始めに
谷崎潤一郎『異端者の悲しみ』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
象徴主義(ワイルド)と古典主義(スタンダール)、ヴィクトリア朝文学(ハーディ)
谷崎潤一郎は英仏の象徴主義、古典主義からの影響が顕著です。オスカー=ワイルドの作品は『ウィンダミア卿夫人の扇』などを共訳で翻訳していますし、『サロメ』的なファム=ファタールを描いた『痴人の愛』もあります。ワイルドの戯曲作品のような、卓越したシチュエーションのデザインセンスとその中での心理的戦略的合理性の機微を捉えるのに長けているのが谷崎文学の特徴です。
スタンダール(『赤と黒』)的な心理劇、古典主義も谷崎の顕著に影響していますし、またウィルキー=コリンズに影響されつつ、ダイナミックなリアリズムを展開したハーディ(『ダーバヴィル家のテス』)からの影響も顕著です。
この辺りはフォロワーの河野多恵子(「蟹」)、円地文子(『朱を奪うもの』)、田辺聖子(「感傷旅行」)などへと継承されます。
オスカー=ワイルド的なアウトサイダーアート、語りの構造
本作品はオスカー=ワイルドの作品や当人の生き方にも似て、アウトサイダーの心理が展開されていきます。
ワイルドの世紀末文学(『ウィンダミア卿夫人の扇』)にも似て、日常的な実践に対するニヒルで冷めた、けれども端正な批評が伺えます。
語り手は異質物語世界の語りで、焦点化が主人公の章三郎におかれます。田山『蒲団』などと共通です。章三郎は、谷崎の分身で、彼のリアリスティックでシニカルな他者や人間関係への眼差しと孤独が印象的です。
伝記的背景。妹の死
三人目で最後の妻松子夫人の姉妹をモデルにした『細雪』や最初の妻千代をめぐる細君譲渡事件を背景にする『蓼食う虫』など、伝記的事実が背景になっている作品は多いものの、あまりストレートに自伝的な内容の作品は谷崎には珍しいのですが、本作は谷崎の自伝的なドラマで、しかも妹のことを描いているのも滅多にないことです。
谷崎にいた一番上の妹の園(1896-1911)ははやくに亡くなっていて、これをモデルにしています。妹の病と死から、大谷崎の分身たる章三郎は自身の哲学と思想を形成していきます。妹の病は章三郎に死の恐怖と安堵を示します。
作品に見える谷崎
この作品を見ると谷崎潤一郎が主に悩んでいたのは、基本的には健康、金などの実際的なことです。間室家は貧乏で、章三郎の学費やお富の医療費は親類が出していて、裕福な友人を羨ましがり、友人の借金からなんとか逃げています。谷崎家も、母方の祖父の家業が傾いて、経済状況が危うかったのでした。
三島由紀夫『仮面の告白』、川端『伊豆の踊子』と比べて、理想とか抽象的な悩みがないことから、谷崎の精神的なタフさの所以が伺えます。三島由紀夫『仮面の告白』では語り手の性的マイノリティーとしてのアイデンティティの苦悩が、川端『伊豆の踊子』では孤児根性という自己の性格へのコンプレックスが、本作では死への恐怖と金銭の悩みが描かれていて、それぞれの作家の切実なものが伺えます。
谷崎は、常識は知っていて、けれども行動や言動に常識やモラルはないアウトローで、ショービジネスとしてそのあたりを弁えてうまく自己プレゼンしています。本作に見えるリアリスティックな人間描写も、こうした常識に裏付けられています。
物語世界
あらすじ
間室章三郎は東京帝国大学の文科生です。学校にもほとんど通っていません。お富という、年の離れた妹がおり、病の状態にあります。肺病で治る見込みがなく、先が短いことを自覚しています。
間室家は貧乏で、章三郎の学費やお富の医療費は親類が出しています。なので裕福な友人が羨ましいのでした。そんな彼は、母を罵ったり、兄に悪態を吐いたり攻撃的な妹が嫌いでした。
章三郎には鈴木という知り合いがいます。同じ大学の法科に通う学生で、茨城の豪農の息子です。章三郎は彼から借金をします。自ら幹事をつとめる中学の同窓会の会費に困っていました。それは芸者をあげるものです。返済のあてはありませんでした。鈴木からの督促の手紙にも応じませんでした。
やがて鈴木は腸チフスに罹ります。見舞った友人によれば、助かりそうにありません。鈴木の病中、「死に対する恐怖」が章三郎を悩ませます。それは鈴木の死後、いよいよ増します。
そんな中、お富は死に際し言います。私は苦しくも何ともない、死ぬなんてこんなに楽な事なのか知らん、と。これまで、その瞳によって死に対する恐怖を突きつけてきたお富が最期、反対のことを言ったのでした。
お富が死んで二ヶ月、章三郎は短篇を文壇に発表します。
参考文献
・小谷野敦『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』(中央公論社.2006)
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