カズオ=イシグロ『わたしを離さないで』解説あらすじ

カズオ=イシグロ

始めに

始めに

最近、イシグロ脚本による黒澤監督『生きる』のリメイクが話題になっています。そこで、今回はイシグロの代表作『わたしを離さないで』についてレビューを書いていきたいと思います。

語りの構造、背景知識

セルバンテス、ドストエフスキー流のバロック喜劇作家

日の名残り』に関する記事でも書きましたが、イシグロは『ドン=キホーテ』で知られるセルバンテスの影響の強い喜劇作家ドストエフスキー(『罪と罰』『悪霊』)を好んでいます。その影響は顕著で、作品の節々に黒いグロテスクな笑いが滲んでいます。

感傷小説、心理リアリズムのパロディ

『わたしを離さないで』は、英文学に典型的なジャンルである、サミュエル=リチャードソンなどの感傷小説や、その流れを汲むシャーロット=ブロンテ(『ジェーン=エア』)、ジョージ=エリオットといったロマン主義の作家やヘンリー=ジェイムズ(『鳩の翼』『ねじの回転』)などの、女性を主人公格に据える心理リアリズム小説のパロディとなっています。

 感傷小説やロマン主義文学のジャンルでは、登場人物は共感や直感ベースで動くことが多く、そうした姿勢が多とされるのですが、本作はむしろ、主人公のキャシーたちやヘールシャムは、直感や共感ベースで動いていて、それにより不正義に加担してしまう悲劇を描いています。

 等質物語世界の語り手は「提供者」の「介護人」を勤めるキャシーです。「提供者」とは臓器を提供するためだけに生み出されたクローン人間で、生殖能力も持たず、長くいきることもままなりません。キャシー自身も提供者です。そんなキャシーが自分の育った提供者養育施設ヘールシャムでの過去を回想します。

現代のプロメテウス神話

 この作品は他にも英文学を代表する古典的な作品、ジャンル、様式のパロディとなっています。たとえばそれは現代のプロメテウス神話を意図して書かれたメアリー=シェリー『フランケンシュタイン』です。苦悩する人造人間を、人間をつくったプロメテウスの神話に準えてえがいています。この作品でも、人造人間である提供者の苦悩が描かれます。映画『ブレードランナー』『デトロイト ビカム ヒューマン』など、しばしば見られるモチーフです。

貞操神話とタイトル

 また「提供者」は生殖能力を欠いているのですが、これもヴィクトリア朝時代の「偽善」を代表する貞操神話に批判的に言及するものと思われます。それはキリスト教的保守道徳に支えられた、例えば「女性には性欲がない」などと言った俗説です。このような存在として同時代の女性は表象されることがままありました。つまるところ提供者と同様に、権力によってセクシャリティ、セクシャルアイデンティ、情動に根差す価値的世界が決定的に歪められてしまうのです。

 架空の歌手であるJudy bridgewater の ‘’Never let me go‘’がタイトルの由来ですが、これは恋人への熱烈な愛を伝える性的な曲であって、抑圧されたセクシャリティを象徴するモチーフになっています。

救貧院とディケンズ

 またヘールシャムというロケーションは、ディケンズ『オリバー=ツイスト』の救貧院を連想します。ヴィクトリア朝の偽善を代表する救貧院は、ディケンズの小説でも陰惨な虐待の温床です。

 本作におけるヘールシャムは、実はクローン人間の権利と能力をアピールする実験のための施設だったようなのですが、世間のクローン人間への嫌悪から、廃止させられてしまいます。提供者への共感からつくられた施設ではあるものの、根本的な提供者への搾取の構造を批判するような場所でもなく、提供者としての待遇を改善することを目指したにすぎません。

 またディケンズ『オリバー=ツイスト』と違い、主人公のキャシーは、ヘールシャムを巣立っても、世界の不正義を告発する存在にはなれません。

多感と分別、そして隷属。ポストコロニアル

  この小説のポストコロニアル小説としてもっともグロテスクな要素は、「提供者」としての痛みを体験し身近でみつめてきたキャシーが、介護人として、「提供者」への搾取の構造を維持、再生産する側に回ってしまっていることです。

 キャシーはまるでシャーロット=ブロンテのロマン主義文学の主人公のように、直感や共感ベースに動いて、一見主体的に振舞うのですが、結局それは「提供者」への搾取を維持する体制への加担へとつながるだけです。キャシーは情動に根差す価値観的実践から、社会があるべき規範たる正義を直感あるいは認識し、体制を批判、攻撃することに失敗しています。そして自由の放棄と隷属を選んでいるのです。ディケンズ『オリバー=ツイスト』の主人公が救貧院から抜け出て、自由を勝ち得て自己実現を成し遂げるのと対照的で、偽善でしかありません。

 結局それは、権力によって生命・生殖など自由や権利が侵害され、また認識、選好といったものが決定的に歪められてしまっているために起こります。これが権力の最も狡猾な側面で、植民地や階級といった帝国が流布する制度を支えてきました。イシグロは帝国の偽善をヴィクトリア朝文学のパロディとして展開します。

