始めに
ヘミングウェイ「殺し屋」解説あらすじを書いていきます。本作はニック=アダムスを登場人物とする作品群の一つです。
語りの構造、背景知識
クレイン、ジェイムズのリアリズム、トウェインの超絶主義とロマン主義
ヘミングウェイはスティーブ=クレイン(『赤色武勲章』)のシニカルな要素に影響を受けていて、短編にはそのようなニヒリズムが見えます。
またH=ジェイムズ(『鳩の翼』『黄金の盃』)からも顕著な影響を受けていて、そのリアリズムや国際性、グランドツアーのモチーフが共通します。
またマーク=トウェイン(『ハックルベリー・フィンの冒険』)の影響も顕著で、その超越主義、プラグマティズム的な発想と、等質物語世界の語り口などに活きています。
ジョイス、H=ジェイムズ的象徴的手法
ヘミングウェイはモダニストのジェイムズ=ジョイスとも親交があり、本作もジョイス『ダブリン市民』のような寓話的な物語になっています。とはいえ、それが具体的にどんな寓話なのかは明示されてはいません。さながらジョイスのエピファニー文学やその弟子ベケット『ゴドーを待ちながら』のようです。
ジョイスは美学においてエピファニーという発想を提唱しました。これは、「平凡な瞬間の中に、対象がふとした瞬間に見せるその本質の顕れ」のことです。ジョイスはイプセン(『民衆の敵』『人形の家』)という戯曲作家のリアリズムからの影響が顕著で、エピファニーの発想にも、それが手伝っています。本作も、同様にエピファニー的な発想のもと、デザインされています。本作が描くのは、日常の平凡な一瞬ではありますが、そこには何か対象の本質が見え隠れします。
またヘミングウェイの好んだヘンリー=ジェイムズの『鳩の翼』『黄金の盃』も、タイトルになっているモチーフの象徴性が効果的に使われます。
閉塞感、審判
本作は、殺し屋に追われる男アンダーソンの物語を描いていますが、彼が置かれた状況は、なんとも言えないものです。
さながら最後の審判を待つかのように、やがてはやってくるであろう終わりに抗うことも必死に逃げることもなく、無為な日々を過ごすアンダーソンが印象的です。ここで殺し屋という存在は、やがて避けられない死の運命の象徴のような存在になっています。
井伏鱒二「山椒魚」、ヘミングウェイ『日はまた昇る』のような、閉塞感を演出しています。『日はまた昇る』と同様に、これから何度もときを重ねても、あるいは繰り返しても、その宿命に従うことは避けられないという逼塞感が、退廃した日常の輪廻を演出します。
物語世界
あらすじ
夕方、「ヘンリーズ=ランチルーム」に二人組の男が来店。 二人は主人ジョージやその場にいた少年ニック=アダムスらを冷やかし、ハムエッグサンドとベーコンエッグサンドを注文します。 二人は食後、ニックと調理場にいたコックのサムを縛り、ボクサー、オーリー=アンダースンを待ちます。
ところがアンダースンは現れず、殺し屋たちは引き上げます。 その後、ジョージに命じられ、ニックはアンダースンの住むミセス=ハーシュの下宿屋を訪れます。 アンダースンは自室から出ず、ベッドの上で横になっています。ニックの呼び掛けには応じるも、逃げようともしません。
戻ってきたニックはジョージに状況を話します。 ジョージはアンダースンが誰かを裏切り、報復に命を狙われたのではないかと話します。ニックは同じ目にあいたくないと考えます。
参考文献
・高村勝治『ヘミングウェイ』
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