始めに
始めに
実は誕生日が近いのです。なので(?)、記念としてタイトルを回収するべくサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』のレビューを書いていきます。
語りの構造、背景知識
等質物語世界の語り手「僕」=ホールデン少年
この作品は等質物語世界のホールデン少年の語りが設定されています。またホールデン少年は現在精神病院にいて、過去のことを後置的に語っています。ホールデン少年はナイーブかつ神経質でブルジョワ的な社会を辛辣に批判しますが、情緒不安定な自意識を抱えています。
ティーンエイジスカースの伝統
等質物語世界の語り手のティーンエイジスカースはディケンズ(『ディビッド=コッパーフィールド』)、トウェイン(『ハックルベリ=フィンの冒険』)といったピカレスクの伝統を汲むものですが、ピカレスクの主人公が概して白浪ものの主人公のような「グッドバッドボーイ」(善良な不良少年)であって、ブルジョワ世界や世俗の偽善を批判しつつも精神的な自由と自律を確立しているのに対して、ホールデン少年の語りはもっと病的です。そんな主人公の語りをユーモラスに描いています。
この精神的にもろい語り手は、作者自身の戦争経験の心的外傷を背景にしています。
朦朧とした語りの背景に滲む家庭の不穏
サリンジャーはフォークナー「あの夕陽」という作品から多大な影響を受けました。これはヨクナパトーファサーガを構成する作品で、コンプソン家のクウェンティンが幼少期を回想し、黒人の女中ナンシーとその夫ジージアスたちとの過去が物語られます。どうやらジージアスはナンシーを殺そうとしているようなのですが、如何せん語り手のクウェンティンの得た情報は断片的で、また現在に至る経過を知っているはずのクウェンティンは、読者に物語世界の事実認識のための十分な情報を語らないため、今ひとつ要領を得ません。このため家庭、家族の不穏が朦朧とした語りによって読者に伝えられます。
『ライ麦畑でつかまえて』においても、ホールディンの病的な被害妄想に取り憑かれた語りは、家庭の不穏をそれとなく読者に伝えます。
またアントリーニ先生に頭を眠っている間に撫でられていたときのエピソードは、読者にもホールデンにも、正確な事情はわかりません。
ユーモアのセンス。ラードナー、ドストエフスキー、サローヤン、チェーホフ、カフカ、フローベール、オースティンの影響
サリンジャーの語りはユーモアを特徴とします。私淑したラードナー、チェホフ(『桜の園』)、サローヤンのユーモアやペーソス、ドストエフスキー(『罪と罰』)、カフカ(『変身』)、フローベール(『ボヴァリー夫人』)といった喜劇作家の反ブルジョワ的なコメディの影響が滲んでいます。
ホールデン少年の苦悩は、傍から見る分にはコメディとも映ります。
タイトルの意味
タイトルはサリンジャーの好んだロバート=バーンズが伝承歌につけた歌詞に由来するもので、ホールデンにとって、純粋で反ブルジョワ的存在である子供の庇護者を意味しています。今にも精神的な崖から落ちそうなホールデンが、崖から落ちそうな子供を救いたいと語るのがコミカルです。少しドストエフスキーの喜劇『貧しき人びと』『地下室の手記』を連想します。
『貧しき人びと』は書簡体小説で、純粋な乙女に向ける初老の男の片想い感情がコミカルに描かれます。『地下室の手記』には娼婦リーザに恋をし、説教をして教え導こうとするも破れる主人公がユーモラスに描かれます。どちらも弱者へ利他的に振る舞うことで、そこから得られるプレステージや承認といったリターンを求める脆い自意識がユーモラスに描かれています。
その後のサリンジャー、神秘主義、古典主義
『ナイン=ストーリーズ』が、本作と同時期の作品としてしられていますが、『フラ二ーとゾーイ』などに見える通り、次第に『ナイン=ストーリーズ』から顕著にあった、東洋神秘主義への傾倒をサリンジャーは深めていきます。
モダニズム文学でもT.S.エリオットのカトリックへの改宗が知られますが、エリオットはそのような伝統としての国教会へのコミットメントの中に、古典主義者としての自己実現の契機を見出したのでした。
サリンジャーも戦争の心的外傷に苦しみ、やがてそのような神秘主義的な伝統へのコミットメントに自己実現の余地を見出しました。
悟りとエピファニー
『ユリシーズ』で知られるモダニズムの作家のジェイムズ=ジョイスは、平凡な一瞬のうちに現れる対象の本質の顕れをエピファニーとして形容し、その象徴的、寓意的発想が『ユリシーズ』『ダブリン市民』にも現れます。
サリンジャーの作品でも、ラストにおいて不意にホールデン少年は回転木馬に乗った妹フィービーの姿のうちに、エピファニーの如き悟りを得ます。このような展開は『ナイン=ストーリーズ』の「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」のラストにも見えます。
物語世界
あらすじ
物語は語り手であり主人公のホールデン=コールフィールドが西部の病院で療養中、去年のクリスマスの出来事を語るという体裁です。
ホールデンはプレップスクールであるペンシー校から成績不良で退学処分を受けます。またストラドレイターという友人とのトラブルもあって、ホールデンは学校を出ていくことを決めます。
ニューヨークに出てきても、ホールデンはうまくいきません。そんな中、ホールデンは女友達のサリーとデートの約束を取り付けます。
朝食をとっていると、感じのいい二人の尼僧と隣り合い、『ロミオとジュリエット』について話し、寄付します。その後、道で小さな子供が「ライ麦畑で出会えたら」というフレーズの唄を歌うのを目にし、少し気分が晴れます。とはいえ、サリーとのデートもうまくいかず、また気分は沈みます。
やむなく家に帰ると両親は出かけており、部屋で妹フィービーと再会します。ホールデンはそこで、自分がなりたいのは、ライ麦畑で遊んでいる子どもたちが、崖から落ちそうになったときに捕まえてあげる、ライ麦畑の捕まえ役のようなものだと言います。
その後、両親が家に帰ってきたため、ホールデンは高校の恩師であるアントリーニ先生の家を訪れます。アントリーニ先生はホールデンに助言を与えるものの、ホールデンは強烈な眠気に襲われます。カウチで眠りにつくものの、目が覚めるとアントリーニ先生がホールデンの頭を撫でています。驚いたホールデンは家を飛び出します。
翌朝、ホールデンは、森のそばに小屋を建て、聾唖者のふりをして、世間から身を隠して暮らそうとします。別れを告げるためにフィービーに会うものの、フィービーは自分もホールデンに付いていくと言います。ホールデンは拒否するものの、フィービーも譲らず、一緒に動物園に入ります。そこの回転木馬に乗ったフィービーを降りだした雨の中で眺めたとき、ホールデンは強い幸福感を覚えました。
登場人物
- ホールデン=コールフィールド:脆く繊細な、ブルジョワ社会の批判者である語り手。
- フィービー:ホールデンの妹。純粋無垢
- アントリー二先生:ホールデンの高校の恩師。
- アリー:ホールデンの弟。故人。
総評
青春残酷物語の佳品
やはりよく計算されて書かれた作品で、名作です。
関連作品、関連おすすめ作品
古谷実『ヒミズ』、スコセッシ監督『タクシードライバー』:承認を求める青年の孤独
参考文献
・ケネス=スラウェンスキー、田中啓史訳『サリンジャー 生涯91年の真実』(晶文社.2013)
・小谷野敦『聖母のいない国』(青土社.2002)
コメント