物語世界

あらすじ

 ヘールシャムは全寮制の学校で、主任保護官のエミリ先生を中心に保護官達が授業をし生徒たちの生活を監視・監督します。図画工作や詩などの創作活動が重視され、健康診断が毎週実施されました。

 12、3歳の頃、キャシーは癇癪持ちでいじめられっ子のトミーと親しくなります。トミーは人気者の保護官のジェラルディン先生に絵を褒められて他の生徒達から反感を買ったためにいじめられるようになります。トミーとキャシーはヘールシャムには何か秘密があると感じ、情報を交換しあうようになります。

 キャシーは、年少組の頃からの親友で見栄っ張りのルースに惹かれていきます。 キャシーは「ベイビー、わたしを離さないで」という歌詞が入ったジュディ・ブリッジウォーターの『夜に聞く歌』のカセットテープが好きで、子を授かった母親の歌と思い込んでいました。

 15歳、ヘールシャム最後の年、ルーシー先生が我慢できず生徒達にヘールシャムの「真実」を語ります。生徒達は臓器提供のために造られ、短い人生が決まっているのだと言います。やがてルーシー先生はトミーを呼び、昔の自分の発言を否定しトミーに絵を描くように勧めます。トミーは不安定になり、ルースとも破局します。キャシーはルースからトミーとの和解の手助けを求められ、トミーの相談に乗って撚りを戻させます。ルーシー先生は保護官を辞めました。


 16歳になった生徒たちはヘールシャムを巣立ちます。キャシー、ルース、トミーら8人はコテージに行きます。そこでは最長2年間かけて論文を書くものの、途中でコテージを出て介護人になる訓練に行く事もできます。保護官はおらず、カップルになったり、セックスをしたり、街に出かけたりできました。

 提供者として造られたヘールシャムの子供たちは人工的なクローン人間で生殖能力もありません。オリジナルを「ポシブル」と呼んでいます。ルースのポシブルの目撃情報を先輩たちから得たキャシー、ルース、トミーはノーフォークへ向かいます。その人物はしかし、尾行して観察してみると明らかに別人でした。そもそも先輩達の目的は、ヘールシャム出身者は愛し合っていれば提供を3年間猶予してもらえるという噂の真相を3人から探ろうとすることでした。

  コテージに帰ってから、ルースの誘導によってキャシーとトミーは仲違いをします。キャシーはルースとの仲も悪くなります。その後、キャシーは論文を未完成のままコテージを卒業し、介護人の訓練に行きます。

 キャシーがコテージを出て 7年。ヘールシャムは閉鎖されています。ルースの性格は苛烈になり、トミーとも気持ちが離れます。ルースも介護人をしていたものの、最初の提供を終えて2か月、キャシーが介護人としてつくことになります。湿地で船が座礁したニュースが流れ、その近くにトミーのいる回復センターがある事ため、2人は船の見物とトミーに会いに行きます。トミーは2回目の提供を終えていました。船を見物した帰り、ルースは2人に懺悔します。トミーとキャシーが結ばれる筈なのを分かって自分が邪魔し続けたというのです。マダムの住所を入手したので提供を猶予してもらい、2人の時間を取り戻して欲しいとルースは願います。ルースは2回目の提供後に死に、1年後、トミーが3回目の提供を終えてからキャシーはトミーの介護人になります。

 2人はセックスをするようになり、トミーの絵を持って、マダムに提供の猶予を頼みに行きます。マダムと一緒に暮らしていたエミリ先生が説明をします。もともとエミリ先生とマダムは、クローン人間の権利とこころの存在を主張する実験のためにとヘールシャムを作り、子供達の作品を集めて展示会を開き、寄付を集めていました。しかしモーニングデールという科学者が、強化クローン人間を作る違法な研究をしていたことが発覚。クローン人間に対する世間の嫌悪を煽り、運動への支援も無くなってヘールシャムも閉鎖しました。提供の猶予などは噂でしかなく、保護官にそんな力はありません。ルーシー先生は、生徒達に将来を正直に教えるべきだと主張したものの、エミリ先生達は生徒達に嘘を吐いて希望を持たせ、生きる事を教えようとしました。そのためルーシー先生は退職しました。マダムは昔キャシーがカセットテープを聞きながら踊っていたのも覚えていました。

  4回目の臓器提供を迎えるため死を覚悟したトミーは、醜態を見せたくないと介護人を変え、キャシーはトミーの元から去ります。

登場人物

キャシー:提供者。ヘールシャムでの生活を経て、提供者のケアをはかる介護人になる道を選ぶ。

総評

グロテスクなヴィクトリア朝小説のパロディ

イシグロの黒い笑いが炸裂するバロック喜劇です。おすすめします。

関連作品、関連おすすめ作品

・藤子=F=不二雄「ミノタウロスの皿」:他者への共感を経ても、対象を自分にとって都合のいい存在としての在り方しか認めず、不正義を糾弾する側に立てない男の話。

参考文献

谷田博幸『ロセッティ―ラファエル前派を超えて 』(1993.平凡社)

ピーター=ゲイ 田中裕介訳『シュニッツラーの世紀―中流階級文化の成立1815‐1914』(2004.岩波書店)

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