始めに
始めに
実は誕生日が近いのです。なのでブログタイトルを回収する使命感が起こったため、今回はサリンジャー『ナイン=ストーリーズ』のレビューを書いていきたいと思います。
語りの構造、背景知識
語り手について
ほとんどの語りは異質物語世界の語り手で、「ド・ドーミエスミスの青野時代」「エズミに捧ぐ–愛と汚辱のうちに」「笑い男」では等質物語世界の語りが設定されています。
ユーモアのセンス。ラードナー、ドストエフスキー、サローヤン、チェーホフ、カフカ、フローベール、オースティンの影響
サリンジャーの語りはユーモアを特徴とします。私淑したラードナー、チェホフ(『桜の園』)、サローヤンのユーモアやペーソス、ドストエフスキー(『罪と罰』)、カフカ(『変身』)、フローベール(『ボヴァリー夫人』)といった喜劇作家の反ブルジョワ的なコメディの影響が滲んでいます。
フォークナーとサーガ
サリンジャーに影響したフォークナーは、ヨクナパトーファサーガという、架空の郡の歴史を描く手法を展開し、その中でバルザックも用いた、人物再登場法(同じ人物を別の作品に再登場させる)などの手法を取り入れていました。
本作もそんなフォークナーのサーガと重なる、グラース=サーガを孕む作品集です。「バナナフィッシュにうってつけの日」のシーモア=グラースの自殺は、『フラ二ーとゾーイ』『シーモア序章』に派生します。
各話について
「バナナフィッシュにうってつけの日」
戦争のトラウマを抱えたシーモア=グラースの自殺の顛末が、その妻・ミュリエル=グラース、少女・シビル=カーペンター、シーモア=グラースに焦点化を図りつつ物語られます。ユーモラスな語りに朦朧と不穏の影を滲ませる手法は、私淑したフォークナー「あの夕陽」や『ライ麦畑でつかまえて』に通じるところがあります。
またバナナフィッシュの空想のような精神的な世界に生きるシーモアの性格も印象的です。
電話による会話劇は「愛らしき口元目は緑」でも効果的に使われています。
エリオット『荒地』の引用は、自殺をめぐる謎を描き『荒地』をモチーフとする大江健三郎『水死』を思わせ、また『荒地』の下敷きとなったフレイザー『金枝篇』がテーマとするネミの森の王殺しによる輪廻の儀礼は、晩年のサリンジャーの神秘思想への傾倒を思わせます。また輪廻転生をテーマとする「テディ」と表裏一体の作品です。戦争のトラウマを抱えるサリンジャーにとって、輪廻転生という発想は過去の陰惨な虐殺にも合理的な意味合いを与えてくれる寄る方だったのかもしれません。
コネティカットのひょこひょこおじさん
メアリ=ジェーンと友人エロイーズ、その娘ラモーナのエピソードです。メアリが過去に失った恋人ウォルト=グラースと、ラモーナのイマジナリーフレンドが重ねられて描かれています。過去やイマジナリーフレンドなど、精神的世界に籠る二人が印象的です。ラモーナのイマジナリーフレンドの交代はエロイーズの遍歴とブルジョワ社会への適応の象徴となっています。
また戦傷者のように足を引きずるひょこひょこおじさんという、ラモーナにウォルトから与えられたあだ名の哀愁がなんともいえません。
対エスキモー戦争の前夜
もっぱらジニー=マノックス、セリーナ=グラフに焦点化がされ、戦争経験のあるセリーナの兄・フランクリンとその友人エリックが描かれます。フランクリンが籠る戦争のトラウマの世界が印象的です。
また過去の呪いで本来の自分を失い純粋な女性に救われるコクトー監督『美女と野獣』の映画が作中にエリックとフランクリンが観に行く作品として現れ、サリンジャー作品との関連を感じさせます。
笑い男
当時九歳だった語り手の視点から、少年団のコマンチ団の団長の青年とそのガールフレンドのメアリー=ハドソンの破局が描かれます。
朦朧とした少年の語りで二人の不穏を描く演出はサリンジャーの好んだ(『ライ麦畑でつかまえて』の記事でも言及しました)フォークナー「あの夕陽」の影響を感じさせます。また家庭的愛情から引き離されたことで対人関係の前提としての顔を歪められたヒーロー(笑い男)の死という作中作が、「団長」の精神的危機を予感させます。
小舟のほとりで
