始めに
ジョイス『ダブリン市民』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ジョイスのエピファニー
ジョイスは美学においてエピファニーという発想を提唱しました。これは、「平凡な瞬間の中に、対象がふとした瞬間に見せるその本質の顕れ」のことです。ジョイスはイプセン(『民衆の敵』『人形の家』)という戯曲作家のリアリズムからの影響が顕著で、エピファニーの発想にも、それが手伝っています。
本作も、同様にエピファニー的な発想のもと、デザインされています。本作が描くのは、日常の平凡な一瞬ではありますが、そこには何か対象の本質が見え隠れします。
「死者たち」のエピファニー
本作で最も有名なのはヒューストン監督の映画化で知られる「死者たち」です。これを例に、エピファニーについて検討していきます。
1904年、雪のクリスマスのダブリン。大学教授のガブリエル=コンロイと妻のグレタはジュリアとケイトのモーカン叔母姉妹と姪メアリーが毎年主催する舞踏会にやってきます。大勢集まりなごやかな雰囲気でした。しかし帰り際に客の一人で歌手のバーテル=ダーシーが歌うアイルランドのバラード「オクリムの乙女」を聴いた時から、グレタの様子が変わります。ホテルに戻ったガブリエルは、グレタからゴールウェイの祖母の田舎に住んでいた娘時代に出会った、この歌をよく口ずさんでいた少年マイケル=フューリーの思い出話を聞かされます。結核になり、会うことが許されず、グレタがダブリンに発つ日に病床を抜け出し、冷たい雨の中、庭先に立っていたものの、まもなく亡くなったそうです。ガブリエルは嫉妬から憐れみ、そして愛に感情が変化していき、今夜の光景を思い出します。そして死者たちの世界を想います。
このように、この作品のなかでは格別大きな事件があるわけではありません。ふとしたことがきっかけで、過去のトラウマがグレタにフラッシュバックし、そこから発展した会話から、夫妻は死と死者たちの世界について意識します。マイケルの死は、夫妻に何か死というものの本質を顕せているのでした。
物語世界
あらすじ
The Sisters (姉妹)
フリン神父の死後、神父と親しくしていた少年と神父の残された家族は、神父のことについて表面的にしか触れません。
An Encounter (ある出会い)
二人の少年が冒険に出かけ、変質者に遭遇します。
Araby (アラビー)
友人の姉に恋した少年は、アラビア市場で彼女にプレゼントを買おうとします。
Eveline (イーヴリン)
若い女性が、水夫とともにアイルランドを脱出しようと考えたが、あきらめます。
After the Race (レースのあとで)
大学生のジミー=ドイルは、裕福な友人と付き合おうとします。
Two Gallants (二人の伊達男)
レネハンとコーリーと言う二人の詐欺師に雇われたメイドが、主人たちに盗みを働こうとします。
The Boarding House (下宿屋)
ムーニー夫人は、娘ポリーと自分の下宿人ドランと結婚させようとします。
A Little Cloud (小さな雲)
小さな雑貨商の男が、友人のイグナチウス=ガラハーと夕食をとり、夢について語ります。
Counterparts (対応)
大酒飲みのアイルランド人の公証人、ファリントンは、パブで、また息子のトムに対して、憂さを晴らします。
Clay (土)
老メイドのマリアは、里子だったジョー・ドネリーと彼の家族とともに、ハロウィーンを祝う。
A Painful Case (痛ましい事故)
シニコ夫人を拒否したダフィーはその4年後、自分が彼女に孤独と死を宣告してしまっていたことに気付く。
Ivy Day in the Committee Room (委員会室の蔦の日)
無名の政治家が、チャールズ・スチュワート・パーネルの功績に比して恥じない行動をとろうとする。
A mother (母親)
カーニー夫人は、娘のキャサリンをコンサートに出演させようとする。
Grace (恩寵)
バーの階段から落ちてケガをしたカーナン氏を、友人たちはカトリックに改宗させようとする。
The Dead (死者たち)
雪の中、叔母ケイトらの主催する夜会に参加したガブリエル・コンロイは、その後で、妻グレタの告白を聞く。
参考文献
・リチャード=エルマン 宮田恭子『ジェイムズ=ジョイス伝』(みすず書房.1996)
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