始めに
始めに
本日は川端『伊豆の踊子』について解説を書いていきます。
語りの構造、背景知識
ドストエフスキー流の心理リアリズム、モダニズム(ジョイス、横光利一)、少女小説(内藤千代子)
川端康成が好んだ作家はまずドストエフスキーなどの心理リアリズム作家で、サリンジャー(『ライ麦畑でつかまえて』)にも似た理想主義的な少女の表象はまずドストエフスキー(『地下室の手記』『虐げられた人々』)の影響を伺わせます。本作も、ドストエフスキー(『地下室の手記』『虐げられた人々』)の影響をうかがわせ、語り手の「私」が旅の途中で出会った芸人一座の踊り子の少女に向ける視線が描かれています。
また内藤千代子の少女小説風の少女の表象が印象的です。
まだ習作
川端といえば「文藝時代」を舞台とする新感覚派のジャンルに位置づけられ、ジョイス(『ユリシーズ』)、横光利一(『機械』)の影響で書かれた「水晶幻想」などにおける「意識の流れ」の手法で知られますが、本作はその前段階で、等質物語世界の作者の分身たる「私」の心理が描かれます。
川端のモダニストとしてのスタイルは『雪国』『山の音』『眠れる美女』『みづうみ』などでその完成形を見られますが、集合行為の中に置かれた一個のエージェントの一人称視点のリアリズムや、その戦略的振る舞いが描かれます。手法としてはロブグリエ『嫉妬』などと特に近いです。あとモラヴィア(『軽蔑』)の艶笑ものともジャンル的に近いです。
伝記的背景
本作は川端康成の伊豆旅行が背景です。一高時代の1918年(大正7年)の秋、一人で旅します。川端はそこで、岡田文太夫(松沢要)こと、時田かほる(踊子の兄の本名)率いる旅芸人一行と出会い、幼い踊子・加藤たみ(あるいは松沢たみと)と出会いました。
全体的に本作は自伝としてのテイストが強く、川端の人となりがよく現れています。
理想と現実の間で
『金閣寺』の記事で、三島由紀夫の作家としての理想と現実について書きましたが、その師たる川端も理想と現実の間で揺れ続けた作家でした。それは川端の作家としての遍歴にも現れています。
川端という作家は、長編が少なく短編作品ばかりで、しかも作品の総体も少なく代作も多いです。川端は自分の作品で最も好きな作として『名人』を挙げていましたが、そもそも川端は小説を書くことが好きではなかったと思います。なぜかというと、愛欲の主題の多い自分の作品のイメージによって、世間的なイメージが損なわれることを嫌っていたからです。
川端は天才タイプで初期からスタイルとして完成され、簡単に世に出る才能はありますが、八方美人で人当たりや面倒見が良くナイーブで、かなり俗っぽい性格の人です。例えばアポリネール以上にプチブル的というか小市民的な性格で、できるなら鴎外や漱石のような文豪枠の名士でありたかったと思います。創作の天才ではありますが、創作に人生を捧げるタイプではなく、別のところに人生の意味を見出すタイプで、そういう点では三島由紀夫や中上健次(『千年の愉楽』)と異なります。
本作もなんともいえないアンビバレントな作品で、語り手の下賎な踊り子への熱烈な関心の見えるドラマを純情かつ淫靡に描いています。そうした要素は『山の音』『眠れる美女』『みづうみ』などへと受け継がれます。
物語世界
あらすじ
20歳の一高生の「私」は、自分の孤児根性で歪んでいると反省し、苦悩の中、伊豆への旅に出ます。「私」は、湯ヶ島の道中で出会った旅芸人一座の1人の踊子に惹かれ、天城峠のトンネルを抜けた後、一緒に下田まで旅します。リーダーは踊子の兄で、彼らは家族で旅芸人をしています。
夜、湯ヶ野の宿で踊子がどう扱われるのか「私」は心配したが、朝湯につかる「私」に、川向うの湯殿から無邪気な裸身を見せて大きく手をふる踊子の幼い姿に、性的なところのない子供なんだと笑いがこぼれます。
旅芸人一座や踊り子との交流の中で、「私」は悩んでいた孤児根性から抜け出せそうに感じます。
下田へ着き、「私」は踊子とその兄嫁らを活動写真に連れて行こうとするものの、踊子だけしか都合がつかず、母親は活動行きを反対します。「私」は、夜1人で活動に行くのでした。
別れの日、踊子の兄だけが「私」を下田港の乗船場まで送ります。乗船場では海際に踊子が「私」を待っていました。踊子は「私」の言葉にうなずくばかりでした。「私」が船に乗ろうと振り返ると、踊子はさよならを言おうとしたようですが、うなずくだけでした。
別れを悲しみ船内で涙する「私」の頭は「澄んだ水」のようになり、涙が溢れ、甘い快さを感じます。
総評
若書きだが人となりが出ている
川端のスタイルが固まるのは『雪国』あたりからですが、本作も川端の人となりが窺える重要な作品です。ほろ苦い教養小説になっています。
関連作品、関連おすすめ作品
・ドストエフスキー『罪と罰』、太宰治『人間失格』『眉山』:純粋さの象徴のような少女の表象。
参考文献
小谷野敦『川端康成伝-双面の人』(2013.中央公論新社)
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