もっぱらグラース家のブーブーに焦点化が図られ、家出した息子ライオネルとの交流が描かれます。メイドのサンドラがライオネルの父に「薄汚いユダ公」と言ったことが家出の原因と解ります。
ユダヤ人差別の影と、ライオネル少年のナイーブさが印象に残ります。これも人種差別をテーマとするフォークナー「あの夕陽」の影響がみえます。
エズミに捧ぐ–愛と汚辱のうちに
等質物語世界の語り手「私」が過去を回想し、エズミという純粋な少女との交流が描かれます。現在に後半は視点が移り、焦点化がX(=私)に図られる異質物語世界の語りにうつり、エズミが変わらず自分にむけてくれていた興味や愛情の裏付けとなる手紙の知らせを聞き、安らぎを得ます。
戦争経験の救済として、少女の純粋さが据えられています。
愛らしき口元目は緑
男・リーと、その愛人の女の元に友人アーサーから電話がかかってきます。アーサーはひどく泥酔して、妻・ジョニーの居場所を訪ねてきます。一度電話が切れた後、またアーサーから電話が来て、ジョニーが帰ってきたと告げます。リーはそれを聞いて驚きます。
おそらくはリーの愛人はジョニーだと仄めかされ、アーサーの狂気が描かれています。
ド・ドーミエスミスの青の時代
等質物語世界の語り手の青年の画家を目指すボヘミアン生活が描かれます。アンリ=ミルジェール『ボヘミアン生活の憧憬』のほか、サリンジャーが好むようになった作家ヘミングウェイの『移動祝祭日』をも連想します。
また語り手のブルジョワ的世界への不満や、純粋なシスター=アーマへの執着などは、『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンを彷彿とさせます。けれども突然に悟りシスター=アーマへの執着から開放され、勤務先の美術学校も閉館となって物語は幕を閉じます。
テディ
テディという少年とボブ=ニコルソンという青年に焦点化がされます。神秘的なテディ少年が自らの死の運命を預言し、最後は予言通りのテディの死が仄めかされ、なんとも言えない余韻を残します。これはカート=ヴォネガット(『スローターハウス5』)風の運命喜劇なのか、それともむしろ輪廻転生による精神発展のプロセスを描く運命喜劇なのでしょうか。
晩年は仏教、禅宗に傾倒したサリンジャーの神秘主義が垣間見得ます。仏教というのは、一個のエージェントにおける輪廻転生を前提とした世界観での精神の発展史を考える思想と言えますが、仏教や禅によってサリンジャー自身も、ブルジョワ的世界を離れて自己物語を洗練させ、エマーソン、ホイットマンといった超絶主義の作家のように精神的完成を図ったと言えます。
物語世界
あらすじ
バナナフィッシュにうってつけの日
ビーチサイドのホテルでミュリエル・グラース夫人にニューヨークの母親から電話があります。母親は娘の夫であるシーモア・グラースと娘を心配します。
ビーチでは黄色い水着を着た少女シビル・カーペンターが母親にサンオイルを塗られ、「もっと鏡を見て(See more glass)」と繰り返しています。シビルは青年シーモアと出会います。2人は数日前から顔見知りです。シーモアはシビルにバナナフィッシュをつかまえようと提案して海に入ります。シーモアいわく、バナナフィッシュはバナナが入っている穴に泳いでいく魚で、今日はバナナフィッシュにうってつけの日なのだそうです。
波がやってくると、シビルはバナナフィッシュが一匹見えたと話します。シーモアはシビルの土踏まずにキスをするのでした。
ホテルに戻ったシーモアは、一緒にエレベーターに乗った女性へつっかかります。部屋に戻ると、眠る妻を見つめながら、シーモアは拳銃で自殺します。
コネティカットのひょこひょこおじさん
メアリ・ジェーンは大学時代のルームメイト、エロイーズの家を訪ね、リビングで酒を飲みながら共通の友人について話しています。2人は男のことで大学を退学しています。そこにエロイーズの娘ラモーナが現れます。ラモーナは眼鏡をかけて、ジミー・ジメリーノというイマジナリー・フレンドの恋人がいます。
