春樹『国境の南、太陽の西』解説あらすじ

村上春樹

始めに

春樹『国境の南、太陽の西』解説あらすじを書いていきます。

 

語りの構造、背景知識

『ねじまき鳥クロニクル』との関係

 本作は『ねじまき鳥クロニクル』から一部の要素を除いて、取り除いた部分を派生させて成立した作品です。

 『ねじまき鳥クロニクル』では妻の不貞が描かれていましたが、本作では語り手の僕の不貞を描く内容になっています。

コンラッド、フィッツジェラルド的栄光と孤独のドラマ

 この作品では主人公僕の資本主義の中での孤独が描かれます。

 バブル絶頂期の東京が主な舞台です。主人公は、会社を辞め、義父の支援でバーを開店しました。物質的には何一つ不自由ない暮らしを送りながらも、どこか欠けていて満たされることのない僕の孤独と成長を描いています。例えばこれは、フィッツジェラルド『グレート=ギャッツビー』、コンラッド『闇の奥』、ウェルズ監督『市民ケーン』のような、栄光と孤独のドラマになっています。

夫婦の危機と再生

 語り手の「僕」(ハジメ)は一人っ子という育ちに不完全な人間という自覚を持ちつつも、成長と共にそれを克服しようとします。義父の出資で開いたジャズバーが成功し、妻の有希子と二人の子供を授かり、裕福で安定した生活を手にするものの、それに違和感を持ちます。

 そんな中で小学校の同級生だった島本さんが現れたことで、夫婦の関係に危機が迫ります。『騎士団長殺し』にも似た夫婦の危機と再生が描かれます。

タイトルの意味

 「国境の南」は島本さんと聴いたナット・キング・コールの歌の題名です。それは実はメキシコを指しています。子供の頃に聴いた島本さんは、国境の南にすごいものがあると思っていました。

 「太陽の西」とは、シベリアに住む農夫が罹る「ヒステリア・シベリアナ」という架空の病気です。シベリアの荒野で働く農夫は毎日働き、ふと西に沈む太陽を見ると、その太陽を目指して進みだし、ついには力尽き倒れます。島本さんは「僕」とそれを重ねます。

 つまるところ、これは「僕」の満たされず、それゆえ実態もありそうにないものを常にどこかに追い求めて彷徨う心理を象徴します。

島本さん

 本作で主人公に不倫をさせようとする島本さんは、春樹文学では『1973年のピンボール』ノルウェイの森』の直子に代表される、主人公や春樹の精神を混乱させる女性です。

 直子は自殺してしまい、それが主人公をトラウマとして苦しめます。

 本作における島本さんは、日常を生きる僕を誘惑し、死と官能へと誘おうとします。島本さんは幽霊であることが仄めかされ、私と一緒になりたいなら何もかも捨てるようにといいます。つまり、島本さんと関係を持ち続けると死ぬことを意味しています。

 本作はそんな危うい関係からなんとか逃れようとする僕を描きます。

悪との戦い

 「僕」は高校時代、イズミという女の子と付き合っていました。身持が固く、キスしか許しません。「僕」はイズミを裏切り、イズミの従姉である大学生と浮気します。その結果、イズミを傷つけ、イズミの顔からは表情が一切欠けます。この体験から、僕という人間が悪を成しうるということを知ります。

 「悪」との戦いは『羊をめぐる冒険』などから春樹の主要なテーマとなっていきますが、本作では僕も悪を成しうるという感慨が描かれ、このあたりは『騎士団長殺し』などとも重なります。

物語世界

あらすじ

 バブル絶頂期の東京が主な舞台。主人公は、会社を辞めバーを開店しました。

「僕」は一人っ子という育ちに不完全な人間という自覚を持ちつつも、成長と共にそれを克服しようとします。義父の出資で開いたジャズバーが成功し、妻有希子と二人の子供を授かり、裕福で安定した生活を手にするものの、違和感を持ちます。

 「僕」は高校時代、イズミという女の子と付き合っていました。身持が固く、キスしか許しません。「僕」はイズミを裏切り、イズミの従姉である大学生と浮気します。その結果、イズミを傷つけ、イズミの顔からは表情が一切欠けます。この体験から、僕という人間が悪を成しうるということを知ります。

 そんなとき、小学校の同級生だった島本さんが店に現れます。島本さんはバーに時折やって来るようになります。彼女はいつも自由に出歩ける立場ではないそうで、労働したこともないそうです。彼女は幽霊であることが仄めかされます。

 島本さんは私と一緒になりたいなら何もかも捨てるように、「僕」に迫ります。けれども、島本さんの誘惑を乗り越え、島本さんは跡形もなく姿を消します。

「僕」はその後、再び妻子との日常に復帰するのでした。

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