芥川龍之介『羅生門』解説あらすじ

芥川龍之介

始めに

 芥川龍之介『羅生門』解説あらすじを書いていきます。黒澤明監督の『羅生門』(『藪の中』原作)の原案のような感じです。

語りの構造、背景知識

アナトール=フランス、森鴎外流のヒューマニズムとリリシズム

 芥川龍之介はアナトール=フランスからの影響が顕著で、そこから合理主義的科学的ヒューマニズムを展開していきました。『地獄変』に描かれるテーマを芥川自身の芸術至上主義を体現するものではないと、以前そちらの記事に書きましたが、芥川龍之介は倫理やモラルを重視するヒューマニストです。

 またロマン主義的なリリカルな意匠は手本とした森鴎外からの影響が顕著です。

人が悪に落ちるまでの物語。『今昔物語集』「羅城門登上層見死人盗人語」からの脚色

 本作も下敷きになった作品があり、『今昔物語集』「羅城門登上層見死人盗人語」なのですが、本作とはシチュエーションや大まかな流れは共通であるのですが、テーマ性は全く違っています。

 共通するシチュエーションは羅城門/羅生門に登った男がそこにいた、死体から髪を抜いていた老婆から追い剥ぎをして去るという部分です。とはいえ原典ではそうすることにもとよりためらいがあったわけではなく、元から盗みをするつもりでいたのでした。また羅城門にいた老婆は、別に本作のような悪辣な利己主義者ではなく、供養できない主人の死体から髪を抜いていただけでした。

 羅城門で追い剥ぎをした男の話を描く原典を、本作は、人が悪に落ちるまでの物語に脚色しています。

大義名分を得て悪へ染まる男

 本作において下人が悪人へと落ちたのは、利己的な老婆の自己弁護によって、自身が他者に危害を与えることに関して大義名分を得てしまったからです。そして大義名分を得たことで人が残虐になる様を描いています。

 『藪の中』においてもそれぞれの当事者が己の体裁を取り繕う発言をしつつ自分の責任を否定するような弁解を展開しましたが、本作も体裁を取り繕う理屈を得たことで悪に染まる男を描いています。

 『地獄変』においても、大義名分を得たことで、攻撃性を発揮する堀川の大殿が描かれました。

正義の側に立ったときこそ人は残酷になる?

 よく「正義の側に立ったとき人は一番残酷になる」とはいいますが、実際それが倫理的な正義といいうるかはともかく、規範的な実践というのは往々にしてエスカレートしやすいです。

 犯罪者に対する過度な厳罰主義とか、世論のなかではどうしても行き過ぎになりやすいし、いじめとかも大抵はいじめられる側にもなにか原因やきっかけがあって、加害する側は自分等にも理があると思っています。

 本作も規範的な実践のなかで、自分に理があると考えて加害性を獲得するプロセスが描かれます。

黒澤明の『羅生門』

 黒澤明監督に『羅生門』があります。あちらは実際には『藪の中』が原作で、本作の羅生門のモチーフと善悪にまつわる倫理的テーマを絡めて原案として脚色したものです。

物語世界

あらすじ

 平安時代。飢饉や竜巻により、都は荒廃しています。ある暮れ方、羅生門の下で若い下人が途方に暮れています。数日前、主人から解雇され、盗賊になろうかと思いつつ、勇気が出ません。下人は羅生門の2階で休もうと、上へ昇ります。

 楼閣の上には身寄りの無い遺体がいくつも捨てられており、その中に灯りが灯っています。老婆が松明を灯し、若い女の遺体から髪を引き抜いていたのでした。これに怒りを燃やした下人は刀を抜きます。老婆は、抜いた髪で鬘を作り売ろうとしていた、と説明します。悪いことだが、生きるための仕方ないのだそうです。ここにいる死人も、生前は同じようなことをしていましたし、今自分が髪を抜いた女も、生前に蛇の干物を干魚だと偽って売っていましたし、生きるための悪だから、この女も許すだろうといいます。

 下人も老婆の言葉を聞いて勇気が生まれます。そして老婆から着物をはぎ取り、そうしなければ餓死をする体なのだと言い残し、消え去ります。

参考文献

・進藤純孝『伝記 芥川龍之介』

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