そしてエロイーズの過去の恋人、軍人のウォルト・グラースについて、2人でバスを追って転んだとき、「かわいそうなひょこひょこおじさん」と冗談を言ったと話し、今の夫ルーを比べて悪口を言うのでした。ウォルトはストーブの爆発の事故で死んだそうで、エロイーズは泣きます。外から帰ってきたラモーナは、ジミーが車に轢かれて死んだと言います。
泥酔したエロイーズは夫からの電話で目が覚めるものの、迎えに行くのを断り、メイドの亭主を家に泊めるのも断ります。ラモーナの部屋で、ジミーが死んだのにベッドの端に寝ているのを咎めると、ラモーナはミッキー・ミカラーノという新しいイマジナリー・フレンドがいるからと答えます。エロイーズは無理矢理ラモーナをベッドの真ん中に寝かせます。そしてラモーナの眼鏡を顔に押し付けて「かわいそうなひょこひょこおじさん」とつぶやき泣きます。
対エスキモー戦争の前夜
ジニー・マノックスとセリーナ・グラフは高校の同級生で毎週土曜日にテニスをしていました。ジニーはセリーナにテニス帰りのタクシー代を払って欲しいというものの、セリーナは渋り、自分の部屋で待たせます。
ジニーが『ヴォーグ』を読んで待っていると、セリーナの兄フランクリンがやって来ます。フランクリンは自分の切れた指の手当てをしながら、ジニーの姉を知っていると話します。そして窓から通りを見下ろし、老人たちが歩くのをみて、奴らはみんなエスキモーとの戦争に行くんだ、と言います。そして部屋から持ってきた半分のサンドイッチをジニーに渡します。
やがてフランクリンが部屋を出ると、今度はエリックという青年がきます。エリックは自宅に居候させていた作家が今朝無断で出て行ったと話し、戦時中に一緒に飛行機工場で働いていたフランクリンと、これから『美女と野獣』を観に行くといいます。
エリックも出ていき、セリーナが戻ってくると、タクシー代はいらないと言ってジニーはアパートを出るのでした。
笑い男
1929年、9歳だった主人公の語り手は、少年団「コマンチ団」に所属していました。学校が終わるころになると「団長」である青年が中古のバスで少年たちを迎えに来て、セントラルパークや博物館に連れて行ってくれました。団長はバスの中で「笑い男」という物語を語ってくれました。主人公の笑い男は裕福な家のひとり息子でしたが、幼い頃に中国の山賊に連れ去られ、笑っているような変な顔にされてしまい、成長すると芥子の花びらの仮面をつけ、義賊となって活躍する物語でした。
ある時、団長のガールフレンドである、美しい若い女性メアリー・ハドソンが現れます。彼女は見事な野球の腕前で、コマンチ団の子供たちに受け入れられます。やがて団長とメアリーの関係は終わり、メアリーもコマンチ団の活動に参加するのをやめます。その日の『笑い男』の物語で、笑い男は死に、その後も復活しませんでした。
小舟のほとりで
メイドのサンドラが近所に住むスネル夫人と会話しています。そこに女主人のブーブー・タンネンバウムが現れ、「家出」した4歳の息子ライオネルの居場所を聞きます。
ライオネルは父親の小舟に座っていて、ブーブーは家出の理由を聞くものの、ライオネルは答えず舟にあったゴーグルを湖に捨てます。ブーブーはプレゼントのキーチェーンをライオネルに見せ、ライオネルに投げるものの、ライオネルはそれも湖に投げ捨て、泣きます。そして、サンドラがスネル夫人に、父親を「薄汚いユダ公(カイク)」と罵ったのを聞いたことが家出の理由だと話します。
ブーブーはライオネルを慰めるが、「カイク」の意味を尋ねるとライオネルは「空に上がる凧(カイト、kite)」だと勘違いして答えます。泣き止んだ息子と母は二人で家まで走って競争します。
エズミに捧ぐ
語り手の「私」はエアメールでイギリスでの結婚式の招待状を受け取るものの、欠席しようとします。そして6年前に花嫁と知り合ったときを回想します。
1944年、「私」はアメリカ人下士官としてイギリスに滞在していました。雨の日、教会で聖歌隊の子供たちが合唱しているのを目にします。その後喫茶店に入ると、あとから聖歌隊の少女が小さい男の子を連れて入ってきます。3人は同じテーブルで会話をします。少女はエズミと名乗り、「私」が作家だというと、いつか自分のために小説を書いてほしいと言います。
