕」は不安になります。披露宴後、ホテルに逗留して小説を執筆しだしたとき、「僕」は、義兄がレエン・コオトを着て轢死したことを知ります、
ときおり「僕」の視界には半透明の歯車が見えます。東京に耐えきれなくなった「僕」はホテルを出て妻の実家へ帰るものの、不吉な現象は続きます。頭痛から横になっていると、妻は「お父さんが死にそうな気がした」と言います。「僕」はもはやこの先を書き続けることも生きていることも苦痛となり、眠っているうちに誰かが絞め殺してくれないだろうかと望みます。
参考文献
・進藤純孝『伝記 芥川龍之介』
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