場面は戦勝記念日後のバイエルン。アメリカ兵のX三等曹長は部屋で神経衰弱に苦しんでいます。Z伍長(クレイ)が部屋に入ってきて会話し、クレイが出て行くとXは自分宛ての小包を開封します。中には壊れた腕時計とエズミからの手紙があって、Xは心地よい眠気を覚えます。
愛らしき口元目は緑
銀髪の男リーと青い目の若い女が部屋にいて、電話のベルが鳴ります。リーが電話に出ると相手は友人のアーサーで、妻のジョーニーの居場所を訊きます。アーサーは妻の浮気を疑っていて、酔っ払って興奮しています。アーサーは妻にはうんざりしているらしく、かつて彼女に詩を送ったのを自嘲的に語ります。
電話が切れ、女は興奮した様子です。またアーサーから電話がきます。アーサーはジョーニーがいま帰ってきたと告げて、リーは驚くのでした。
ド・ドーミエスミスの青の時代
19歳の青年である語り手は、パリでの生活を経て、母親が死んだことで、ニューヨークに義父と戻ります。美術学校に通うものの、アメリカの商業主義的絵画を嫌います。
ある日、新聞にモントリオールの通信制美術学校の教師の募集広告を見つけ、ジャン・ド・ドーミエ=スミスという偽名を使い、29歳だと年齢と経歴を偽って応募し、採用されました。
夏、モントリオールを訪れ、学校の経営者であるヨショット氏とヨショット夫人とともに、生徒の絵の添削を始めます。稚拙で俗悪なものばかりでしたが、シスター・アーマというトロントの修道女の絵だけは興味をそそりました。
彼はシスター・アーマの人間性に強く惹かれ、全作品を添削し、熱情的な手紙を送ります。数日後、シスター・アーマの修道院の院長から、シスター・アーマが学校で絵を学ぶ許可を取り消す知らせが届きます。彼は動転するものの、通りの医療器具店でヘルニアバンドをつけようとしている太った女性を見て、夜明けが来ると、不思議にシスター・アーマへの執着がなくなります。
一週間後、無免許で運営していたことが判明し、学校は閉校となるのでした。
テディ
ヨーロッパ旅行からアメリカに客船で帰国中の10歳の少年テディ(シオドア・マカードル)。テディは妹ブーパーに父親のカメラを渡したらしく、妹を連れ戻してこいと父に言われ、部屋を出ます。船内を探し、スポーツデッキで妹を見つけ、後でプールで落ち合おうとします。
テディは一人でサンデッキに座り、自分で書いたノートを読み、記述を加えます。
そこにボブ・ニコルソンという教育学者の若い男がきます。二人は以前にジムで会ったことがあります。テディはヨーロッパの大学でインタビューを受けたそうで、詩や神について子供離れした言葉でニコルソンと話します。自分の前世はインドの聖者だったそうです。ニコルソンは、ボストンで学者たちと討論した際、彼らの死期について予言した噂を尋ねます。テディは場所や日時に気をつけたほうがいいと教えただけと言い、死ぬのはみんな何千回もやっている、自分は五分後に、水のないプールを覗いて後ろから妹に押されて死ぬかもしれないが、それは悲劇でもないと話します。
やがてテディはデッキを去ります。ニコルソンはテディの後を追いかけます。プールの入口に入ろうとした時、ニコルソンは幼い女の子の悲鳴を聞くのでした。
総評
珠玉の短編集。おすすめ
計算され緻密に書かれたお手本のような短編集です。おすすめ。
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・ドストエフスキー『罪と罰』、太宰治『人間失格』『眉山』、川端康成『伊豆の踊子』:サリンジャーに見られる純粋さの象徴のような少女の表象はドストエフスキーに由来し、太宰治、川端康成といったその影響を受けた作家にも共通します。
・マーティン=スコセッシ監督『タクシー=ドライバー』、テッド=コッチェフ『ランボー』:戦争のトラウマを抱えた男の孤独
・吉田秋生『BANANA FISH』:本作をモチーフにします。
参考文献
・ケネス=スラウェンスキー著 『サリンジャー 生涯91年の真実』(晶文社.)
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